自然科学の実験に関する興味深いニュースがあった。地味なテーマなので一般への反響はあまりなかったようだが、こんにちの原発論争を考えると、実に示唆に富んでいる。

まずはニュースを引用しよう。
「やる気」あればできる…サルのリハビリで実証
読売新聞 9月30日(金)10時46分配信
 「やる気」を出すことがリハビリテーションによる運動機能の回復に効果があることを、自然科学研究機構生理学研究所の西村幸男准教授の研究チームが、サルの脳活動を計測した実験で証明した。

 人でもリハビリ意欲の高い人の方が、効果があることは臨床的に知られていたが、意欲と運動機能回復の結び付きを科学的に証明できたのは初めてという。

 西村准教授らは、脊髄を損傷したサル3頭に、円筒形の筒の中に入ったえさを取る実験を実施。損傷前は親指と人さし指で簡単に取れたが、損傷直後は指がうまく使えなかった。しかし、えさを取ろうという「やる気」が、親指と人さし指の機能回復を後押しし、3か月後には損傷前と同じように取れるようになった。

スポーツにしろ勉強にしろ、精神主義、根性主義ではいけない、という考え方が近代的、合理的であるようにいわれてきた。

が、「やる気」という個人の価値に属するものが、「運動機能回復」と結びついているという今回の実験は、カリキュラムや外部環境といった客観的なものだけが生命体の進歩に資するわけではないことを示したことになる。

それはつまり、迷信や宗教など、たとえ合理的に説明できないものでも、人間の能力を向上し得るものになるということだ。

これは非常に重要なことだ。

デカルト以来の近代合理主義をうわべだけで見るものは、もっぱら近視眼的に数字と客観的状況のみに真実を求めようとしてきた。

たとえば、「超能力」や霊感商法の非科学性を暴く理系の学者や理系お宅的な者の中には、それだけでは物足りずに、自然科学ではないもの(たとえば文学や芸術や宗教など)を軽視したり敵視したりする方向に暴走する者もいる。

世間知らずか学問的ヘゲモニーもあるのかもしれないが、
ゴルフは数式ですべて説明できるとのたまう、大槻義彦のようなおばかさんは
決して理系の「例外」とはいえないだろう。

ちょっと、考えてほしい。
喫煙者が絶えることがないように、人間は「科学的に正しい」かどうかがすべての判断のもとになっているわけではない。判断の決め手は、そこにいかなる価値を置くかである。

喫煙による健康リスクよりも、喫煙による快感を、自分にとってはより重い価値であると判断していれば、いくら喫煙の疫学調査が「黒」と出ていても喫煙するのである。

いくら危険なカルト教団だとマスコミや学者や評論家が騒ぎ立てても、その教団が自分の精神の安寧に必要ならその人は入信してしまうのである。

そして、それによって能力や人生の充足感が高まるのなら、それ自体は決して悪いことではないのだ。

むしろ、そこに「科学的真実」を突きつけることのほうが、有害なこともある。

なぜなら、疑問や批判も含めて、価値判断こそが、科学に対しても新たな真実の突破口になりうるからだ。

冒頭の実験がまさにそうである。「やる気」という価値判断の賜物が「機能回復」で新たな真実を実現し、科学が後を追ってそれを認めているではないか。科学的真実と価値判断は別のものだが、科学は人間の価値判断によって進歩するものなのである。

さて、こんにち、原発問題がまだ解決していないが、理系バカに限って、知ったかの上から目線で現時点での「数式」によって安全だと言い募ろうとしている。

しかし、科学は相対的真理の長い系列に貫かれたものである。
ひらたくいえば、今の定説はいずれ否定され、10年後の定説はさらに前に進んでいる。
その進んだ真実は、人間の価値判断が突破口になる。

ここがあぶないのではないか、これは注意すべきではないか、という危機意識や批判精神は、必ずや将来の科学的真実をより高次なものへ引き上げる原動力となるであろう。
それを「現時点でわかっていること」を根拠に頭から否定している人間こそが、非科学的なトンデモなのである。

健康情報・本当の話

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  • 作者: 草野 直樹
  • 出版社/メーカー: 楽工社
  • 発売日: 2008/05
  • メディア: 単行本