香川照之の歌舞伎デビューが話題になっている。来年6月に東京・新橋演舞場で開かれる歌舞伎公演に初出演。9代目市川中車を襲名するという。

香川照之といえば、市川猿之助と浜木綿子の間に生まれたが2人は離婚。以後、浜に育てられ、東大、テレビ制作会社勤務など「コネなし」の世界を経由して俳優に転向。徹底した役作りによる真面目な仕事ぶりにファンも多かった。
今回の歌舞伎入りで注目されたのは、父・猿之助と45年ぶりの和解だ。

猿之助が、藤間紫と2002年に“今更”の入籍をしたように、今回の「和解」は「澤瀉屋」を守ることにあったといわれている。

生まれてまもなく別れ、その後、45年年間接点がなく、息子として会いに行っても「私を父と思うな」と追い返されていたはずなのに、それでも現在は同居だそうだ。

女手で育てた浜木綿子の心境はさぞや複雑だと思うが、アカの他人ならともかく、実の父である以上、こういうことはありうると思いながら育てたのだろうか。

もともとこの2人が別れたのは、市川猿之助と浜木綿子の離婚によるもので、猿之助と香川が憎しみあっていたわけではない。だから「和解」できた、ともいえる。

だから、この2人のように、世の親子の対立すべてが、いずれは和解できる……とばかりは限らない。

たとえば、先日、週刊誌やワイドショーを騒がせた杉本彩と実母はどうだろうか。

杉本彩と母親らの確執が話題になったのは今から少し前の話だ。八月三十一日に都内で会見を開いた彼女は、個人事務所のマネージャーと再婚したことを発表した。「身を挺して、命を投げ捨てて、私を守ってくれる番犬みたいな人」と会見でノロけたが、その際、こんな意味深なことも口にした。「40代になってから、詳しいことはいえませんが、私の人生の中でひとりで立っているのもつらいなぁ、という出来事がありまして。そういうときに支えてくれて、やっぱりこの人の存在は大きいなということを、改めて感じることができたんです」(『週刊女性』九月二十日号)

杉本彩は、九月六日に更新したアメブロの公式ブログで、「つらい」原因が実の母であることを告白した。タイトルは「私の結婚を喜ばない家族たち」。通常、芸能人のブログは、私生活を書いているようで実は本質的なことは何も書いていない無難な日記ばかりだが、杉本の記事はかなり踏み込んだ身内の悪口になんと二万字を費やした。

「私は家族との関係に大きな溝があり、/この度の結婚も、/母や妹に知らせるような関係ではないことは、/皆さんはすでにご存知のことと思います。(中略)私たち夫婦を拗らせようと、/私の足を引っ張る愚かな母には、/もう本当にうんざりし、/私だけではなく、/夫に対しても/あることないこと誇張して暴言を吐く。その浅ましい様子に、/私はこの度、/人間としてのモラルを保ちながら、/ある程度この場で/発言させていただくことに致しました」

杉本彩によると、母や妹との諍いの原因は「お金」であるとしている。妹と妹の内縁の夫に株を譲って化粧品会社の経営を任せていたが、経営方針をめぐって妹の内縁の夫と対立。会社は杉本が手を引いた約一年後に倒産した。それまではどちらの味方でもない中立な立場をとっていた杉本の母だったが、妹と同居していたので仕送りを止めた途端、杉本に酷い暴言を浴びせるようになったという。

 一方、前出の『週刊女性』には「母のインタビュー」としてこう書かれている。

「本当に何も知らなくて、私、結婚って聞いて震えがきました……。すごくショックで、言葉では言い表せない。あまりにも相手が悪すぎます。うちの家柄とは合わないです。私は結婚を認めません」

「しゃべったらアカン、って決めてましたけど……。でもね、私、しゃべらずにはいられないんです。許せない。(絶線のときは)突然、長文メールを送ってきて親子の縁を切るって向こうからいったんですよ。それはそれでいいですけどね、あんな男性を松山家に入れるなんて、とんでもないですよ」

橋田壽賀子の仕事のせいか、身内のイザコザというと、多くの人はまず「嫁と姑」を連想するかもしれない。しかし、しょせんそれは他人同士であり、当人たちの意思で「義理の親娘」になったわけではないのだから、わかりあえなくて当然である。ことさらその不仲ぶりを描いたところで、よく考えてみると当たり前すぎてつまらない話だ。

 だが、本来は絶対的な絆でつながっている血を分けた実の親子の対立なら、親不孝か、子をいじめるだめな親なのか、価値観によってその受け止め方は様々だから、いかようにも議論が広がる。少なくともニュースやドラマのネタとしては、使い古されてぼろぼろの嫁姑よりははるかに新鮮で面白い。ネット掲示板では実の親に困惑したり憎んだりするスレッドもある。杉本彩のトラブルが芸能マスコミで取り上げられるのは、ヒューマンインタレストとして当然である。

 テレビでは、このトラブルについて「どちらの言い分が本当なのかわからない」(九月十九日放送の『ワイドスクランブル』でデーブ・スペクター)などと「対立する言い分」によるバトルを煽っていたが、筆者が見る限り、そういう問題ではないと思った。

よく見れば分かるが、双方の言い分は別に両立しないものではないから、どちらも嘘ではないのだろうし、実は対立もしていない。杉本彩は金でもめた経験を話し、母は新しい夫が気に入らないと言っているだけなのだ。

筆者に言わせれば、本質はむしろ逆で、一見口汚く言い争っているこの二人は、実は「やっぱり実の母子なのだなあ」と思ってしまうほどよく似ている。だから問題なのだ。

なぜなら、杉本彩によれば、杉本彩の母はお金で娘を罵倒したそうだが、杉本彩も会社の経営という利益の問題で内縁の夫を罵倒している。どちらもお金にはシビアなわけだ。

 また、母親は「家柄」「松山家に入れる」などと、明治時代のような話をしているが、杉本は最初の結婚も今回も相手に「松山」姓を名乗らせる婿入り婚である。彼女は、「(自分が)ちょっと男たるゆえん」で「嫁に行く考えがまったくな」いから婿入り婚をしたと語っているが、「男」だから結婚しても「松山家」のままである、という考え自体が古典的な父系社会の発想である。別に男っぽくたって、結婚して相手の姓を名乗っても構わないだろう。彼女も母親同様に「松山家」にこだわっていると見られても仕方あるまい。

娘の結婚にケチをつける母親はおかしい。「(あの2人に)子どもができたら私、ショック死するかも」とも言っているが、いくらなんでもいい過ぎだろう。だが、善意に見れば、週刊誌にも「気性の激しさ」を書かれた新夫について母親として警戒し、心配しているからこその発言と見ることはできる。何より杉本は、その母親の価値観を卒業していない。母親はそこを見透かしているからこそ、自分の価値観を隠さず遠慮会釈なしにものを言っているのではないだろうか。

問題の解決は、杉本彩が母親離れをすることである。たとえば、夫がなんと言おうが「松山」姓を捨てるがいい。そして、本気で絶縁する気があるのなら絶縁状を書いてみるといい。つぶれた会社も、彼女が厳しく罵倒する内縁の夫などに任せた自分の不明を恥じて、はやく気持ちを切り替えることだ。本当に嫌な人たちと思うなら、ぶつぶつ文句を言うよりも絶対にかかわらないことである。そうすれば、先方だって因縁のつけようもなくなるし、杉本彩自身も不快なことはなくなるだろう。

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