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河本準一生活保護受給騒動がネットでは大変な騒ぎである。だが、当該騒動を巡り片山さつき議員を批判する松尾貴史さんの発言も疑義

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河本準一生活保護受給騒動がネットでは大変な騒ぎである。だが、当該騒動を巡り片山さつき議員を批判する松尾貴史さんの発言も疑義

河本準一生活保護受給騒動がネットでは大変な騒ぎである。だが、当該騒動を巡り片山さつき議員を批判する松尾貴史さんの発言も疑義がある。併せてスケプティクスに考えてみよう。松尾貴史さんは、河本準一さんではなく片山さつき議員の発言について批判する。

ネット情報に飛びつき、公人としての立場をわきまえない片山さつき議員の発言は全く擁護できないが、だからこそ、その「論争」の相手になった松尾貴史さんにも疑問を感じるのだ。

ネットのたたきは知名度も関係ない

実は1年前の昨日が、私の「心の一周忌」であった。

のっけから何を書いているのかって?

何度か書いたように、私は1年前の昨日、火災を経験。

妻子3人が意識不明の重体で病院に搬送された。

妻子は九死に一生を得たが、「物」は全てが炭になった。

卒業アルバムも、証書も、過去の著書も所蔵図書も思い出の品々も……

それはまるで、これまでの人生を全否定されたような気持ちである。

もう少し若ければ、「人生出直し」と割り切れるのだが。

その際、2ちゃんねるには、筆者が「普通の人」であるにもかかわらず、なぜか複数のスレッドがたち、火災について無責任な書き込みをされた。

いつから筆者は、そんなに有名人になったのかと思いましたが、とにかくひどい内容だった。

匿名であることや、発言が流れていくことによるの気やすさから、人権無視に加速度がついていく。

ネットって怖いな、と思う。

スケールは全く違うが、今、ネットに対して同じようなことを思っている人を筆者は知っている。

そう、母親の生活保護費受給問題の渦中にある河本準一さんである。

スレッドがいったいいくつたったのか。

ちょっとおかしいよね。

あそこまで叩く必要あるのかな。

日本人B層の低級さが改めてわかったが、ただそれだけの問題でもない。

そこで、今日はこの問題をスケプティクスに考えてみよう。

河本準一はそこまでたたかれなければならなかったのか

べつに河本準一さんは、金を盗んだわけでも、ひとさまに手をかけたわけでもないだろう。

母親には生活保護受給資格があり、現状の手続きの中で受給していたのに罪人扱いはやりすぎである。

ネットには、たとえば「詐欺」ということばがきやすく書かれているが、名誉毀損という言葉も知らないのだろうか。

河本準一さんが訴えるかどうかは別として、平気でそういうことが書ける無知と無神経さが理解できない。

私だったら訴えるけどな(笑)

ただし……

本来なら、筆者は過去の自分の経験からいっても、そうしたネットの書き込みを徹底批判しておかしくないが、今回は、必ずしも彼らを批判するばかりですむ話ではない、とも思う。

つまり、ネットの興奮は支持するわけではないが、一定の必然性もあると考えているのだ。

河本準一の初動の誤り

彼らの興奮の理由の一つは、河本準一側の初動の誤りである。

芸能人は公務員のような「公人」ではないかもしれないけれど、もはや銀幕やブラウン管だけで見えるところだけが商売の範囲ではない。

ここで造語するなら「公人的」存在であるということを自覚できていなかったことだ。

一芸人の納得できない受給に対する怒りの書き込みは、たんなる河本準一憎しではなく、社会の、役所の、福祉の矛盾や不合理に対する庶民の怒りが少なからずある。

そういう怒りのぶつけ方が有意義かどうかは別として、無権利な庶民は、政治家やタレントなど世間共通の人々、つまり公人に対してその怒りをぶつけるしか当面の怒りの持って行き場がない。

だから、有名人というのは、そのターゲットとして存在していることを自覚して欲しい。

芸能人なんて、いじられて、叩かれたナンボなのだ。

よしもとや彼や彼の姉らには、その自覚がない。

だから叩かれる。

ここは全く同情しない。

河本準一を批判しない側の論法の誤り

もうひとつは、河本準一さんを批判しない側の論法の誤りである。

たとえば、松尾貴史さんのように、片山さつき議員を攻撃する論点そらしによって、庶民の興奮を増幅させている面はないだろうか。

河本準一問題で、松尾貴史さんが片山さつき議員を「セレブ」と呼び、「少なくとも義憤や正義感ではなく、自分の選挙の「実績作り」だと思います。」とツイートしたことがネットでは話題になっている。

