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『仁義なき戦い』といえば、東映の実録映画シリーズの金字塔となったヒット作品で、飯干晃一さんの同名書籍を原作としています。

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『仁義なき戦い』といえば、東映の実録映画シリーズの金字塔となったヒット作品で、飯干晃一さんの同名書籍を原作としています。

『仁義なき戦い』といえば、東映の実録映画シリーズの金字塔となったヒット作品で、飯干晃一さんの同名書籍を原作としています。その原案を書いたのは、「戦い」の当事者でもあった美能幸三さん。原案料は古着だったという話が週刊誌に書かれました。

『仁義なき戦い』が、暴力団排除条例が施行されて10年以上たったにもかかわらず、今もFacebookの昭和関連グループでもしばしば話題になっています。

やはり、作品として魅力があるということでしょう。

抗争の流れ弾に当たったら困るが、そうでなければ文字通りピカレスクロマンを見るような興趣を大衆はヤクザに抱いているのかもしれません。

ヤクザ映画ですが、特定のヤクザを英雄とした話ではなく群集活劇で、戦後の暗黒社会の一面を示したドキュメンタリーでもありました。

そして、その原案者として知られているのが、広島・呉の有力ヤクザだった美能組を率いていた美能幸三さんです。

『仁義なき戦い』とはなんだ

本作は、呉にあった美能組の美能幸三さんが手記にし、それを作家の飯干晃一さんがノンフィクション小説として、『週刊サンケイ』1972年5月19日号から「広島やくざ・流血20年の記録 仁義なき戦い」と題して連載(全46回)

それが、東映によって映画化されたのは1973年です。

  • 仁義なき戦い(1973年1月13日公開)
  • 仁義なき戦い 広島死闘篇(1973年4月28日公開)
  • 仁義なき戦い 代理戦争(1973年9月25日公開)
  • 仁義なき戦い 頂上作戦(1974年1月15日公開)
  • 仁義なき戦い 完結篇(1974年6月29日公開)

今はないのですが、蒲田東映という映画館に、この5本立てを中学生なのに見に行きました。

5作のシリーズというと、年に2本として2.5年ぐらいかかってもおかしくないのですが、東映は封切りのローテーションが早かったのと、大ヒットしたので、余韻冷めやらぬうちに一気に作ってしまおうという感じで制作されたのではないでしょうか。

その大ヒット映画の原案を作ったのが、抗争の当事者でもあった美能幸三さん。

現在では、こういう映画は作れません。

当時も、難しい映画だったかも知れませんが、美能幸三さんによって、実現しました。

しかし、美能幸三さんはに報酬は支払われていないようです。

それはどうしてなのか、ということも週刊誌には書かれています。

週刊文春によると、美能幸三さんには、原案料として東映衣装部の古着が贈答され、美能幸三さんはそれをもとに貸衣装も含めた結婚式場業を起業したと書かれています。

美能幸三さんは原案料を受け取らなかったという

『仁義なき戦い』は、今話題になっている山口組が当時、直接縄張りをとっていなかった地域である広島で、田岡一雄組長から舎弟盃をおろされた打越信夫打越会会長と、本多会系列に入った山村辰雄山村組組長による抗争です。

原作は、飯干晃一さんが上梓した同名の書籍。

ただ、飯干晃一さんの完全オリジナルではなく、当時の新聞報道に腹を立てた美能幸三さんが、獄中で真実を明らかにしようとすべてを実名で明らかにした、700枚に及ぶ手記手記を編纂。

『週刊サンケイ』に連載したものといわれています。

後にそれをもとに笠原和夫さんが脚本を書き、深作欣二監督が東映で映画化して大成功したものです。

Wikiによると、もともと『週刊サンケイ』が手記を入手した時点で、東映には映画化の話を持ちかけていて、ヤクザの手記をそのまま映画化ではなく、いったんプロの作家による作品として表に出してから映画化しようということになり、書き手として飯干晃一さんに白羽の矢が立ったといいます。

『週刊文春』(2012年5月3、10日号)には、鬼籍に入った美能幸三さんとのインタビューを、鈴木智彦さんが回顧する記事が掲載されています。

その内容は、映画はすべて実在の人物とは異なる描き方をされていると否定したり、『仁義なき戦い』というタイトルを認めなかったり、初対面で自分は今は「美能」ではないといったりなど、美能幸三さんがともすれば気むずかしい人物であるように書かれています。

そういえば、漫画家のももなり高さんが描いたヤクザ漫画『山口組武闘史』に出てくる美能幸三さんは、他のヤクザたちのごつい面を強調した描き方と違い、田端義男と角川博と鳥羽一郎を足して3で割ったような凝った描き方をされずいぶん気を遣われていたように見えました。

その原作者の溝口敦さんは、その理由になるのか、美能幸三さんについてこんな書き方をしている。

美能幸三は10年3月亡くなったようだが、筆者は山口組若頭・山本健一の取材で、88年美能本人や二代目美能組組長・薮内戚佐男らに呉で会い、話を聞いたことがある。

 美能に会って、粘着質で細かい部分が気になる人だろうなと感じた。なにしろ取材した後、追っかけて電話を寄越し、「先ほど自分はこう言ったけど、その.意味はこうだから。誤解するといけないから、今こうして電話したわけだ」などと注釈を加える。当時、美能は呉で結婚式場を営み、それなりに穏やかな生活を送っているように見受けた。

 広島代理戦争(第二次広島抗争、1963年4月~67年8月)はもっぱら打越会(打越信夫)対山村組(山村辰雄)の抗争であり、美能組・美能幸三はサブ的な役割のはずだが、とはいえ美能が広島代理戦争の要所要所で重要な舞台回しを演じたことは間違いない。(小学館『抗争』より)

『週刊文春』によれば、美能幸三さん、原案料はもらわなかったが、東映の衣装をもらい下げたことをきっかけに、結婚式場などの事業を発展させたといいます。

つまり、産経新聞社が支払わなかったのではなく、美能幸三さんが受け取らなかったんですね。

決して本意でない映画化を黙認したり、正式な原案料は1円ももらわなかったりと、実は美能幸三さんは、熱心で侠気な心の持ち主だったのかもしれません。

いずれにしても「サブ的な役割」でありながら、極道史に名を刻む人物の回顧談は興味深いものでした。

以上、『仁義なき戦い』といえば、東映の実録映画シリーズの金字塔となったヒット作品で、飯干晃一さんま同名書籍を原作としています。でした。

仁義なき戦い - 菅原文太, 梅宮辰夫, 松方弘樹, 渡瀬恒彦, 金子信雄, 曽根晴美, 田中邦衛, 名和宏, 笠原和夫, 深作欣二
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この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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