寺内タケシさんの訃報が話題です。1952年に「寺内タケシとブルージーンズ」を結成。通称「エレキの神様」といわれてきました。当初エレキギターは、非行の温床という声とたたかう時期もありました。1500校を超える高校を回りハイスクールコンサートを開催。
海外でも何度も公演を行われています。今回は、出演作の『エレキの若大将』と『クレージーだよ奇想天外』を思い出します。
親に逆らってエレキギターをきわめる
寺内タケシさんは5歳でギターを初め、9歳で電話のコイルを並べたピックアップでエレキギターを製作したといいます。
明治大学に入学するも、父親が家業を継がせるために関東学院大学の工学部に転校。
バンドを結成したところ、父親から「一度でも一科目で一番を取れば、好きなだけギターをやってもよい」と懇願されて勉強し、期末テストで一位を取ったところ、父親から「お前はやれば出来るんだから、このまま成績を保て」と言われたが、寺内は「やれば出来るんだから、やらない」と勉強をやめた。
高校時代は入学直後にマンドリン・クラブを創設し、その技術も群を抜き、1年から出場したNHK全国楽器コンテストで3連覇を成し遂げた。明治大学マンドリン部創設者の古賀政男から誘われ明治大学へ進学したが、家業を継がせたい父親によって1週間で退学させられ、関東学院大学工学部電気科へ入学し直した。(Wikiより)
しかし、寺内タケシさんはエレキギターを諦めず、在学中にプロ活動を開始しました。
寺内タケシは親に逆らう子供だったということです。
これはすばらしいことですね。
親の言いなりになる子どもは親は超えられませんし、そもそも親が正しいとは限らないのです。
いずれにしても、子どもにとって自分の進路の妨げとなる親との相克があらわれています。
そういう人がエレキを演奏するというのは象徴的ですね。
エレキギターそれ自体が不良なのではなく、勉強していい学校に入っていい会社に入る、もしくは家業を継ぐことが「いい子供」であり、その路線に従わない子供は「不良」とする親の価値観押し付けの象徴としてエレキギターがあったのかもしれません。
1962年に寺内武とブルージーンズを結成。
エレキブームの仕掛け人となりました。
昭和40年代のエレキギターブームで人気を集め、「エレキの神様」の愛称で親しまれたギタリストの寺内タケシさんが、18日夜、横浜市内の病院で肺炎のため亡くなりました。82歳でした。https://t.co/C2RtbWV2nk#nhk_video pic.twitter.com/xIryKf6YlB
— NHKニュース (@nhk_news) June 19, 2021
【訃報】ギタリストの寺内タケシさん死去 82歳https://t.co/XaduRxlDrq
「エレキの神様」と呼ばれ、日本におけるエレキギターの第一人者として活躍したギタリストの寺内タケシさんが18日、死去した。82歳だった。
— ライブドアニュース (@livedoornews) June 19, 2021
【エレキの神様 寺内タケシ氏死去】https://t.co/2TLpyuVyNH
「エレキギターの神様」と呼ばれた歌手の寺内タケシさんが18日午後8時37分、肺炎のため横浜市内の病院で死去した。82歳だった。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) June 19, 2021
寺内タケシといえば、エレキギター。エレキギターと言えば不良、という図式があったといわれますが、私が知った頃の寺内タケシはもう妻子がいて、ニベアクリームのCMに家族揃って出ていたときなので、あまりそのようなイメージはありません。
昭和40年代は、ホームドラマブームだったこともあって、家族総出のCMが流行しましたが、寺内タケシ一家がいちばん感じ良かったですね。
寺内タケシ(ニベアクリーム)のほか、五十嵐喜芳・五十嵐麻利江(コカ・コーラ/ハイシー)、江原真二郎・中原ひとみ・土家歩・土家里織(ライオン/ホワイト&ホワイト)、尾上菊五郎・寺島純子(カネボウ/シルクレディ)などがありました。
ということで、親に逆らってノリノリのエレキギター演奏の時代を振り返るには、映画出演です。
『エレキの若大将』
『エレキの若大将』(1965年、東宝)は、解説の必要のない若大将シリーズ。
若大将のグループが、エレキギターの演奏大会に出ることになり、人数が足りないからと言って、蕎麦屋で出前持ちをしていた寺内タケシを仲間に入れるというストーリーです。
「世界はテリーを待っている」のだ、エレキの神様の名称は伊達じゃないよ、寺内タケシ。この人がいなかったら日本にロックは根付かなかったかも知れない…ユーヤさんを呼び捨てできる数少ない人、ブルージーンズ、バニーズ、バンド名のセンスもグレートだ??どうぞ安らかに…忘れません。 pic.twitter.com/aMdGPMciMN
— ちゅう (@1004Jet) June 19, 2021
寺内タケシさん…と言えば私にとっては蕎麦屋の出前持ちの役で若大将の家で…寺内:『これがエレキギターってやつですか』
若大将:『弾いてみなよ』
寺内:『いいんですか?』
で、初めてな筈なのに上手かったって言う件が強く印象に残ってます…改めてご冥福をお祈り致します?? pic.twitter.com/v5nVqiKvCX— UT??(Uncle TAMIO) (@TAMIOMOBO) June 19, 2021
田中邦衛、寺内タケシ、加山雄三、黒沢年雄、ドラムは二瓶正也です。
寺内タケシ氏 RIP、 pic.twitter.com/zHTHgRZi3d
— だんく (@makisirou) June 19, 2021
すばらしいグループですね。
【加山雄三 寺内タケシさんしのぶ】https://t.co/Aa2YIEFjja
エレキブームの仕掛け人となったエレキギターの草分け的存在で、「エレキの神様」と呼ばれたギタリストの寺内タケシさんが亡くなった。加山雄三は公式サイトに追悼メッセージを掲載。「また1人、若大将の仲間が亡くなってしまった」。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) June 19, 2021
なんかちょっと泣けてきます。
『クレージーだよ奇想天外』
『クレージーだよ奇想天外』(1967年、東宝)も東宝映画です。
本日はエレキの神様、寺内タケシさんの誕生日でした。おめでとうございます。
『クレージーだよ奇想天外』 pic.twitter.com/i2tgFWtwty
— フリフリ (@furifuri66) January 17, 2020
寺内タケシとブルージーンズには、以前、内田裕也がヴォーカルで参加していた時期があり、『クレージーだよ奇想天外』(1967年)には、ご両人が出演しています。
『クレージーだよ奇想天外』は、内田裕也さんが『俺のハートは3333万3330℃』を歌った後、谷啓さんの歌う『イヤダイヤダと云ったのに』を演奏していました。
いずれも、古き良き昭和を思い出せるだけでなく、作品としても素晴らしいと思います。
寺内タケシさんの、生前のご遺徳をお偲び申し上げます。
以上、寺内タケシさんの訃報が話題です。1952年に「寺内タケシとブルージーンズ」を結成。通称「エレキの神様」といわれてきました、でした。
コメント