これ、わずか140字のツイートであるために、ここだけで判断されると厳しいかもしれないが、もし、ご本人がそう思っていたとしたら、ツイートはすべきでない。

筆者は、この松尾貴史さんのツイートを問題視している。

なぜか。

筆者に限らず、疑似科学批判の発言をする人がしばしば使う「意図や自覚にかかわらず……」という言い方ある。

これ、すごく大事な言葉である。

「意図や自覚」は、その発言内容の「意味」を考える上において非常に重要だが、「真偽」には、直接関係がない、ということである。

その発言を評価するには、「意図や自覚」ではなく、発言の中身自体を見るべきだ。

ただ、その背景まで広げて判断するには「意図や自覚」を見ることが必要になってくる、ということだ。

そこを区別と両立できるかどうかが、理性的な考えができるかどうかのわかれめだと思う。

要するになにを言いたいか。

つまり、片山さつき議員の「意図や自覚にかかわらず」河本準一さんのモラルや発覚時の対応がどうだったかについては、河本準一さんの言い分や対応でまずは判断すべきだ。

片山さつき議員の魂胆や立場よりも先に、河本準一さんが正しいのかどうかに言及すべきなのである。

そして、そこから先に、「ではなぜ?」という話があり、今の役所や福祉のあり方の矛盾を述べたり、いや、これはただでさえ受給しにくい生活保護のハードルを
さらにあげるものになりかねないという意見をきちんと述べたりすることで前向きな議論が成立する。

生活保護の矛盾は自民党政権時代の負の遺産だ、という意見ももっとも。

大いに結構。

ただし、それを片山さつき議員個人に還元することは、不毛ではないかと思う。

いずれにしても、片山さつき議員の「魂胆」は、支持するしないにかかわらずこの問題では本質的なことではないと思う。

ましてや、「セレブ」かどうかはもっとどうでもいいことだ。

もちろん、国会議員は公人だから、そうした文句自体は止めない。

ただ、もし片山さつき議員に文句を言いたいのなら、「あんたも清潔なんでしょうね」と別途政治資金の問題でも調べて何かあったらつっこむべきであり
この問題で、金持ちが「貧乏人」の不正をとやかく言うこと自体がいけないといわんばかりの指摘はおかしい。

松尾貴史さんは、ここで論点をずらしている。

間違いなく彼に忖度してるよね。

同じ芸能人だから?

それとも、別の理由があるのかな。

当然だが、片山さつき議員がセレブであろうがなかろうが、ものを言う権利はある。

というか議員だから、言ってもらわないと困る。

松尾貴史さんの屁理屈は、「金持ちの議員がホームレスのあり方について意見を言うな」と言っているようなものなのだ。

おいおい、逆だろう。

片山さつき議員がセレブかどうかは無意味

このことで片山さつき議員をどう思うか、それはその有権者の価値判断だ。

片山さつき議員があざとい人だと思えば、票を入れなければいいだけの話である。

松尾貴史さんががっかりする展開であったとしても、その程度の民意と思うしかない。

で、それを口に出してはいけない。

なぜなら松尾貴史さん、あなたも「公人」的存在だから。

そして河本準一さんも芸能人である。「公人」的存在だ。

ロンブーの田村さんが言うように、公共の電波やメディアで商売をしている以上、芸能人には公人然としての振る舞いが求められる。

だから、今回の忖度はおかしい。

過去も含めて、松尾貴史さんの発言が炎上するときに共通している誤りは、「芸能人の特殊性(公人性)」についての自覚や視点が欠落していることである

松尾貴史さんがないことにしたがった島田紳助事件もそうだろう。

それと、やっぱり松尾貴史さんは庶民目線じゃないよね。

そのへんがわきまえられないのなら、文化人に向いていないと思うよ。

松尾貴史さんだって庶民目線じゃないだろう

なんだ、個人的な意見も言えないのかって?

