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橋田壽賀子さんは思ったことをすぐ口にしてしまうだけで人を心から憎み貶める人ではなかった。今はっきりさせたい「4つの誤解」

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橋田壽賀子さんは思ったことをすぐ口にしてしまうだけで人を心から憎み貶める人ではなかった。今はっきりさせたい「4つの誤解」

今日は、先日亡くなった橋田壽賀子さんが生まれた日です。嫁と姑のドラマを書いているのでドロドロした作風の印象があり、また物議を醸す語録も少なくなかったため、いささか誤解されているところもあった方かなという思いがあります。

しかし、ご本人は、嫁と姑のドラマは書いても、戦争と不倫と殺人のドラマは1本も書いていないと、インタビューでは仰っています。

もちろん、そうしたドラマを書いてはいけないという意味ではなく、嫁と姑の問題は、そもそも倫理的に問われるわけでもない日常的なことであろう、という反論であろうと思われます。

ということで、橋田壽賀子さんをめぐる何点かの誤解について振り返ろうと思います。

渡る世間は鬼ばかりについての評価

以前、私は別のブログで、「『ありがとう』(平岩弓枝作)に比べると、『渡る世間は鬼ばかり』(橋田壽賀子作)はあまり興味を持てない」ということをブログ記事で書いたことがあります。

それに対して、「平岩弓枝と橋田壽賀子を比べるとは何事だ」というような批判を受けました。

その方いわく、「平岩さんのドラマに、愛があるのは当然の事として、 何より、「色気」があるんです。 それに比べて橋田ドラマは、 ただ人間のドロドロを描いているだけ。 全く色気のいの字も感じられません。」とのことです。

これは一般によく聞く評価ですが、私は決して、平岩弓枝>橋田壽賀子と、思ってはいません。

作家というのは、書くことをためらってしまうようなことでも書ききってしまう、現実に埋没しない強靭な精神力が必要です。

どんな精神構造をしていても、30年以上、嫁姑だの継母だののイビリを書き続けるというのは、並大抵のことではないとおもいます。

私が『渡る世間は鬼ばかり』を見る気がしなかったのは、第1部の藤岡琢也と山岡久乃演じるサラリーマンの退職者夫妻が、ナニナニ家を守るという大義を振りかざして娘5人の結婚問題に干渉していたので、「無産階級のリタイア夫婦に継がせる家督なんてねーだろ」と、アホくさくて見ていられなかったのです。

でも、現実に、家制度に囚われて子どもにとって迷惑な老親は巷間たくさんいるわけで、だから橋田壽賀子さんの脚本は、私の趣味とは別に、世情を映し出すドラマとして必要なのだろうとおもいます。

ドロドロの何が悪いの?

そもそも、橋田ドラマが「ドロドロ」という表現がふさわしいかという点で、私は懐疑的です。『渡鬼』ってそんなにドロドロしてましたか?

嫁と姑の話なんてありふれたものであり、あれをドロドロというのは、人生経験が少なすぎる苦労知らずなんだなと思います。

だいいち、人間のドロドロを描かずに、ドラマや小説は何が面白いのでしょうか。

人間であるがゆえに、理屈や道徳に反した心理やふるまい、つまり過ちがあるからこそ、そしてそのあやまちをしっかり書ききるからこそ、ドラマは成立するのです。

人の弱い部分や悪い部分はないことにして、非の打ち所のない人間同士が、国語の教科書に出てくるようなセリフを言い合って、何の揺れもない最初からわかりきった結末。

こんなの、面白いかどうかという以前に、物語として成り立たないでしょう。

人間(関係)を深く描けば描くほど、ドロドロしたものになるのは当然です。

もちろん、平岩弓枝さんのドラマがインチキなのかというと、そんなことはありません。

では、作家としての個性の違いはあるにしても、なぜ、その人の言うところの、平岩さんは「愛と色気」、橋田さんは「人間のドロドロ」と分かれてしまったのでしょうか。

古き良き昭和と、介護や定年後がテーマの平成

『肝っ玉かあさん』や『ありがとう』は右肩上がりの高度経済成長時代に放送され、カルピスがスポンサー。

「茶の間」はファミリーで鑑賞しています。

いきおい、ストーリーも「ドロドロ」はなるべく避けて、当たり障りのない話にならざるを得ません。

そして、いつも水前寺清子がもっと美人のライバルを押しのけて、星の王子様(石坂浩二)とゴールイン。

残念ながら、現代では通用しない話です。

1970年代の古き良き昭和に合った話を書いているのですから、そりゃ、「愛」だの「色気」だのをのんびり書いていられますよ。

一方、橋田壽賀子さんは、まさにバブル崩壊以降の、出口の見えない失われたウン年に『渡る世間は鬼ばかり』を描き続けたのです。

その間、現代では、嫁と姑、跡継ぎ不在問題と墓じまい、過疎化、定年後の第2の人生の身の振り方など、社会の成熟とともに生き方の問題が山積し、それらを描かないホームドラマなどはありえない情勢でした。

少なくとも橋田ドラマは、橋田さんの個性のいかんに関わらず、ドロドロしたものは避けて通れなかったのです。

実は平岩弓枝さんも、オイルショック後の停滞した時代に、『肝っ玉かあさん』や『ありがとう』だけでなく、『明日がござる』(1975年10月2日~1976年9月30日)というドラマで、嫁と姑のドロドロというほどではありませんが、ちょっとギスギスしたドラマも描いています。

