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三原葉子(1933年1月10日~2013年7月)さん。かつては新東宝の伝説的グラマー女優である。令和時代にどのくらいの方がご存知?

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三原葉子(1933年1月10日~2013年7月)さん。かつては新東宝の伝説的グラマー女優である。令和時代にどのくらいの方がご存知?

三原葉子(1933年1月10日~2013年7月)さん。かつては新東宝の伝説的グラマー女優である。令和時代にどのくらいの方がご存知だろうか。肉体派と言いながらも、実は清楚な役もコメディーもイケる器用な女優で、東宝や東映の作品などでも活躍しました。

この記事は、以下敬称略とします。

三原葉子という女優をご存知でしょうか。

三原葉子の訃報が話題になっています。

1950~60年代の映画で官能派女優として、ひときわ輝いていた存在感のある女優だったのです。

Web掲示板では、印象に残る新東宝時代の彼女の出演作が枚挙されています。

女吸血鬼
女間謀・暁の挑戦
人喰海女
女体桟橋
女体渦巻島
女王蜂と大学の竜
緋牡丹博徒・お竜参上
ならず者
いれずみ突撃隊
猛吹雪の死闘
爆弾を抱く女怪盗
女奴隷船

「池内淳子、大空真弓、三ツ矢歌子はお色気では勝てないね( ノД`)シクシク…」という、新東宝マニアの批評もあります。

まあ、当時の彼女たちは、「お色気」で売ったわけではなく、とくに大空真弓は若かったですしねえ。

大きな賞や、映画史に残る代表作があるわけではありませんが、なぜか彼女の全盛期を知らない「遅れてきたファン」がネットには多く、「三原葉子」で検索するといろいろなページが出てきます。

そんな中で『日刊ゲンダイ』(2016年2月22日付)に連載されている、映画ジャーナリスト・大高宏雄さんの読み物に、三原葉子の訃報が取り上げられました。

肉感派女優としての先駆者的な活躍

『日刊ゲンダイ』(2016年2月22日付)より

『日刊ゲンダイ』(2016年2月22日付)より


大高宏雄さんによると、ネットでは、「最近死去の報が流れ、話題になっていた」とされていますが、wikiには、2013年に亡くなったとされているので、亡くなってからかなり時間がたって、訃報が明らかになったということでしょう。

しかし、ヘアヌード当たり前の現在、なぜ、50年も前に活躍した「セクシー女優」のファンが多いのでしょうか。

ひとつは、三原葉子が、肉感派女優としての先駆者的な立場だったからでしょう。

もう、伝説の人になってますよね。

当時は、ラブシーンもそれほど多くなく、体を売り物にするのは、かなり勇気がいったのではないでしょうか。

もうひとつは、三原葉子の肉体が、次代のニーズにマッチしていたのだと思います。

今は、ボン・キュッ・ボンなどといって、細くするところは細くしながら、一方で胸だけは異常に大きな「グラドル」がもてはやされます。

まれに、樽ドルなどという売り方もありますが、ただ太っている、というだけのキワモノになってしまいます。

人工的でない、しかもドキドキするようなグラマラスな体躯というのは、なかなかお目にかかれません。

それは、1967年にツィッギーが来日して以来、我が国の女性にはスマート志向があるからでしょう。

しかし、それは本来、「スウィンギング・ロンドン」という欧米の体型を前提としたひとつの価値観であり、日本人に必ずしも合うわけではありません。

しかも、その欧米版「スウィンギング・ロンドン」以前は、マリリン・モンローのような、膨よかな胸、腹、尻、そして白い肌を備えた体がもてはやされました。

三原葉子は、まさにその体だったわけです。

思えば、リンゴを持ったヌードの麻田奈美にしても、決して「ボン・キュッ・ボン」でも「スウィンギング・ロンドン」でもありません。

かといって、「樽ドル」のようなだらしなさでもありません。

日本人が従来から好んできた、健やかなふくよかさに魅力を感じているのでしょう。

豊満な肉体を出し惜しみしない、その思いきりのよさに悩殺され、にじみ出る女の悲しさにもジーンときたわけです。

豊満な肉……ずいぶんとそそる表現です。

もっとも、三原葉子が惜しげもなく体を魅せていたのは、1950年代後半の新東宝であり、三十路に入った60年代以降は、フリーになって東映などで仕事をしていますが、露出を控えています。

その意味で、三原葉子の全盛期の作品は、そのまま「お宝」ということになるのでしょう。

たとえば、私が観た三原葉子は、1960年代の東宝を支えた喜劇駅前シリーズの『喜劇駅前温泉』(1962年)でした。

伴淳三郎が経営する温泉旅館で、客の背中を流す女性として出演していました。

ただし、露出はワンピース水着で、かなり控えめでした。

この時点で三原葉子は29歳ですから、今ならまだ現役でも当時で考えると、もう「おばさん」の域に入っており、全盛期は過ぎたと自他ともに考えたのかもしれません。

続く、喜劇駅前シリーズの『喜劇駅前飯店』(1963年)に至っては、何と普通に洋服を着た役になってしまっていました。

それにしても、大きな賞や、映画史に残る代表作があるわけでもないのに、「遅れてきたファン」がネットにはたくさんいるというのは、女優冥利につきるのではないでしょうか。

『喜劇駅前温泉』(1962年)


ということで、『喜劇駅前温泉』(1962年)も簡単に振り返っておきましょう。

『喜劇駅前温泉』の舞台は、国鉄磐越西線の岩代熱海駅。今は磐梯熱海駅と改称されています。

そこは、福家旅館(森繁久彌)、極楽荘(伴淳三郎)というふたつの大きな旅館が張り合っています。

森繁久彌側には床屋の淡島千景、芸者置屋の沢村貞子、伴淳三郎側には夫人の森光子、指圧派遣元の赤木春恵がついています。

伴淳三郎は地元観光協会の会長をつとめていますが、任命されたた事務局長(フランキー堺)は、どちらかというと森繁久彌寄り、という3人はいつもの対立関係です。

森繁久彌の娘には司葉子、伴淳三郎の隠し子には夏木陽介がいますが、2人は結婚を考えています。

伴淳三郎の義理の妹(菅井きん)は、娘と物乞いをしています。

観光協会は、町おこしを考えますが、そこで出てきたアイデアは温泉の町ということで三助大会。

森繁久彌と三原葉子、伴淳三郎と赤木春恵、柳家金語楼と旭ルリという3組が、どういうルールかよくわかりませんが競い、伴淳三郎チームが優勝します。

いろいろあって、夏木陽介が隠し子であることも明らかになり、司葉子とも無事結婚します。

娘を送り出す森繁久彌には喪失感が。それを菅井きんの娘が慰めてくれます。

その他、森繁久彌の軍隊時代の下士官役で三木のり平が、その女房に淡島千景の友人という設定で淡路恵子が出演。福家旅館にしばらく客として宿泊します。

三原葉子は、その中で、お風呂で背中を流す役のため、自分自身が温泉に入るわけではなく、水着姿止まりです。

しかし、伝説の肉感派女優にお目にかかれる貴重な作品であると思います。

以上、三原葉子(1933年1月10日~2013年7月)さん。かつては新東宝の伝説的グラマー女優である。令和時代にどのくらいの方がご存知だろうか。でした。

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この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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