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『実力も運のうち 能力主義は正義か?』という書籍は、「公平」を建前とする能力主義が実は公平でないという指摘が話題です

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『実力も運のうち 能力主義は正義か?』という書籍は、「公平」を建前とする能力主義が実は公平でないという指摘が話題です

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』という書籍は、「公平」を建前とする能力主義が実は公平でないという指摘が話題です。マイケル・サンデルさんの新著で、努力だ、実力だといったところで、どういう親に生まれるかで前提が変わってくるという話です。

「親ガチャ」とはなんだ

「親ガチャ」というキーワードが話題です。

境遇は運次第、本人には選べないという意味です。

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(マイケル・サンデル・著 鬼澤忍・訳/早川書房)という書籍についてのる、鴻巣友季子さん(翻訳家)のブックレビューをご紹介します。

内容は同書についての紹介です。

  1. 子は、どんな親から生まれるかを選べない(生まれには不公平がある)
  2. 子はいかなる人生を歩むにしろ、親の遺伝子、経済力、文化水準、人脈などに「ほしのもと」を前提とする生き方から逃れられない
  3. 3.したがって、一見公平な実力主義(学歴社会)をうたっていても欺瞞性がある

という、ごくごく当たり前の話です。

ところが、それが、Web掲示板でスレッドが立つほどの話題なのです。


Newポストセブンの、『【書評】ハーバード白熱教室の教授が論じる“親ガチャ”の不公平』というタイトルの記事です。

どういう内容か。

どんな境遇に生まれつくかは運次第、本人に選べるものではない。

「ほしのもと」とは、そういう「不公平」なものである。

では、努力や能力や学歴による勝負という建前の、現代の「実力社会」は、果たして正しいのか、ということが書かれています。

実力なんだから公平じゃないか、と思われますか。

「実力社会」とは、試験とか業績とか学歴といったものを見ますから、たしかに一見公平です。

だからといって、人生は「生まれ」ではなく「努力」や「能力」だといえるでしょうか。

ちょっと考えてみましょう。

その人の本来持っている能力、地道に努力しようという気持ち、価値観、前提となる文化水準などは、結局親の遺伝子、経済力、環境や人脈などに大きく依存しているとはいえないでしょうか。

やれ、努力だ、能力だといったところで、しょせんどういう「ほしのもと」かに影響されているのです。

それなのに、なまじ「公平」の建前をうたった「実力主義」の現代は、封建時代のような家柄や階級などのせいにできず、その人は「実力で負けた」「努力しなかった」など、自尊心をスポイルされることになります。

身分制がない民主主義の社会は素晴らしい。

でも、その一方で、誰でも努力して立身出世することを「成功」とする時代は、競争に煽られる社会として私達を追い詰めているのではないか。

そういうことを、本書は述べています。


著者は何が言いたいかと言うと、

自分は努力したから成功した

成功してない人は努力が足りない

だから、成功していない人がどんなに困っても自己責任である

という、新自由主義的な3段論法を否定しているのです。

努力努力って言うけどな、それはお前が努力できる「ほしのもと」だからできたんだ。世の中には、そうしたくてもできない、その価値観に至らない「ほしのもと」の人もいるんだ。だから、お前は「努力」をもってその人に比べて人として優れているとはいえない。自惚れるな

という話です。

Web掲示板を見ていると、生活保護受給者や、障碍者を叩いているじゃないですか。

弱者を「自己責任」と突き放してるじゃないですか。

「叩いているお前らは、運がよくてそうならなかっただけだろ」と、著者は戒めているわけです。

「エリート」は自己否定と思い込んで心中穏やかではない

もっともな話とは思うのですが、学歴社会=実力社会と信じて頑張ってきた「エリート」には、本書は穏やかざる心中という記事も出ました。

現代ビジネスオンラインです。


記事によると、高学歴エリートの多くは、「能力主義」=「学歴主義」のイデオロギーを何の違和感もなく受け入れているので、「実力も運のうち」というサンデル先生の指摘は、まるで自分が頑張ってきた「努力」や「価値観」が否定されるような思いをしている、と指摘しています。

でもね、その人が高学歴なのは、「そういう親」だからでしょう。

親が高年収で、塾に行かせることができたり、また親自身が高年収を裏付ける社会的地位や文化水準だったりする家庭だからこそ、受験戦争に参加し、そこを勝ち抜ける前提を与えられている、というのは、過去に複数の統計があります。

でも、「エリート」たちは「自分が努力した賜物なんだ」と、それを認めようとしないといいます。

また、経済格差が拡大しても、「エリート」たちは、「どうして努力を怠って劣位に転落したやつを救ってやらなければならないんだ。弱者は努力しなかった自業自得なんだ」と考えているというのです。

まあね、そういう奴は、自分が交通事故にでもあって、障碍者になればわかるんだけどな。

それはともかくとして、記事では、いくら学力・学歴社会がほんとうの意味で公平でなかったとしても、その「お勉強」の努力によって味わってきた主観的な「つらさ」は本物だから、それを否定されてしまうような指摘は受け入れられないのだろう、と見ています。

そんなもんですかね。

でもサンデル先生は、個々の「努力」を否定しているのではなく、「実力社会」といいながら実は公平さを欠いている、と社会の仕組みの真実を述べているに過ぎないんですけどね。

親孝行イデオロギーも抵抗する理由に

現代ビジネスオンラインについてのWeb掲示板のスレッドです。


コメントを引用します。


6ニューノーマルの名無しさん2021/05/29(土) 15:45:15.46ID:8/H+71MY0
サンデル頑張れ

20ニューノーマルの名無しさん2021/05/29(土) 15:48:38.92ID:uE3ZnBhI0
お前が努力できたのはお前の努力とは関係ないところで恵まれていたからだって話だろ

28ニューノーマルの名無しさん2021/05/29(土) 15:51:06.31ID:AIIcuVaZ0
努力する為の基盤が親頼みだろ
親ガチャに負けると基盤なしで勝負するから大変だし

31ニューノーマルの名無しさん2021/05/29(土) 15:52:57.70ID:yE1+JJR50>>41
どこで学ぶ事をやめるかで差がつくよね、社会に出てからは特に顕著に出る

41ニューノーマルの名無しさん2021/05/29(土) 15:54:57.26ID:yhLGONYg0
>>31
それもまた、親がどんな人だったかの影響が大きいんだけどね


まあいいろ意見はありますが、親の遺伝子を受け継ぐ「遺伝」は客観的なことですから、否定するのはむずかしいですね。

記事は、たんに「エリート」が自分の努力を否定されたくない、という話で終わっています。

が、私はサンデル先生の説を受け入れられない人たちのもう一つの理由として、「親孝行」イデオロギーがあるのではないかと思います。

要するに、原因を「ほしのもと」に求める以上、親や先祖への責任追及はロジックとして免れませんから、そこに抵抗があるんじゃないでしょうか。

「親を悪く言うなんてできない」みたいな。

でも、今回のことと関係なく、一般論として、親を否定するぐらいじゃないと、親を超えることはできないんじゃいでしょうか。

親はしょせん過去の世代の人間でしょ。その親を超えられなくて、未来に自分を全面開花させることはできるんでしょうか。

以上、『実力も運のうち 能力主義は正義か?』という書籍は、「公平」を建前とする能力主義が実は公平でないという指摘が話題です、でした。

実力も運のうち 能力主義は正義か? - マイケル サンデル, 鬼澤 忍
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実力も運のうち 能力主義は正義か? [ マイケル・サンデル ] - 楽天ブックス
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この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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