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森喜朗前組織委会長の批判で「おじさん社会の構造を変える」という意見が一部にありますが問題は性のポジショントークではない

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森喜朗前組織委会長の批判で「おじさん社会の構造を変える」という意見が一部にありますが問題は性のポジショントークではない

森喜朗前組織委会長の批判で「おじさん社会の構造を変える」という意見が一部にありますが、問題は性のポジショントークではないと私は思います。だったら「おばさん社会」ならいいのでしょうか。そうではなくて、性や民族や障碍をもって「こうだ」と決めつける文化からの脱却が必要ではないのでしょうか。

女性差別だから問題なのか?

東京五輪・パラリンピック組織委員会の混迷する会長交代劇について、今日の『サンデーモーニング』では、一般社団法人「Colabo」代表で虐待や性暴力被害に遭った10代女性を支援している仁藤夢乃さんが、森喜朗前会長の発言についてコメント。

話題になっています。曰く

「こういうことは企業の中でも地域社会でも意思決定の場に選ばれるのが男性ばかりであったり、女性が一歩下がって男を立てるっていうことがいまだに求められるのが日本社会の現状だと思う」

「これまで多くのことが男性ばかりで決められてきて、女性の声が反映されてこなかった分、女性たちには言いたいことがたくさんあるわけです。そんな中、声を上げると“話が長い”とか“感情的だ”と論点をずらされたり、そういうやり方で口をふさごうとするってことも繰り返されてきたと思っています。今コロナ禍で女性の自殺や失業も本当に深刻な状況です」

「こういう問題が起きた時に、この問題にコメントする女性が私だけなのかってことも思ってしまいます。もっと女性たちの声を聞いて、おじさん社会の構造を変える必要がありますし、そのためには男性自身が変わることが必要で、自身の言動を振り返ったりだとかこれまで浸ってきた女性差別を前提とした文化から出ていく必要があると思います」と結びました。

結論から述べると、途中までは女性としてのリアリティは感じましたが、最後でがっかりしました。

「おじさん社会の構造を変える」なら、どういう構造なら良いのでしょうか。

「おばさん社会の構造」ならいいのでしょうか。

誰の構造という問題の立て方自体が、「性のポジショントーク」の発想に聞こえます。

「おじさんの構造」でも「おばさんの構造」でもなくて、そういう性のポジショントーク「から出ていく」ことこそが問題の本質ではないでしょうか。

仁藤夢乃さんは、そこがわかっていない、というかそう思っていない。

だから結論として、ご意見に賛成、はできません。

まとめサイトです。


主なコメントを抜粋します。

10名無しさん@恐縮です2021/02/14(日) 13:23:23.95ID:OCRXT5Tu0
正直
日本においては
女性の最大の敵は女性だから

まずはそこから変えられるように
頑張って下さい

11名無しさん@恐縮です2021/02/14(日) 13:23:44.67ID:ZraH9yl10
でも、女性が多数を占めたら
逆におじさん差別じゃね

20名無しさん@恐縮です2021/02/14(日) 13:25:42.10ID:11A898SS0
おじさんという言葉も差別てしょ

57名無しさん@恐縮です2021/02/14(日) 13:33:35.17ID:/WoJTZrX0
おじさん社会とか男社会とか
こいつらこそジェンダー無視して差別しているんだよな

58名無しさん@恐縮です2021/02/14(日) 13:33:36.39ID:fm4qmtNe0
おじさんもダメじゃないの?おばさんって言ったら怒るんだから

72名無しさん@恐縮です2021/02/14(日) 13:36:39.52ID:WsmAdqjj0
こういうフェミニストっておじさんという言葉は平気で使うのにおばさんと言われると怒りそう


あなたはどう思われましたか。

思い込みで語るのが時代錯誤になりつつある

この問題は大切なテーマですが、そのわりに今ひとつノレないのは、我が国での論争の一部が「性のポジショントーク」、もしくはかばう=保守、批判する=反自民という政争の具になっているからです。

そんなもん、結論以前に「どっちもどっち」に見えちゃいます。

たとえば、このことで、森喜朗会長を庇い立てる人たちが私には理解できません。

「女は」だけじゃなく「男は」「○○人は」のように、思い込みで語るのが時代錯誤になりつつあるってことでしょう。

別に窮屈でもなんでもない、むしろ歓迎すべきこと。

なんで歓迎できないのか。

かばう人たちも、いい加減な偏見の好きな人間なんでしょう。

人間は無謬でも万能でもないから、誰しも僅かな知識や経験でいい気になって、なんとなく物事の傾向を把握したつもりになってしまいがちです。

が、公人なら確かなデータも無しに語ることが不適切な時代になったということです。

どこがいけないことなんですか。

政治家や官僚はもちろん、メディアで発言が注目されるタレントや組織・団体の責任ある立場の人々のオフィシャルな発言は、すべてそれに含まれます。

森前会長の娘さん曰く、森会長は年齢的に「思い込みで語るのが時代錯誤になりつつある」ことが理解できない。ご本人は不快なようですが、娘さんは暗に「老害」であることを認めてますよね。

この問題を「老害」の問題にするなと言う意見もあります。

それこそ政治家が言えば問題ですが、父親が高齢で価値観や文化の移ろいに対応できないという娘さん(公職者ではない)の嘆きは、「あー、そうかもねー」でいいのではないでしょうか。

組織委の人数(男女比)を問題視する人もいますが、それも個人的に疑問です。

「男が悪い」「いや女が」という「性のポジショントーク」しかできないレベルで、かりに形だけ男女同数にしたところで、むしろ低レベルのポジショントークの対立が激化するだけのような気がします。

そういった争いではなく、真に性や民族や障碍をもって「こうだ」と決めつけない人たちの集まりであるかどうかがまずは大切ではないでしょうか。

以上、森喜朗前組織委会長の批判で「おじさん社会の構造を変える」という意見が一部にありますが問題は性のポジショントークではない、でした。

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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