これは『渡る世間は鬼ばかり』のプロトタイプとイッてもいいドラマです。

ですから、結果としての作風だけを見て、「あの人は愛と色気がある」「こいつはドロドロしか書けない」と決めつけるのは早計だと思います。

『春よ来い』安田成美途中降板騒動

橋田壽賀子さんが大学進学のために単身で上京するところから、脚本家として成功した後、夫の死を見送るまでを描いた自伝的ストーリーを、NHK連続テレビ小説枠でドラマ化した『春よ来い』で、主演の安田成美さんが途中降板。

橋田壽賀子さんは「飼い犬に手を噛まれた」と批判しました。

戦時下の表現について、安田成美さんの親が嫌悪感を示したからだとコメントした評論家が、レギュラー出演していたその番組を降板したことも話題になりました。

「飼い犬」という表現はいろいろな意味でどうなのかなという気がしますが、怒る気持ち自体は第三者的にはわかります。

高堀冬彦さんによると、安田成美さんが「進行がゆっくりして」「アドリブや収録現場での脚本の修正を許さない」橋田脚本についていけなかったそうです(現代ビジネスより)


要するに、安田成美さんが厳しい仕事に女優としてネを上げただけだったのです。

当時、他人を批判しない高橋英樹さんが、めずらしく批判めいたことを言われていた記憶があるのですが、高橋英樹さんは、役者は脚本家や監督やプロデューサーらに、いかに転がされるかの商売だというのが持論ですから、自分の主張で降板したことは、認めることはできなかったのでしょう。

『渡る世間は鬼ばかり』山岡久乃途中降板事件

『渡る世間は鬼ばかり』は、最初は岡倉家の話が中心で、主役であったはずの山岡久乃さんが、第4シリーズではいきなり亡くなった設定になっていました。

その後は、泉ピン子さんのラーメン店を中心にストーリーが展開したわけです。

橋田壽賀子さんは、「登場人物なんか脚本家の手で消せる」と豪語していたので、当初は「とうとう主役もヤッちまったか」と思いました。

が、真相は山岡久乃さんから降板を申し出たもので、橋田壽賀子さんはそれではドラマは成り立たないからと打ち切りを願い出たものの、局のほうが山岡久乃さんの役が死亡したことにして続行させたそうです。

それにしても、やはり橋田壽賀子さんはご立腹で、さすがに安田成美さんのときと同じことは言いませんでしたが、「山岡さんは私のことがよっぽどお嫌いなんでしょうね」などと、確執説を書きたがっていたマスコミにネタを提供するような不用意な発言をしてしまいました。

が、実は胆管がんによる降板だったことを知ると、橋田壽賀子さんはそれまでの自分の発言を悔い、神社へお百度参りし、山岡久乃さんの回復を祈ったといいます。

野村克也さんを意固地にさせた事件

2019年末、『令和家族』という番組がNHKで放送されました。

前半は、関ジャニ∞の横山裕の壮絶な「ほしのもと」の話で、後半は、野村沙知代さんの3回忌を迎えた野村克也さんが、夫を30年前に亡くした橋田壽賀子さんと対談して慰められる……はずでした。

ところが、橋田壽賀子さんは直球勝負で、「私は今、夫がいませんが全然寂しくないんですよ。人生これからなんだから自由に生きなきゃ」と、励ましたつもりが、野村克也さんは「全然心に響かなかった」と心を閉ざしてしまいました。

これはいかんというので、番組は2人をもう1度会わせます。

すると、今度は橋田壽賀子さんは、野村克也さんの聞き役に回り、野村克也さんは少し心を緩めて、再会の約束をしました。

残念ながら、野村克也さんはその後、亡くなってしまいましたが、橋田壽賀子さんの気の使い方を聞いていたら、決して悪い人のようには思えませんでした。

「長いセリフで役者をいじめて、アドリブを使った役者は(設定上)殺す」なんていわれている方ですから、まるで優しさのかけらもない極悪人のようですが、人間として本当に悪人だったら、再会はしなかったんじゃないでしょうか。

まとめ

橋田壽賀子さんは、ただたんに、思ったことをすぐ口にしてしまうだけの人で、決して心から人を憎んだり、貶めたりする人ではなかったと思います。

安田成美さんについても、その後は一切コメントしていませんから、腹の底に悪意が沈殿しているわけではなかったでしょう。

むしろ、ものを書く人というのは、本当は人間が好きで、でも好きであるがゆえにちょっと期待感が高くなり過ぎ、他人の現実に失望しやすいのではないかと私は見ています。

橋田壽賀子さんは、プライベートでの友人を作らない主義で、現実に葬儀もお別れ会もしませんでしたが、たぶん他人に幻想をいだいて裏切られるのはたくさん、という思いがあるのかな、と思いました。

以上、橋田壽賀子さんは思ったことをすぐ口にしてしまうだけで人を心から憎み貶める人ではなかった。今はっきりさせたい「4つの誤解」、でした。

人生ムダなことはひとつもなかった~私の履歴書 - 橋田 壽賀子
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この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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