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ジャパンスケプティクスのほぼ唯一の活動である機関誌の発行が遅れていたが、それだけでなく禍根の残る不掲載の経過があった件

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ジャパンスケプティクスのほぼ唯一の活動である機関誌の発行が遅れていたが、それだけでなく禍根の残る不掲載の経過があった件
ジャパンスケプティクスという、いわゆるオカルト的現象や疑似科学について、批判的・科学的に調べると標榜する会の機関誌発行が以前から遅れていた。もともと活動が殆ど無い会のため、会員にとって唯一の“入会した意味”が機関誌である。

筆者は同会の副会長をもうやめているが、未だに問い合わせがある。

たしかに、筆者が関わった頃の機関誌がまだ出ていないので、そのことについて発言する必要があるだろう。

機関誌の遅れは査読の遅れ以外の理由はない

ジャパンスケプティクスの機関誌は、筆者が役員をしていた頃は、『NEWSLETTER』という活動報告と会員の投稿を掲載したものが年数回、『Journal of the JAPAN SKEPTICS』という、その年度の総会の日に行われる記念講演とシンポジウムの載録、および調査レポートを掲載したものが年1回出ることになっていた。(その後、会員が減り、また編集制作者もいなくなり『NEWSLETTER』はなくなったらしい)

ちなみに、『Journal of the JAPAN SKEPTICS』の掲載論文が学術的な実績になるのかどうかを、その後会長になったある物理学者M氏が質問していたが、運営委員会としては、「ならないんじゃないか」ということだった。

『Journal of the JAPAN SKEPTICS』は、筆者が編集を受け持っていたのだが、その前任者が、論文集だから査読人が必要だと提案し、寿岳潤という長老役員がそれを担うことになった。

寿岳潤氏は、安斎育郎氏の前の会長で、会長勇退後も運営委員には名を連ねていた。

ところが、寿岳潤氏は原稿をもったまま、なかなか査読を行わないために、機関紙の発行が遅れてしまったわけだ。

それは、会員にとって不都合なだけでなく、編集担当だった筆者ががサボっているかもような誤解を与えかねないことなので、大変迷惑した。

ほんと、なんとかしてもらいたかった。

といっても、最初、寿岳潤氏は、筆者の催促に対して、「老人的サボり病です」と、自分の査読が進まないことを自己批判していたから、筆者からはそれほど強くは催促しなかった。

当時の安斎育郎会長は、立場上何度もの寿岳潤氏委員に催促していたが、そのうちそれが追い詰められたと思ったのか、寿岳潤氏委員は態度を硬化させ、「学会では投稿が何年も掲載を待たされることはめずらしいことではない」などと、居直り始めてしまった。

その結果、『Journal of the JAPAN SKEPTICS』が一時期は4年も遅れてしまったのである。

それ自体、大変問題なのだが、今回述べたい、さらに由々しき問題は、毎回載せることになっていたシンポジウムが掲載されなかったことである。

その後、役員は改選され、安斎育郎会長も、筆者も、寿岳潤委員も役員を降りているのだが、機関誌は相変わらず、寿岳潤委員が関与する形で作られていた。

シンポジウム不掲載も、寿岳潤委員の独断で決められたと思われる。

という前提を頭に入れていただいた上で、以下をお読みいただきたい。

活動が寂しくなっていたジャパンスケプティクス

ジャパンスケプティクスの機関誌『Journal of the JAPAN SKEPTICS Vol.15』が送られてきた。

2折りに満たない28ページ。

いよいよ中身は薄くなっていく。

筆者が編集を担当した4号前は112ページあったので、約4分の1の厚さに減ったわけだ。

筆者が苦労して苦労して苦労してせっかく平綴じにまでもってきたのが、あっさり中綴じに戻っている(涙)。

2つの機関誌を併合して回数を減らしてもこのザマだから、客観的に見れば、安斎育郎前会長時代に比べ、会活動は言論・研究発表活動において量的に(おそらく質も)後退していると指摘せざるを得ない。

編集後記によると、現編集人の高橋昌一郎氏は、レイアウトを変えたことを自慢しているが、それは筆者が在任中から提案してきたことである。

ところが、筆者が担当していたときは、松田卓也現会長を含めて現在残っている役員は、誰一人として筆者をコバカにしまくって編集作業に協力せず、いくつかの提言にも何の返事もしてもらえなかった。

安井至氏という“大物”を招聘しながら、記念講演&シンポジウムの参加者が、たった38名(うち非会員2名)で「盛況」と表現するのも、組織内に向かって「いいこと」しか語れない、内向きの思考や志の低さがうかがえる。

安井至氏にも失礼である。

2000年に江川紹子さんと、当時は会員でなかった紀藤正樹氏をお招きしたときは、約70名収容の会議室が”フルハウス”で立ち見もでた。

翌年の的川泰宣氏のときが約60名、次の考古学捏造問題のときも、テーマが会のメインテーマではなく、かつ地味ではないかと心配されたが、それでも参加者は最終的に40名近くになっていた。

