がんもどき理論を提唱したのは近藤誠医師。標準治療をすれば必ず治るわけではないから、理論を熱心に信奉する人はいまも多い。抗がん剤で苦しんで亡くなった身内がいたり、たんに抗がん剤治療が怖いために否定する根拠が欲しかったりするのだろうか。
素人から見ても、理論というには心もとないものなのに、相変わらず信じられている。
あなたは、がんもどき、という言葉を聞いたことがあるだろうか。
昨年夏になくなった近藤誠医師の十八番である。
抗がん剤をすれば、かならず治るというわけではないから、抗がん剤は賛否両論ある。
しかし、がんに対する治療という意味があるのは事実で、少なくとも血液のがんは、当の近藤誠医師ですら否定していなす。
熱心な信者がいるようだが、少しがんもどきについて、スケプティクス(懐疑的)な立場で考えてみよう。
がんとたたかうかどうかは患者本人の価値観の問題
演出家の和田勉さんが、2011年に食道がんで亡くなったことを覚えているだろうか。
もじゃもじゃ頭で、「ガハハ」とダジャレを言っていた、あの和田勉さんである。
和田勉さんの場合、発覚は3年前だったが本人は積極的な治療を拒んだ。
食道がんといえば、今は胃がんよりも恐れられている消化器系のがんだ。
医学は進歩しているのだが、胃がんほど治癒率が向上していないという点で、相対的に胃がんよりも怖いものになった。
胃がんならほぼ100パーセント助かる第一期でも、食道がんの場合5年生存率は70~80パーセントにとどまる。
厳しい闘病による完治や延命の確率と、進行するが治療の苦しさを経験しない無治療とを比較して、本人の価値判断で後者を選んだのだろう。
一方、同年11月、週刊誌の連載で扁桃腺(中咽頭)のがんを告白した大橋巨泉さんは、腫瘍の大きさが4段階で3、ステージは4A。
数字だけ見れば和田勉さんの発覚時よりも深刻であるが、治療可能なタイプということもあって治療した。
大橋巨泉さんは、カミングアウトした連載で、近藤誠医師らがいう「がんとたたかうな」という主張に異を唱えている。
がんとたたかうかどうかは患者本人の価値観の問題だろう、と大橋巨泉さんはいうのだ。
もっともなことである。
医師は治療が仕事であり、治療を受けるかどうかを指図する立場ではないはずだ。
にもかかわらず、「がんもどき」という新造語をひっさげて出てきた近藤誠医師に、何もかもを委ねないと間違っているかのような根強い信者が生まれた。
人間はかくも弱いものなのかと思う。
だから、「がんもどき」については、いったんは医師の多くに否定されたが、完全には葬られなかった。
「本物」と「もどき」の違いはわからないという
最近の論争では、2011年1月に『週刊文春』で、現役の医師や、自らも膀胱がんで抗がん剤治療も経験した立花隆さんなどが加わり、通常治療の立場から「がんもどき」説で知られる近藤誠医師に疑問や反論を行っている
一方、夕刊紙『日刊ゲンダイ』において、同じ時期に近藤誠医師が「やっぱりがんと闘うな!」というタイトルで連載を開始した。
近藤誠医師の持論は一貫している。
曰く、「がん」には他臓器に転移する「本物のがん」と、転移しないから慌てて治療しなくても命を落とすことのない「がんもどき」の2種類しかない。
「本物のがん」は現在の医学では治せない。
「がんもどき」は慌てて治療する必要はなく、最小の治療か経過観察でいい。
どちらにしても「がん」は必死に治療する必要はない、というものだ。
だから、抗がん剤などの厳しい治療だけでなく、健康診断による早期発見自体に否定的である。
では、その「本物」と「もどき」の違いはどこにあるのか。
ここが脱力するのだが、近藤誠医師は「わからないことが少なくありません」としている。
近藤誠医師の「がんもどき」理論の最大の問題点がここにある。
つまり、「がんもどき」なるものが本当にあったとても、それは疫学調査で言う「後ろ向き」でしか診断できないことである。
画像診断で影があった。
その時点ではっきりとシロクロをつけられないというのである。
それでは現在の医療には通用しない。
がんには「がんもどき」かもしれないものがある、という仮説や後付診断の段階でしかない。
かりに自分が近藤誠医師の立場なら、そこがわからないうちから「がんもどき」などという決め付けはやはり躊躇したような気がする。
なぜなら、世の中には三大治療で命が救われている例が数えきれないほどあるからだ。
近藤誠医師がどうしてウケるのか
「がんもどき」の理論によれば、転移するがんは「本物のがん」で、最初から助からないといい、「がんもどき」は転移しないのでほうっておいてもいいのだという。
