飛松五男氏は、『飛松五男の熱血事件簿 私だけが知っている不可解事件の裏側と真相』(鹿砦社)の中で、大阪西成女医殺人容疑事件(大阪・西成の女医不審死事件)とのかかわりについて述べている。

同書によると2010年8月、飛松五男氏のもとに“西成のマザーテレサ”といわれた矢島祥子医師のお母さんからメールが届き、そこに事件性を感じたという。
「大阪西成女医殺人容疑事件」、いわゆる「さっちゃん先生事件」の「捜査」は、飛松五男氏が“西成のマザーテレサ”といわれた矢島祥子医師の実家を訪ねたところから始まっている。本書から引用しよう。

「警察官退職後に被害者の相談に乗り、犯人の割り出しなどを行っている私だが、『溺死体』『自死として処理』『警察の捜査が進んでい』ないといった文言が気になった。

 その四日後の八月五日、私は相談者である矢島晶子さん(六十五)のご自宅である群馬を訪ねた。

 相談者の矢島晶子さんは、夫の祥吉さん(六十六)とともに医師であり、亡くなったのは長女の祥子さん (享年一二十四)である。

『命を賭けて全てをやってきた娘が、何で突然いなくなっちゃったんだろうか。だけど、その前に自分が父親として何でもっと守ってやれなかったのか』

 絞り出すような声で、疑念と憤りと悔しさを打ち明ける祥吉さん」

亡くなった“西成のマザーテレサ”こと矢島祥子さんは、沖縄県や大阪市内の病院を経て07年から大阪西成区の「くろかわ診療所」に内科医として勤務していた。

矢島祥子医師が勤務していた「くろかわ診療所」は、「あいりん地区」といわれる日本最大のドヤ街がある。

場所柄、矢島祥子さんの仕事は、「あいりん地区」の特別清掃業務に参加する、経済的にも恵まれず無権利状態で生活する労働者の健康診断や、ホームレス支援などの活動であった。

矢島祥子医師は、自分の休日も返上し、自腹を切って路上やテント、簡易宿泊所等を往診していた。そこから、“西成のマザーテレサ”といわれるようになり、同地区の労働者たちに知らない者がいないほどだった。

そんな矢島祥子さんが、2009年11月14日に姿を消し、2日後に西成を流れる木津川の船着き場で遺体となって発見されたのである。

警察は矢島祥子医師について2010年6月、「自殺の動機はわからないが、自殺の可能性が大である。そして、捜査は打ち切る。もうおしまい」と家族に通告したという。

飛松五男氏は、現場に赴き、いくつもの疑問を感じた。一言で言えば、警察の初動捜査の誤りである。

大阪・西成の女医不審死事件は、ここから飛松五男氏が新たな真実を見つけ出す作業が始まる。詳しくは、『飛松五男の熱血事件簿 私だけが知っている不可解事件の裏側と真相』(鹿砦社)をごらんいただきたい。

飛松五男の熱血事件簿―私だけが知っている不可解事件の裏側と真相

飛松五男の熱血事件簿―私だけが知っている不可解事件の裏側と真相

  • 作者: 飛松 五男
  • 出版社/メーカー: 鹿砦社
  • 発売日: 2011/06
  • メディア: 単行本