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血液型性格判断は合理的根拠がないにもかかわらず性格調査に用いるのはこっけいだが教育実践の場にも持ち込まれている

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血液型性格判断は合理的根拠がないにもかかわらず性格調査に用いるのはこっけいだが教育実践の場にも持ち込まれている

血液型性格判断には何ら合理的根拠がないにもかかわらず、それを性格調査に用いるこっけいさを書いたが、血液型による性格判断の問題点ははこうした「お遊び」と「調査」だけではない。それを真に受けてしまう情弱大衆がいるという歴然とした事実である。

保母を愚弄するにもほどがある

かつて、東京都の医師による血液型症候群批判の投書が新聞に載り、しばし論争が続いたことがある(85年8月24日付「朝日」)。

その人の診療所に、入園・入学児童の親が、学校や幼稚園の指示で子供の血液型検査を依頼しに来るが、血液型の検査など「不要である」というものだ。

「血液型は親子関係や人定の確認と、輸出の場合のみ必要」なのであり、輸血などでも実際に行う段階で改めて調べるから「血液型検査」は「廃止すべき」だと投書にはある。

普段、何気なく書類の血液型記入に私たちは応じているが、もっともな話だ。

医学的な利用ではない自己紹介に血液型が書かれているものがあるが、何でそんな無意味な、もとい、有害なことをしているのだろうか。

実際の教育実践の場にも持ち込まれている

投書にあるように、血液型による性格判断は、実際の教育実践の場にも堂々と持ち込まれている。

たとえば京都市上京区の西陣保育園では、血液型の違う保母さんにクラスを担当させていることが、しばしばマスコミでも取り上げられた。

同園では、園児の血液型ごとに模様の違うシャツが置いてあり、園児にそれを着せて血液型による違いをはっきりさせるそうだ。保母は、血液型を頭に入れて子どもを観察、保育の参考にするのだとか。

保母の毎日の丹精ではぐくむ保育の力や子供を見る眼力よりも、血液型による判断の方が頼りになるということだろうか。だったら保母の職能とはいったい何なのだうか。

保母を愚弄するにもほどがある。

血液型性格判断。トンデモないものである。

以上、血液型性格判断は合理的根拠がないにもかかわらず性格調査に用いるのはこっけいだが教育実践の場にも持ち込まれている、でした。

血液型性格判断のウソ・ホント (講座・超常現象を科学する)
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この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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