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山城新伍は生前俳優であり、司会者、または歌手、映画監督、映画評論家、そしてバラエティ番組のタレントとして活躍した

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山城新伍は生前俳優であり、司会者、または歌手、映画監督、映画評論家、そしてバラエティ番組のタレントとして活躍した
山城新伍(やましろ しんご、1938年11月10日~2009年8月12日)の命日は8月12日である。山城新伍は生前俳優であり、司会者、または歌手、映画監督、映画評論家、そしてバラエティ番組のタレントとしてテレビ、映画などで活躍した。

山城新伍とはなんだ

山城新伍こと、本名渡辺安治(わたなべ やすじ)は、東映ニューフェイス第4期に合格して1957年、東映に入社。

山城新伍は翌年の1958年には、はやくも映画『台風』デビューしている。

そして、1959年にはテレビ映画の時代劇『風小僧』で初主役。

さらに、1960年に主演したテレビ時代劇『白馬童子』では、子供たちのヒーローとなる。

山城新伍は、テレビで売れっ子になってからも、この時代を自慢している。

山城新伍はそれほどの二枚目俳優だったが、その実は飾らず、聡明で面白く、皮肉屋で話術の達人であり、強烈なタレント性があった。

それが、山城新伍のテレビでの成功につながっていく。

1970年代からは活躍の舞台をテレビに移した。

役者としてテレビドラマだけでなく、その辛らつでいながら温かみのある語り口から、バラエティ番組でもいかんなくその個性を発揮。

山城新伍は司会やパネラーとして大活躍した。

『アイ・アイゲーム』(1979年10月14日~1985年9月29日、フジテレビ)では、「チョメチョメ」などの流行語を生み出した。
歌手としては『水仙情花』という歌をリリースしている。

山城新伍
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c630722135 より

山城新伍は映画俳優としての矜持を堅持

一方、山城新伍自身は映画俳優であるとの矜持は堅持した。

映画をこよなく愛し、現役の俳優でありながら、一方で映画評論、映画監督の仕事も行った。

山城新伍は映画監督として、にっかつロマンポルノのヒット作『女猫』(めねこ)『双子座の女』『せんせい』『やくざ道入門』などの作品をのこしている。

映画評論は、『火曜洋画劇場』(1979年10月~2002年3月、サンテレビ)で司会を行った。

しかし、山城新伍の私生活の晩年は寂しかったと言われている。

1985年、女優の花園ひろみと結婚し一女を授かるが離婚。

2度の結婚と離婚を繰り返したものの、最終的には妻だけでなく娘からも絶縁された。

2005年12月25日、『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ系)に出演した際、糖尿病を患っていたことを告白。

2009年8月12日、東京都町田市の特別介護老人ホームで、嚥下障害による肺炎で亡くなった。

享年71。葬儀には花園ひろみも娘も列席しなかった。

山城新伍の兄は、花園ひろみはともかく、娘が列席しないことについて非難めいたことを述べたが、たとえ兄弟でも、その家族にしかわからない事情や感情がある。

生前の恩讐と、その後、母とともに生きていくことを考え、そのような選択となったのだろう。

以上、山城新伍は生前俳優であり、司会者、または歌手、映画監督、映画評論家、そしてバラエティ番組のタレントとして活躍した、である。

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この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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