『東京スポーツ』が3月末に希望退職者を募集するという社内メールが届き、『ついにウチもか』と暗いムードが漂っているそうです。夕刊紙でもっとも売れ、社員は高給で知られていた同紙も、ついに経営陣や弁護士によって希望退職者説明会が行われたそうです。
かつて隆盛を誇った東京スポーツが……
もと記事は、文春オンラインです。
東京スポーツの話ではありますがね東スポWebでは一切触れていない話です。
希望退職者の対象は45~59歳の160人。
社員約350人のうち100人、全体の3分の1近くをリストラするというのです。
希望退職者を募集する社内メールが届いたのは3月末。
4月7日には、本社近くで行われた説明会には約100人が出席。
経営陣4人、弁護士2人が従業員に向き合い、人材斡旋会社による再就職の説明が行われ、再建案は一切示されなかったそうです。
東スポが社員100人リストラ “入社2年目で年収1200万円”高給で知られた会社が危機の理由 #東スポ #リストラ #週刊文春 #文春オンラインhttps://t.co/UokWbhpp73
— 文春オンライン (@bunshun_online) April 19, 2021
東スポといえば、高給の会社として有名でした。
「90年代中頃は、入社2年目の年収が1200万円。それがピークで、今はその半分ぐらい。19年5月の決算では純利益が約20億円の赤字、総資産は約65億円しかなく、会社側から『あと2~3年で潰れる』と告げられました」(40代後半の記者)
説明会で提示された金銭的補償は、通常の退職金+1年分の給料だったそうです。
突然倒産するのに比べれば、まだいいのではないかと思いますが、かつて隆盛を誇った東京スポーツが……という思いがあります。
まとめサイトです。
【新聞】東スポ 希望退職100人募集か [田杉山脈★]
https://t.co/uLnkBqdfpo pic.twitter.com/pacBEdFqjG— 石川良直 (@I_yoshinao) April 20, 2021
主なコメントをご紹介します。
4名刺は切らしておりまして2021/04/20(火) 20:57:39.68ID:4aS0JELM
新聞なんて読まないよな8名刺は切らしておりまして2021/04/20(火) 20:59:47.79ID:ybpTLc68
東スポなら、このネタを1面Topでおもしろおかしく報じないと。ネッシー出産、米国民が泣いた。
10名刺は切らしておりまして2021/04/20(火) 21:02:30.63ID:esWXDy14
東スポって知名度は抜群だから
これからの戦略次第だね13名刺は切らしておりまして2021/04/20(火) 21:06:06.34ID:5GyWitoy
あのネタ新聞にそんなに社員いたのか23名刺は切らしておりまして2021/04/20(火) 21:24:08.22ID:oPH0T1Sh
よく言われるけど金払って昨日以前のニュース読むって頭おかしいよなw
子供の頃は、10円でしたね。
プロレスを第一面にしていて、『馬場悶絶』という赤い字の見出しで心配しましたが、ちゃんと翌日の試合にも出ていました。
我が家では、一時期宅配で定期購読もしていました。
今も東スポWebはよく閲覧するんですが、新聞の方はやめちゃいました。
山田隆さん、なめだるま親方、そして中崎タツヤ氏の関係
東京スポーツというと、思い出すのは山田隆さんです。
昭和プロレスファンには懐かしい名前だと思います。
東京スポーツの記者として、日本プロレス、全日本プロレス中継の解説者として長くプロレスに関わってこられました。
「実況:倉持隆夫、解説:山田隆」といえば、プロレスファンにはお馴染みの、70年代~80年代の全日本プロレス中継コンビです。
山田隆さんは、まだネットがなく、各テリトリーで多くの団体が興行を行っていた(つまり情報があまり入ってこなかった)当時のアメリカの“本場のプロレスの情報”を、プロレス新聞ともいわれる東京スポーツの記者である強みで、現地の特派員・通信員から得た情報を解説に採り入れて人気を博しました。
一方で、お色気も多い夕刊紙東京スポーツ紙の編集局長であった山田隆さんは、そのお色気ページで風俗ライターの島本慶氏を起用。
当時から面倒見のいい山田隆さんは島本慶氏を重用し、島本慶氏は風俗ライター、なめだるま親方としてのブランディングを同紙で確立しました。
島本慶氏の原稿は島本慶氏の実力ですが、山田隆氏もなめだるま親方誕生に貢献したといっていいでしょう。
その後、在籍する東京スポーツでは出世を巡る争いがあり、それにくたびれた山田隆氏は東京スポーツを退社。プロレス中継解説の仕事は続けながらも、一介のフリーライターとして新たなスタートを切りました。
すると、なめだるま親方は、自分の事務所に山田隆のデスクを置き、客分として迎え入れました。
自分を、東京スポーツのお色気ページに登用してくれた恩返しをしたわけです。
また、なめだるま親方は、事務所が編集・発行していた雑誌で、一風変わった、いわゆるヘタウマ漫画を描く中崎タツヤという人に連載をさせていました。
山田隆さんが自分をイチオシ!してくれたように、なめだるま親方も中崎タツヤ氏を重用しました。
中崎タツヤ氏は、やがて「地味」で「変」な作風の『じみへん』でブレイク。
第38回文藝春秋漫画賞も受賞しました。
もちろん、漫画家として成功できたのは中崎タツヤ氏自身の実力があってこそですが、その実力を備える機会や、能力を全面開花するための精神的な支えとして、なめだるま親方こと島本慶氏の存在も大きかったと思います。
山田隆さん、なめだるま親方こと島本慶氏、中崎タツヤ氏の関係を見ていると、人との出会いというのが人生には必要なんだな、そして「情けは人の為ならず」というのは本当にあるんだなあ、と思います。
もっとも、出会いがあっても、それだけではだめ。そこからは本人の頑張りが必要です。
山田隆さんは、なめだるま親方の事務所が編集・発行していた雑誌に、グルメと格闘技、マネー(財テク)のコーナーを執筆していました。
面倒見のいい山田隆さんは、その中のマネー(財テク)のコーナーを、その少し前まで金融関係の仕事をしていた私に「やってくれ」と任せてくれました。
当時、私はある雑誌で力道山の読み物を作るのに山田隆さんに協力していただいただけの関係だったのですが、私を信用してくれたんですね。
しかし、力不足の私の連載は半年で打ち切り。私は結局、第二のなめだるま親方にも中崎タツヤにもなれませんでした。
まあ、私にとってはほろ苦いけれど、その人達と仕事ができた青春のいい思い出です。
今も「日刊ゲンダイ」で、なめだるま親方の下品な(笑)レポートを見ると、「まだ現役なんだな」と嬉しく思います。
以上、『東京スポーツ』が3月末に希望退職者を募集するという社内メールが届き、『ついにウチもか』と暗いムードが漂っているそう、でした。
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