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江川卓さんといえば、1978年11月21日に“空白の1日”を使って強引に巨人と契約。翌年入団した密約の真相が今も気になります

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江川卓さんといえば、1978年11月21日に“空白の1日”を使って強引に巨人と契約。翌年入団した密約の真相が今も気になります

江川卓さんといえば、1978年11月21日に“空白の1日”を使って強引に巨人と契約。翌年入団した密約の真相が今も気になります。巨人軍が悪者になるのは当然ですが、では当時の現場監督だった長嶋茂雄さんや、江川卓さん自身の責任はどうだったのでしょうか。

江川卓さんといえば、どうしても思い出されるのが1978年11月21日の“空白の1日”を使った入団騒動です。

1978年ドラフト会議は11月22日でしたが、巨人と江川卓さんは、前年のドラフト会議で交渉権を得ていたクラウンライター⇒西武の権利が消失する11月21日に、電撃契約を結んでしまったのです。

つまり、交渉権は次のドラフト会議まで1年間あるわけですが、正確には364日であり、まさにその「空白の1日」に巨人が契約したわけです。

もちろん、その「365日目の1日」は、どこが契約をしてもいいという日ではなく、次のドラフトへ向けて事務処理上、1日ブランクにしたのです。

それを、巨人は、「その1日において江川卓投手は自由契約選手である」と勝手に解釈したわけです。

この「暴挙」に他の11球団は、当然猛反発しました。

そんなこといったら、意中の球団に指名されなかった人は、その「空白の1日」を待って、別の球団と契約してしまえばいいわけで、ドラフト制度の意味がなくなってしまいます。

しかし、巨人は自分の正当性を訴えた挙げ句、この年のドラフト会議をボイコットしてしまいました。

ドラフト会議では、阪神タイガースが江川卓さんの交渉権を獲得。

江川卓投手は、入団拒否。

結果的に、コミッショナー裁定なるおかしな助け舟もあり、翌1979年1月に、江川卓さんは一度阪神に入団した上で、巨人の人気投手だった小林繁さんとの交換トレードによって巨人入団に至りました。

この一連の身勝手な経緯と、犠牲者(小林繁投手)まで出した顛末に、巨人や江川卓さんは大バッシングされました。

ということを踏まえた上で、以下をお読みください。

「すべて長嶋茂雄のせいです!」

ドラフト会議で指名された選手との交渉権期限は、翌年ドラフト会議の前々日までとされていることから、「空白」である前日に強引に契約をしてしまいました。

そのことで、巨人も江川卓さんも悪者になりましたが、江川卓さんについては、周囲のアドバイスに沿っただけで悪くないという見方もありました。

しかし、そうでしょうか。

そもそも、当時の現場監督である、長嶋茂雄さんには責任はなかったのでしょうか。

いや、あれは「すべて親父のせいです!」と暴露したのは、実息の長嶋一茂さんです。

ニフティニュースで、こう述べています。


「暗躍というか、画策というか、作戦引いたのは、父親なんです」「江川さんのダーティーなイメージの責任は父親にあるんです」

「ボクは父親のことをリスペクトしてますし、いちばんの長嶋茂雄のファンはボクだと思ってる」としたものの、「それと、江川さんに悪役のイメージを植え付けさせてしまった父親は別の話」

舌鋒鋭いですね。

長嶋一茂さんと長嶋茂雄さんの確執は、かねてから言われていたことでしたが、だからこそ、身びいきなしに率直な意見が出たのかも知れません。

でもこれは当然のことあり、現場監督を無視して、小林繁投手の放出はないし、長嶋茂雄監督といえば、とにかく選手欲しい欲しいで、第二次政権のときは、各球団から主力選手をとりまくってましたからね。

都内に土地付きの家をもらう約束をしていた

では、江川卓さん本人はどうだったのでしょう。

小林繁さんが存命のときに、謝罪したり、CMで共演したりして表面上は和解していたようでしたが、それについてはいまさらとやかくいうものではありません。

ただ、当時、江川卓さんはたんなる神輿だったのか。

江川卓さんに、巨人入団以外のうまい話はなかったのか。

実は、密約があったという話です。

『日刊ゲンダイ』(2015年2月4日付)より

『日刊ゲンダイ』(2015年2月4日付)より

そして、かわされていた密約を、引退時にちゃっかり履行させていたというのです。

もちろん、約束したのなら履行を求めるのは当然ですが、少なくとも、あの事件について、江川卓被害者論はこれで通りにくい話になったのではないでしょうか。

その話を明らかにしたのは、『日刊ゲンダイ』(2015年2月4日付)です。

「創刊40周年特別企画、巨人あの日あの時あの事件」というタイトルの、タブロイド版29面全面を使った記事です。

リードにはこう書かれています。

当時巨人軍総務の広報室長だった若林敏夫さんは、「この5000万円で決着がつき、スッキリするならそれでいいのではないか。『空白の1日』がこれですべて終わる。そう思いましたね」と語っています。

若林敏夫さんによると、江川卓さんは引退会見の後、「実は」と打ち明け、「入団した時に都内に土地付きの家をもらう約束をしていたのでそれを履行してもらいたい」と要求したというのです。

あの、鍼を打ったら投げられなくなるだの何だのと「お涙」の話で、単純な大衆を感動させておいて、裏では「密約を守れ」と江川卓さんは球団に迫っていたわけです。

なんか、すべてが計算ずくという印象がありますね。

正力亨オーナーは、それに対して「やっぱり」と答え、しばらく考えてから「分かったと伝えろ」と言ったそうだ。

まあ約束したんなら仕方ないでしょう。

正力亨オーナーは、まさか江川卓さんが忘れてくれたと思っていたのでしょうかね。

実際には、「都内に土地付きの家」というと、当時はバブルで相当な金額になるから、5000万円で手を打ったらしいのですが、まあ今さらとはいっても仰天話に違いはありません。

江川卓さんは、入団以降もダーティーなイメージがつきまといますが、それはマスコミや周囲の「大人」たちだけでなく、江川卓さん自身も背負うべき責任もあったと解せるのではないでしょうか。

プロ野球は職業だから、お金は大切でしょう。

しかし、ファンの夢を壊してしまうのは残念なことです。

いずれにしても、プロ野球史に残る出来事の真相が明らかになった点で、意義のある記事であるといえるでしょうね。

以上、江川卓さんといえば、1978年11月21日に“空白の1日”を使って強引に巨人と契約。翌年入団した密約の真相が今も気になります、でした。

実録・昭和事件史 私はそこにいた - 別冊宝島編集部
実録・昭和事件史 私はそこにいた – 別冊宝島編集部

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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