カルト否定派はどう考えるか?という話である。大槻義彦氏が自分を売り出すのに使ってきた文句は、自分は徒手空拳でオカルトとその信奉者に立ち向かっている、という「弱者」論だ。自分の不都合な人間には「抵抗勢力」というレッテルを貼ってしまう。
そして、単純な大衆を味方につけた、かつての小泉純一郎氏と同じ手だ。
大槻義彦氏の小泉純一郎的手法は飽きた
こういう主張は、往々にして被害者意識も強く話がオーバーなものである。
ただ、オーバーなだけならいいが、そのホラや偏狭な主張が、事態を正しく描かず、人を傷つけたり、周囲の人たちに誤解を与えたりすることがある。
たとえば、大槻義彦氏は江原啓之の批判をしたかったが、江原タブーのマスコミに干されたとあっちこっちで述べている。
大槻義彦氏は、宜保愛子氏の時も、少なくとも彼女がマスコミに出ている時にたたかっている。
彼女が死んでから、安全なとこから批評を書いた人とは違う。
だからその点は信用しよう。
だが、自分が正しすぎて孤立したような美化はやり過ぎだ。
たとえば、反江原本を出した時、ちゃんと『紙の爆弾』という雑誌のインタビューに登場できたではないか。
ある夕刊紙がプッシュして、インタビューが実現したと聞いている。
ちゃんと大槻義彦氏を支えている人がいるではないか。
ところがその中身がいただけなかった。
裁判で江原啓之氏を黙らせ、マスコミを謝らせるというものだった。
科学と民主主義は現代社会発展の車の両輪という大槻義彦氏のもっともらしい主張がしょせん聞き書きに過ぎないことが、この暴論でばれてしまった。
あまりにも酷すぎる意見だったので、その翌月号で、筆者は大槻義彦氏インタビューに対する反論を寄稿した。
もっとも、信者はそれがお気に召さなかったらしいが。
いずれにしても言えることは、大槻義彦氏は、徒手空拳の弱者などではないし、そもそも大槻義彦氏の主張自体、聞き書きで中身のないものだったと疑いきちんと検証する必要があると思う。
もうひとつ、大槻義彦氏はジャパン・スケプティクスを一時期辞めたとき、「オカルト連」に中傷されて騒ぎを沈静化するためにと理由を言っている。
それについても多少異なる見解もあるようだが、筆者はジャパンスケプティクスに入れ替わりで入っているので、そのときを知らないし、興味もないから、そういうことならそれでいいと思う。
だが、そういう了見なら、会則や入会の条件など厳しくすべきだった。
「オカルト連」であるにもかかわらず、会に入れて会費をいただいておいて、役員でありながらその人(たち)相手に、「おまえらがいるならオレはやれない」なんて、そんな失礼なことは一般の社会では通らない。
大槻義彦氏や、その件で大槻義彦氏をかばう書き方をしている、現在のジャパンスケプティクス会長はどう考えているか知らないが、これは対外的には大槻義彦氏に同情すべきことではなく、恥ずかしいことだと思う。
なぜなら、いかに、ジャパンスケプティクスという会が無規定な入り口で人を集め、曖昧に運営されていたかを示すものだからだ。
その後、ジャパン・スケプティクスが与信管理の甘さから、持ち金をほとんど失って会誌も出せなくなった時、大金をポンと寄付してくれたのは、役員達がコバカにしていた、どちらかといえば、大槻義彦氏がいうところの「オカルト連」の一人であった。
その人とは、懇親会で話したことがあるのだが、大槻義彦氏はビジネスとして疑似科学批判をやってるから、いつでも意見がひっくり返ると言っていた。
その時は聞き流していたが、その後、大槻義彦氏が「論敵」とCMに出ているのを見て、筆者は改めてその人の大槻義彦論を思い出した。
自分自身に対するスケプティクスになれ
大槻義彦氏がタレント業に精を出していた10年間、どれだけ会運営が大変だったか。
大槻義彦氏はジャパンスケプティクス復帰にあたって、「オカルト連は去った」と息巻いていたが、筆者もその一人だといいたいのだろうか。
だとしたら、あまりにも悲しいことである。
大槻義彦氏にどんな言い分があろうが、会を離れてタレント業に走り、苦労を残った者に押しつけたのだ。
筆者に対して、いや、それこそ「オカルト連」に対しても、口汚くののしれるような立場や経緯ではないだろう。
そんなことをしたら、人間性を疑われる。
普通の人はそう考える。
オカルト村のカルト否定派は、この程度のことすらわからず、大槻義彦氏の言い分をそのまんま鵜呑みにしている。
自分自身に対するスケプティクスになってほしい。
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