ところが、近藤誠医師によると、最初の診断で気になる腫瘍が「がんもどき」か「本物のがん」の判別は難しいというのである。
近藤誠医師は『日刊ゲンダイ』の連載で、自分の説が正しいとする根拠として「がんそのものに対する積極的治療を受けない150人近い患者さんの病状が極めて良好」と自画自賛しているが、それは必ずしも「がんもどき」理論が正しいことの証明にはならない。
なぜなら、「良好」とはどういうことなのか、そこに医学的な検証が行われていないからだ。
前立腺がんのように進行の遅いがんもある。そこでしばしの「良好」な現象があったとしても、この先どうなるか分からない。
合理的なサンプル抽出とともに、将来にわたってその「150人近い患者さん」の経過を見る前向き調査を行う必要があるだろう。
もうひとつの問題点は、「がんもどき」の提唱者である近藤誠医師自身が、「本物」と「もどき」の違いを「わからないことが少なくありません」としている点だ。
それでは医療現場では通用しないだろう。治療方針を決めるには、当たり前だが診断が前提だからである。
後になってから、「これはがんもどきだったのだ」などとわかっても、患者にとっては何の意味もないのだ。
つまり、結果として「がんもどき」であったとしても、診断時点で「もどき」を前提とした治療に留める条件が現在の医学ではできていないのである。
「本物のがん」とやらでも治療して助かった例
世の中には転移した「本物のがん」とやらでも治療して助かった例はいくらでもある。
大腸がんが転移して6度手術した関原健夫さん氏、胃や食道や脾臓や肝臓や膵臓などに転移した高杢禎彦さん、胃がんでリンパ節2箇所転移していた王貞治会長ら、転移した「本物のがん」を治療して助かって完治宣言している人はいくらでもいる。
関原健夫さんらは、病気が広がっていた「本物のがん」だから、明らかに治療(切除)をしたから助かったのだ。
もし、がんもどきの理論に従っていたら、その人たちは今頃お星様になっていた。
その事実から見ても、近藤誠医師の主張は「勇み足」である。
つまり、医学的には、診断ができる客観性、再現性がない限り、「がんもどき」はまだ仮説にすぎないのである。
また、本物のがんは治療するな、などとはいえないのである。
もとより、大橋巨泉さんの言葉を紹介したように、治療するかどうかを決めるのは患者本人である。
病気の診断というのは、「疑い」の場合、疑えるものを前提に徹底的に検査をし、その疑う根拠が完全に否定された時、初めてシロになる。
「疑わしきは治療せず」で取り返しがつかないことになって、近藤誠医師はどんな責任が取れるのだろうか。
抗がん剤は、がんを多少小さくするだけで完全になくせるわけではないので、つまり治せるわけではないので無力だ、という意見もある。
しかし、竹原慎二さんのようにステージが重くなった場合、たとえば抗がん剤でがんを小さくしたから手術するとか、周囲にちらばったがんを叩くとか、完全になくせなくても大事な役割を果たすことはある。
現在の医学の不十分さが「がんもどき」支持につながったのか
では、近藤誠医師の言い分は一顧だにせず捨て置けるかというと、そうともいえないところがむずかしいところだ。
「がんもどき」はともかく、がんの部位によって早期発見を目指すことがが有効な場合とそうでない場合があるのは事実だからだ。
また、医師や病院によって治癒できるかどうかにも差がある。
早期発見の有効性や検査方法などについては、医師や医学者の間でも議論が重ねられ、インターネット時代のこんにち、その情報は学会に入っていない素人でもある程度分かるようになっている。
医師や病院の評判と個別の治療成績の関係は判断が難しいが、セカンドオピニオンをとることで比較判断は可能である。
残念ながら、こんにちのがん治療は絶対ではない。
といっても、あらゆる民間療法に現代医学にかなうものはない。
ということは、現代社会で、より確率が高いもっとも信頼のおける治療は、現代医学に基づいた通常の治療であることは間違いないのである。
だから、近藤誠医師のように頭から否定するのではなく、限界と可能性をきちんと知った上で前向きにとらえ、自らの価値観で判断することが現時点での正解であるろう。
以上、がんもどき理論を提唱したのは近藤誠医師。それをすれば必ず治るというわけではないから、理論を熱心に信奉する人はいまも多い。でした。
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