だからいってるでしょう。

松尾貴史さんは「公人」的存在なのだ。

筆者ははむしろ、誰でも意見が不特定多数に発表できるネットの時代の今だからこそ、「公人」としての自覚や矜持はもっていていただきたいと思う。

そうでなくとも、筆者が見る限り、オカルト村の「否定派」を気取る人たちは、識者の意見を胸にすとんと落として「ボクはわかっている」と知識自慢される方が多いようであるから、松尾貴史さんの発言を、合理的な正解と信じて丸飲みし胸に落とす人たちはいるのではないか。

筆者は今回、そのことを大変心配しているのだ。

オカルト村の「否定派」なんてその程度だということを、私はジャパンスケプティクス副会長の活動を通じてよく知っているから。

ぜひ、今後は合理的思考の範となるコメントをされるよう、松尾貴史さんのご活躍を私は願ってやまない。

「河本準一対片山さつき」は本質を外した論争

ということで、河本準一の、いわゆる「河本準一の母親生活保護不正受給騒動」についてまだ続きを書く。

上記の記事が、要約されて巡り巡って筆者のツイッターのアカウントまでリツイートされてきた。

そういうこともあるのだ。

ネットの世界は侮れない。

筆者が言いたいことを改めてまとめる。。

片山さつき議員はおかしいけれど、それに乗っかって排外主義の書き込みに熱中するネット掲示板は、必ずしも全面的に否定できるものではない。

その解決のためには本質は何かを示すことが大切なのに、松尾貴史さんは、片山さつきを攻撃するツイートをした。

それは、河本準一対片山さつきという、ネットの「論争」の枠を壊して本質に昇華させるものではなく、むしろネットの矮小な論争の象徴でしかない。

そこで筆者は、次のようなツイートをした。

「ネットの河本叩きは異常。ただ、同じ芸人だからという理由で庇ったり論点をそらしたりするのもフェアではないということでしょう」

これがまた、私がフォローするどなたかがリツイートしたわけだ。

ネットの世界は狭い。

と同時に、めずらしく、筆者と同じような考えの人が多かったのかもしれない。

芸人の反応はフェアではない

まあたぶん、松尾貴史さんは、庇うわけではないと反論するであろうし、太田光という知識人気取りのタレントも「サンジャポ」で、そのような言い訳を最初に言ってから
片山さつき議員の悪口を、例のごとくヤカンのように口をとがらせて話していた。

が、筆者に言わせれば、片山さつき議員の「意図や自覚」の詮索なんぞは芸人仲間を庇うという大儀でもなければ、それこそ何の価値もない発言だと思う。

河本準一への個人攻撃を批判しながら、片山さつき議員という個人の中傷に熱中する自己矛盾の御仁は、芸人仲間だから庇う!と旗幟鮮明にすべきである。

それがフェアな態度というものではないのか。

では、なぜ「何の価値もない」か。

それはこれから書く。

筆者はこの騒動と重ねてかんがえようという意味で、99年の「サッチー・ミッチー騒動」を思い出す。

野村沙知代さんと剣劇役者のアレだ。

「サッチー・ミッチー騒動」とは……

「サッチー・ミッチー騒動」の起こりは1999年3月31日。

剣劇役者・浅香光代さんがラジオ番組で「あんな人はもうイヤ。ひっぱたいてやりたい」と野村沙知代さんへケンカを売ったことに端を発する。

「何が代議士よ。あいさつもろくにできないのに何考えてんだ。税金の無駄遣い。笑わせるんじゃないってんだよ!」

「テレビの若い人や運転手を『バカヤロウ』と怒鳴りつけるなど弱い者いじめが過ぎる。あんな女を番組に起用するから増長する」などとブチ上げ、野村沙知代さんの写真を破り捨てた。(『週刊文春』1991年5月23日号)

これにデヴイ夫人や美輪明宏さん、渡部絵美さんらが参戦。

野村沙知代さんが集中砲火を浴びる形となった。

ワイドショーや週刊誌はこの 「ミッチー・サッチー騒動」を大きく取り上げ、重要な社会問題でもあるかのように野村沙知代さんを、いい気になって叩きまった。

当時の週刊誌の見出しを拾ってみるとー

「野村沙知代『サッチーはなってはいけない人間の見本』『売名行為』発言に浅香光代、血圧上昇 元事務所従業員Mさんがあかす悪業の日々」(『週刊女性』1999年4月27日号)

「メガトンスクープ! 野村沙知代身内3人が次々と怪死!近親者が語る恐るべき事実上(『週刊女性』1999年6月8日号)

「サッチーよ!家政婦は見ていた!寝室にバット、牛肉代を払えから夫婦の関係までを全告白」(『女性セブン』1999年7月8日号)

「野村沙知代?元恋人″が口ごもる『援助交際!』守銭奴ぶり奔放な男関係…彼女が葬ったすべての過去を知る男性は」(『週刊女性』1999年7月6日号)

「『沙知代に殺される!』あの野村監督が悲鳴をあげて逃げ出した夜 国民的疑問! 知将はなぜ彼女を妻にしたのか?」(『女性セブン』1999年7月8日号)

