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マナー違反する「他人の子ども」に注意できるかが話題になっているが根源的には親が叱らないところに問題があるという声

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マナー違反する「他人の子ども」に注意できるかが話題になっているが根源的には親が叱らないところに問題があるという声

マナー違反する「他人の子ども」に注意できるかどうかが話題になっています。周囲に迷惑をかける子どもに人が注意をするのは「アリ」なのか。しかし、根源的には親が叱らないところに問題があり、それはリバタリアニズムではないでしょうか。

リバタリアニズム、という言葉が話題になっています。

個人の自由権を絶対的に重視し、それに制約を加える国家の役割を、最小限度にとどめようとする自由至上主義の思想。

リベラリズムと似ている言葉ですが、意味は対象的です。

リバタリアリズムとは、経済的には保守、個人的にはリベラルで、リバタリアニズムは経済、個人の両軸で「自由主義」を求める思想のことです。

一方、経済的には国家が市場により介入する政治思想のことをリベラリズムといいます。

要するに、リバタリアリズムとは、経済的には新自由主義、個人も最大限に干渉を否定する自由主義です。

税金も払いたくない、ドラッグも好き勝手にヤらせろ、徴兵制にも反対。

大きな政府も否定。

要するに、あらゆる国の取り決め(干渉)を否定する「自由」主義です。

それはすなわた、社会の決まり、公衆道徳も守る立場にない、ということです。

一面、個々人の自由を尊重しているようですが、問題はその尊重の範囲、ということになります。

……ということを踏まえた上で、以下をお読みください。

下手に声をかけるとトラブルに巻き込まれるかも?

2018年11月14日放送の、TOKYOFMの番組「高橋みなみの『これから、何する?』」(TOKYOFM)の番組で、「逆ギレが怖い…マナー違反する『他人の子ども』を注意したほうがいい?」というTFM+コラムが取り上げられました。

子どもが周囲に迷惑をかけているのに叱らない親を目の当たりにしたとき、他人が注意をするのは「アリ」なのかどうか……

みなさんは、いかが思われますか。

TOKYOFMのブログによると、番組終了後にそれをYahoo!で記事を配信したところ、コメント欄には予想を超える反響があったということです。

これがツイートです。


たとえば、番組にはこんなメッセージが届いたそうです。

「以前、駐車場で迷子になっている子を見かけたので、声をかけてサービスセンターに連れていったら、迎えに来ていた親御さんに『勝手に人の子に触るな!』と怒られてしまいました。そのあとも、子どもがフラフラしているところを何度も見かけて、ちょっとムカついてしまい『親ならもっとちゃんと子どもを見ておいて! 何かあってからでは遅い!!』と言いました」

このエピソードに、たかみなは「なんでこんなことが起こるんでしょうか。まずは、お礼を言うのが当たり前では……」とコメント。このエピソードは、子どもが何か迷惑をかけたわけではありませんが、下手に声をかけるとトラブルに巻き込まれるかも……と思ってしまい、見て見ぬふりをするようになってしまうのも分かります。

Yahoo!コメント欄では、子どもを注意しない親側への批判が多く集まりました。

あなたはどう思われますか。

Web掲示板では他人に関わりことへの厭世感

それに対して、Web掲示板でも様々な意見が書き込まれています。

【ラジオ】逆ギレが怖い…マナー違反する『他人の子ども』を注意したほうがいい? たかみな「お礼を言うのが当たり前では…」

>俺もスーパー父親と追いかけっこしてる3歳児にぶつかったら怪我するよって注意した事あるなぁ 父親はあっちで遊ぼとか顔も合わせず去っていったが

>他人とは関わらない方が無難

>関わったら負けだぞ 一部の市なんて挨拶したらNGだからな

>たかみな良いこと言ったな 親の育て方が良かったんだろうな

>スーパーで鬼ごっこしてる子供いて親は何してるんだと思ったら父親が鬼ってパターンな あれ見ると日本終わったなって思うわ

>他人を助ければ文句を言われる 他人を見捨てれば文句を言われる 助けてもらえば嫌な顔をされる 助けを求めれば嫌な顔をされる それが日本

>ガキが走り回ってぶつかってきたの見てるのに、子供を注意もしない、こっちに謝りもしないバカ親 日本の将来どうなるんだろ

避けたいという意見ですね。

高嶋ちさ子さんもフンガイ

1週間前も、高嶋ちさ子さんが、関連したツイートをしています。

思うにこれは、他人の子供を注意すべきかどうか以前に、自分の子供を注意しない親に根源的な問題があるのではないでしょうか。

根底に横たわる“心の新自由主義”

やはりそこには、犯罪にさえならなければ「自由」に何をやってもいいだろう、迷惑をかけようが、他人に何と思われようが、自分さえ良ければそれでいい、という気持ちがあるのではないでしょうか。

これは、先日の瀬戸内寂聴さんの記事で書いた、リバタリアニズムではないかと思います。

リバタリアニズムは、自由至上主義、自由尊重主義、自由放任主義などと呼ばれることもあります。

要するに、無原則な自由であり、他者や社会との衝突という点から見れば、自分勝手という表現も含まれるでしょう。

「うちの子が楽しく電車の中やスーパーを走り回っているのだから、それに注意をするのはうちの子に対する干渉である」

それはまさに、リバタリアニズム的発想です。

「私が不倫を楽しくてやっているのだから、世間があれこれ言う必要はない」

という瀬戸内寂聴さんの言い分とそっくりです。

それによって、不都合、迷惑が生じる人の立場や心境を全くか考えていない点が共通しています。

多くの人は、瀬戸内寂聴さんを非難しますが、翻って、自分も自分や自分の子供に対して、リバタリアニズムはあるかもしれない、と顧みてもいいかもしれません。

そもそも、瀬戸内寂聴さんは住職ですからね。

仏門に入った者には、「仏法僧」といわれるように、出家者が戒律を守るのは仏教では当然のことなのです。

そもそも、日本の大乗仏教は、戒律の面が甘いと言われていますが、瀬戸内寂聴さんはそれ以外にも、八正道の「正語」、すなわち汚い言葉を使うなという戒律も破っています。

自分が支持していない小池百合子都知事候補(当時)が、顔のあざを隠すのを「厚化粧」とののしったり、死刑制度について賛成派の意見を「殺したがるバカども」と唾棄したりしています。

意見が違うからと言って、汚い言葉を使って良いという教えは、仏教のいかなる宗派にもありません。

こうした瀬戸内寂聴さんの、堪え性のない煩悩むき出しの態度について、多くの人は瀬戸内寂聴さんを非難しますが、翻って、自分も自分や自分の子供に対して、リバタリアニズムはあるかもしれない、と顧みてもいいかもしれません。。

まずは隗より始めよ。

自分にとっての自由と、社会的な規制との衝突に、折り合いをきちんとつけて、常識ある行動をとれるようにしたいものです。

以上、マナー違反する「他人の子ども」に注意できるかが話題になっているが根源的には親が叱らないところに問題があるという声、でした。

子どもの躾は免疫主義しかない―マナーを知らない子にしないために
子どもの躾は免疫主義しかない―マナーを知らない子にしないために

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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