「普通の人」を貫く

児玉清さんが16日、亡くなった。亡くなると美化して悪いことは一切タブーというのはいつものパターンだが、善意であれ美辞麗句だけではその人の本当の魅力は表現できまい。今回も、名優が亡くなったような報じ方もされるが、率直に言って、児玉清は俳優としても司会者としても「名」がつく人だったわけではない。特別な才で瞬間的に輝くのではなく、コツコツと真面目に勤め上げる「蓄積力」を評価すべき人だった。
学習院大学時代は、学者になりたくて大学院進学を希望したが、親が亡くなったため断念して東宝ニューフェイスへ。そして、映画でも食べられないからテレビへ。『パネルクイズアタック25』を長く続けられたことについては、そのギャラで生活が安定したことを率直に感謝している。

勝新太郎のような破天荒さもなく、高倉健のようなミステリアスな面もない。ごく普通の紳士が、生活のためであることを隠さず、真面目に俳優という仕事をやっていた。それが児玉清なのである。

「なんだ、それじゃ、普通の人だ。たいしたことないじゃないか」ということにはならない。

芸能界で、「普通の人」を貫くことがどれだけ大変か。

芸能人たるもの、人格のどこかが壊れていなければつとまらない世界である。尋常でない自己顕示力が必要だからだ。

かつて、児玉清が「ありがとう」という人気ドラマに出演していた頃のエピソードだ。

出演者の岡本信人が、東海大学に在学中で、撮影の合間に試験勉強をしていた。

行き詰まったとき、石坂浩二が「ぼくにかしてごらん」と、『ウルルン滞在記』で見せたような、さかしらな態度で問題を解き始めたが、口ほどにもなく解けなかった。そのとき児玉清は、「ぼく、たぶんこう思うんだけど」と遠慮がちに加わり、さりげなく問題を解いてしまったという。

岡本信人本人の告白であり、作り話ではない。

芸能人としては、石坂浩二の態度の方が望ましい。だから、俳優としてはギャラも格も児玉清より石坂浩二の方が上である。しかし、できもしないくせにしったかぶるよりは、邪魔にならないように役に立てる時だけ力を貸すという児玉清の方が、社会人として分別と良識ある態度である。

司会業は、ホームドラマが衰退し始めた70年代終盤から始めているが、当時は「ヘタクソ」といわれ、そのような投書も当時の新聞に出ている。

俳優は、台本と稽古によって”魅せる自分”を作り上げる商売であり、アドリブが進行に必要な司会業は、ちょっとばかり勝手が違うようだ。まして、「パネル……」はシロウトの出演者を引き立てる仕事である。放送当初、児玉清は必ずしも名司会とは言われていなかった。

だが、児玉清は司会業を投げ出すこともなく、目先だけを見て奇をてらうこともせず、自分のペースで誠実に頑張り続けた。その中で作られたフレーズのマンネリズムが、長年の放送で視聴者のポピラリティを獲得した。

スポンサーやプロデューサーの理解や慧眼もさることながら、これも児玉清の「蓄積力」の成果といえるだろう。

児玉清は、2001年に『寝ても覚めても本の虫』(新潮社)という本を上梓している。これも、東宝との契約を終えてフリーになり、暇だった頃から始めた40年にわたる読書歴の「蓄積」をしたためたエッセイだった。

2003年12月27日付「サンケイスポーツ」では、自ら手掛けた切り絵を紹介した著書『たったひとつの贈りもの わたしの切り絵のつくり方』(朝日出版社)の発売を記念して、東京・神宮前の「こどもの城」で児童10人を集めて切り絵教室を開いたことを報じている。

児玉清にとって切り絵は、「俳優として売れないころ、何か作って(生活の)足しになればと思って始めたのがキッカケ」で、45年以上も続くライフワークになっているという。

ここでも出てくるのは「俳優としての手段」ではなく、「生活」なのである。

ハッタリを言った者勝ち、そのときウケた者勝ちのような、虚業としての側面がこんにちますます強くなっている刹那的な芸能界において、児玉清のように「蓄積」を売れる俳優は珍しい。

そんな、「生活」のための仕事を「蓄積」してきた児玉清が、一度だけ自らの哲学を措いて“脚本を超えた熱演”をしたことがある。

田宮二郎版「白い巨搭」で演じた正義感いっぱいの弁護士・関口仁である。

対する「ナイーブな野心家」の財前五郎を演じた田宮二郎とは、学習院大学の同級生だった。ともに映画会社のニューフェースからテレビに転じ、俳優としての持ち味は「ハッタリ」対「堅実」と、「白い……」で演じた対立そのままだった。

たとえば田宮二郎は大映時代、やはり児玉清と同様に大部屋からスタートしているが、通行人時代から外車に乗って撮影所入りしていた。スターはハッタリが必要、という哲学からだが、児玉清にはあり得ない行動だった。

そう、あのドラマは、脚本を超えた2人の生き様のたたかいが見えていたからこそ、迫力ある名作に仕上がったのだ。だから筆者は、申し訳ないが、脚本を超える葛藤を感じない唐沢版を見る気がしなかった。

いずれにしても、閉塞感漂う現代は、ついつい手っ取り早く答えを欲しがり、享楽的な方向に流されてしまいがちだ。そんな風潮だからこそ、逆説的に児玉清のような蓄積人生が評価されるときなのかもしれない。

寝ても覚めても本の虫 (新潮文庫)

寝ても覚めても本の虫 (新潮文庫)

  • 作者: 児玉 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/02/01
  • メディア: 文庫