これらの汚いタイトルはすべて事実である。

これでは、野村沙知代さんでなくとも訴えたくなるだろう。

言うに事欠いて、野村夫妻の結婚した理由が「国民的疑問」などと大仰に題する「女性セブン」。

いくら編集者にとって仕事とはいえ、いいかげんにしろよ、と怒鳴りつけたいタイトルである。

いずれにしても、野村沙知代さんは天下の極悪人扱いだが、記事は噂や憶測の域を出ないものばかりである。

たとえば「学歴詐称だけじゃない! サッチー10大疑惑の真相!」(『女性自身』1999年7月6日号)と題した記事では、1997年5月にヤクルト・川崎憲次郎投手の自宅マンションから飛び降り自殺した可愛かずみの「友人」なる人物のコメントを載せているが、

「(神田)うのと石井さん(ヤクルト・石井一久投手)が交際していた時、あの人(野村沙知代)は探偵事務所に頼んで、うのの素行調査をしていたらしいの。かずみも調査されていたに違いありません。昔のヌードグラビアを集めて、川崎さんに渡していたみたい。神経の細いコだったから、精神的に参ったのかも」

などという頼りないコメントを紹介しただけで、「故・可愛かずみさんを追いつめた尾行調査!」の小見出しを平気でたてている。

これはもう、どう考えたって名誉毀損案件であり、筆者だったら刑事事件としてやりたい。

こうまでして野村沙知代さんを悪者に仕立てる必要があったのだろうか。

「サッチー・ミッチー騒動」を起こした真相は?

芸能ライター・佐々木慎吾さんは、バッシングが始まったのがプロ野球の開幕直前だったこと、巨人が低迷してからバッシングが激しさを増したことなどから、「(バッシングは)夫である野村阪神監督への揺さぶり」という野村沙知代の「読売陰謀説」を支持。(「日刊ゲンダイ」99年5月26日付)

「野村沙知代批判を繰り返している面々も、実はそれ以上にウサン臭かったり、目クソ鼻クソのタグイ」とバッサリ切り捨てたのは『噂の真相』である。

どうやら?闘う女剣劇士?と持ち上げられた浅香光代も、自身の過去を暴いた怪文書の隠ペい工作を図るなど、他人のことを言えた立場ではないらしい。

にもかかわらず野村沙知代さんただ一人が槍玉に上げられるのは、「視聴率を稼ぎたいワイドショー側と、それぞれに思惑のある連中がお互いの利益で結びつ」いているという構図をあぶり出している。(「噂の真相」99年8月号)

つまり、あの騒動には裏があったということである。

元ワイドショープロデューサーの中築間卓蔵さんは、「重要法案が審議されるとき、決まったように視聴者の目をそらせる事態が起こるのは不思議」と語っている。(「しんぶん赤旗日曜版」03年6月1日付)

ミッチー・サッチー騒動の続く1999年8月、通信傍受法(盗聴法)、国旗国歌法(日の丸・君が代法)、改正住民基本台帳法が次々と成立してしまったからだ。

同志社大教授の浅野健一さんも「深刻化する不況の中で、庶民の不安、不満のガス抜きのために野村さんがスケープゴートにされたとも考えられる」と自身のサイトで述べている。

付記

そして今回の河本準一の生活保護問題。

何が背景か、誰が黒幕かはわからないが、少なくとも恥知らずな民主党どじょう政権は、さっそく厚生労働大臣がこの話に飛びつき、生活保護予算の切り崩しに利用している。

おそらく、餓死者のニュースが今後はふえるんだろう。

ネットで燃えてる連中は、当然その責任はとらない。

芸人仲間を庇うとか、議員が人気取りでやってるかどうかとか、そんなことはいかに小さなことか。

ぜひ、みなさん、本質を考えていただきたい。

生活保護法案が2013年12月4日、60年ぶりに改悪された。

何が改悪かというと「扶養義務者の調査強化」という「申請のハードルを上げる」ことである。

今回の発端は、河本準一騒動だった。

事態を「河本準一対片山さつき」という個人攻撃両派の「論争」に矮小化してしまった点で、松尾貴史さんらの潮流も、私は河本準一叩きと同様に責任があると思っている。

一芸人の納得できない受給に対する怒りは、たんなる河本準一憎しではなく、ましてや片山さつきいじりでもなく、社会の、役所の、福祉の矛盾や不合理に対する庶民の怒りとして、それが行政に直撃するように方向づけるのが「文化人」の仕事だったのではないだろうか。

以上、河本準一生活保護受給騒動がネットでは大変な騒ぎである。だが、当該騒動を巡り片山さつき議員を批判する松尾貴史さんの発言も疑義、でした。

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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