2004年頃までは、筆者がインターネットで宣伝活動を行っており、そこから参加した非会員の数が、現在よりも多かったのだ。

たとえば、2000年の場合、筆者の宣伝が源泉であると特定できた非会員の参加者は16名だった。

「特定できた」というのは、筆者経由で参加の予約をした人がそれだけいたということで、筆者の宣伝を見て、当日、まっすぐ会場に足を運んだ方の人数は含まれていない。

おそらくその方々を含めれば、さらに「宣伝による動員」の数は増えるであろう。

しかし、松田卓也会長は筆者のそうした活動を過小評価した。

筆者に宣伝の依頼もなく、また新体制が何か具体的な宣伝広報を行っている様子も見受けられなかった。

その結果が今回の「2名」なのだ。

筆者ごときのやることなど、くだらなくうつったのかもしれないが、目立たないけれど地道に努力する筆者の9年間を、松田卓也会長は侮りすぎていたのではないだろうか。

会はシンポジウム不掲載問題にどう決着をつけるのか

それはさておき、同会では年1回、唯一といってもいい活動(苦笑)として、総会の日にゲストをお招きして記念講演とシンポジウムを行っているが、機関誌ではその誌上載録を行ってきた。

ところが、2004年度以来、シンポジウムの載録が行われていない。

2006年度以降は新体制になり、おそらくマンパワーの関係から、新体制の方針として載録をやめたのかもしれないが(いずれにしても会員に対してそれを断らないことは釈然としないが)、ここで述べておきたいのは、前体制の2004年分と2005年分が不掲載だったことについてである。

地方在住で、講演&シンポジウムを見に行けない会員にとって、そのリアルな載録は、会員であることの唯一といってもいい利益になっている。

にもかかわらず、そのひとつが何の断りもなくのぞかれたのだから、事は重大である。

2004年に、大阪大学の池谷元伺さんをお招きして行われた「地震の前、動物は何故騒ぐのか」の場合は、もちろん掲載される予定で、当時同会の副会長だった筆者は、池谷元伺さんからデータも預かっており、載録に向けて打ち合わせも行っていた。

ところが、すでに会議にも出でこれない状態だったにもかかわらず編集作業の担当を希望する寿岳潤委員が、運営委員会の取り決めを守らず講演者に勝手に接触し、結果としてシンポジウムの中身は載録されないとの報告を行った。

2人とも鬼籍に入っており、何があったかは明らかにされていない。

が、池谷元伺さんがブチ切れて載録を断ってきたか、寿岳潤委員が独断でボツにしたか、ごく当たり前に推理すればそのどちらかでしかない。

おおかた、宏観異常現象など取り上げることはまかりならぬという寿岳潤委員の判断が働いたのだろう。

だが、当日のシンポジウムは、「科学とは何か」という視点から、安斎育郎会長(当時)の進行で非常に興味深い話もあった。

それも含めて全てを正々堂々と載録し、会員に読んでもらって考えてもらえればいいことである。

そもそも、その講演&シンポジウムに、寿岳潤委員は出席していなかった。

ところが、出来上がってきた機関誌は、シンポジウムが載録されていないだけでなく、池谷元伺さんに対する反論の投稿だけが2本も載っている。

これはあんまりだろう

こういうのを、日本語では「だまし討ち」というのではないか。

少なくとも、当日のリアルな再現にはほど遠い一方的な紙面構成であったと言わざるを得ず、池谷元伺さんには気の毒なことをしたと、筆者個人は思っている。

読解力のない短気な人の反論が来ないように、前もって書いておくと、いわゆる宏観異常現象に対する批判的立場を否定しているのではない。

そうではなくて、講演者を招聘したのは会の側なんだから、少なくともシンポジウムで実際に語られた事実ー講演者の真意はあますところなくお伝えしろ、その上で堂々と批判しろ、ということだ。

この意見、間違っているかな。

もし、寿岳潤委員の独断による載録見合わせだったなら、それは会が委員の家父長的な支配を受けているといわれても仕方のない誤りであるとともに、委員が一般会員の判断力を信用していないということになる。

また、講演者の意向で載録が見合わせられたとすれば、いったい何がそうさせたのか、会員のためにも、それをきちんと明らかにする責任が会にはある。

2005年度の「『創造VS進化』論争」も同様である。

会は、このときのシンポジウムの載録を機関誌で行うと予告(NEWSLETTER No.58)した事実がありながら、それを守っていないし、守らないことを詫びてもいない。

時間が経てばごまかせるとタカをくくっているのだろうか。

前副会長として自戒の念も込めて打ち明ければ、この会にはこのての思い上がりやいい加減さが目立った。

それが残念でならない。

どうせ、この会の物理学者連中は、会員は後援会員として、黙って会費だけ払えという考え方なのだろう。

付記

寿岳潤委員は2011年に亡くなったので、亡くなった人については、それが事実であれば法的にも問題ないことから、「長老委員」は寿岳潤氏であることを明かすことにした。

当時の運営委員で、異論・反論がある方は、証拠とともにお述べいただければ、ここに記載したい。

なぜ疑似科学を信じるのか: 思い込みが生みだすニセの科学 (DOJIN選書)
なぜ疑似科学を信じるのか: 思い込みが生みだすニセの科学 (DOJIN選書)

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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