『白い巨塔』といえば山崎豊子さんの代表作です。岡田准一主演でドラマ『白い巨塔』を2019年5月22日から5夜連続放送するとテレビ朝日が発表していますが、1978年に放送された田宮二郎版における児玉清のような脚本を超えた対決の興趣はあるでしょうか。
財前五郎の人間的な弱さを描いたフジテレビ版
『白い巨塔』は、過去5回映像化されています。
- 1966年、大映(田宮二郎)
- 1967年、NET(佐藤慶)
- 1978年、フジテレビ(田宮二郎)
- 1990年、テレビ朝日(村上弘明)
- 2003年、フジテレビ(唐沢寿明)
これに、岡田准一主演による『白い巨塔』が加わるわけです。
私は、その中からどれがいちばんよかったかと問われれば、『1978年、フジテレビ(田宮二郎)』を選びます。
1966年の大映映画は、大河内教授の加藤嘉や、鵜飼教授の小沢栄太郎など、1978年版と出演者も重なるのですが、劇画チックなインパクトや、財前五郎の人間的な弱さなどは、1978年のフジテレビ版の方がよく表現されていたと思います。
ドラマは31回かけてゆっくり見せましたから、2時間29分の映画と単純に比べられるものではありませんが。
見所は、財前五郎と対決する関口弁護士役が児玉清だったことでしょう。
田宮二郎と児玉清
田宮二郎と児玉清の、リアルな生き様は実に対照的で興味深いと思います。
年齢はほぼ同じ(児玉清が2学年上ですが一浪しているので1学年違い)で、どちらも同じ学習院大学出身。
同じ頃映画会社に入り、また同じ頃テレビに。
ともに人気クイズ番組の司会者。
経歴は似てるのに、役者としての哲学は180度違っていました。
田宮二郎は大映時代、「スターはハッタリが必要だ」という持論から、大部屋なのに借金して外車を買い乗り回したといいます。
『白い巨塔』の役作りと言って、人気番組だった『クイズタイムショック』をあっさり降板。
『白い巨塔』の撮影中は、飛行機に乗っていて病人が出た時、「医師の方はいらっしゃいませんか」という呼びかけに、「私は医師です」と名乗って出たという仰天エピソードもあります。
ホントかどうか確認はとってませんが(笑)
一方、児玉清は、大学院に進んで学者になりたかったのに、父親が亡くなったために断念。
「生活のために」東宝ニューフェイスへ。
映画界が斜陽になると、食べられないからと、躊躇なくテレビにうつりホームドラマで堅実に仕事をこなしました。
そして、『パネルクイズアタック25』の司会を勤めましたが、長く続けられたことについては、そのギャラで生活が安定したことを率直に感謝しています。
勝新太郎のような破天荒さもなく、高倉健のようなミステリアスな面もない。
ごく普通の紳士が、生活のためであることを隠さず、真面目に俳優という仕事をコツコツこなした。それが児玉清なのです。
この生き様が180度違う2人の俳優が、脚本を超えた対決をしているかと思うと勝手にドキドキしました。
だって、年齢も学歴も経歴も似ていたら、お互いどこかで意識すると思うんですよね。
これは、村上弘明VS江藤潤や、唐沢寿明VS上川隆也にはない“ドラマ”です。
最大の悪役は東教授ではないのか
『白い巨塔』のあらすじは、浪速大学第一外科の東教授が、定年退官するにあたって、消化器外科の名医として医局員の信頼も厚い財前助教授に嫉妬。
母校の東都大から移入教授を目論むことで、ポストや研究費助成、そして現金までが飛び交うダーティーな選挙戦になったという話です。
つまり、教授職は財前五郎の野望でもあるわけですが、そもそも教え子に嫉妬して様々な策略を巡らせた東教授こそが、選挙戦をダーティーにしてしまったおおもとの原因です。
世の中は、紳士然としている人間こそ裏がある、という懐疑心を当時少年だった私はドラマから教わりました。
その偽善な策略家を、中村伸郎が好演しているのが見どころです。
ただ、救いといいますか、どんなにダーティーな面を描いても、財前や東には、ときおり医師としての良心や挟持を見せることがあるのです。そのへんがよかったですね。
後半は、財前五郎、というより田宮二郎と同年代で、同じような経歴をもちながら対照的な俳優人生を送った児玉清も登場するので、それもまた楽しみです。
里見脩二は本当に善人だったのか
ストーリーの基本は、出世欲をもった財前五郎と、医師としての良心を守り続けている里見脩二という相克が描かれています。
それはすなわち、「里見=善玉」「財前=悪玉」というわけですが、久しぶりにもう1度ドラマを見直してみると、歳をとったからか、また違う感想をもちました。
里見脩二医師は立派な人のように描かれています。
しかし、平気で約束はドタキャンするし、初診しただけの患者のことで証言して大学は追われて夫人を泣かせるし、片恋状態だった東教授の娘を店晒しにはするしで、私には、ただの研究馬鹿で、ちっとも人間的に立派には見えません。
裁判の原告となった患者の家族も、ずいぶん図々しい人のように思いました。
担当医の柳原弘(高橋長英)に証言をさせようと、みながよってたかって詰め寄るさまは、少なくとも学位や縁談という条件を提示していた財前五郎よりよほどタチが悪いと思いました。
そのことによって、柳原弘が大学にイられなくなったとして、その人達は責任を取るのでしょうか。
たとえば、原告の弁護士は、原告の会社が倒産したことをわざわざ柳原弘に聞かせるのですが、そのことは柳原弘とは何の関係もないことです。
弁護士なんて、しょせん依頼人のためなら、どんなことでもするんだなあと、むしろ嫌悪感をいだきました。
初期噴門部がんの肺への遠隔転移はレアケースであり、第一審の唐木名誉教授が、検査をしなかった財前の倫理観の欠如を責めつつも、だからといって医学的に誤診とはいえない、と区別した見解こそが妥当だったのではないでしょうか。
もちろん、これは、みなさんと考えが異なるかもしれません。
ただ、ひとつの作品が、時間がたってから改めて鑑賞すると、以前とは違う評価を与えたくなることもあるんだなと思いました。
フジテレビ版『白い巨塔』にはこんな疑問も
なぜ医院のままで病院にしないのか
フジテレビ版『白い巨塔』には疑問もあります。
ストーリーの矛盾という意味ではなく、本当の疑問です。
ひとつは第2回です。
岳父・財前又一(曽我廼家明蝶)の財前産婦人科医院が繁盛しているので、財前五郎は、「お義父さん、どうして病院になさらないのですか?」と尋ねます。
又一は、その方が儲かる、どうしてそうなのかはそのうち教えると答え、結局最終回まで教えるシーンはお目にかかれませんでした。
病院と医院(診療所)の違いは、患者を20人以上収容する医療機関であるか、患者19人以下もしくは収容施設を持たない医療機関であるかですが、それだけでは「どちらが儲かるか」はわかりません。
ドラマを見た限りでは、又一は往診も行っているようです。
往診を行うことで、あまり他人様に知られずに治療を受けられる対価が多いのかな? なんて考えもしましたが、未だに答えはわかりません。
『ナニワ金融道』という青木雄二氏のまんがでも、産廃業者が株式会社として登記せず、個人事業にしたほうが儲かるという話が出てきたと記憶しています。
世の中には額面通り考えていたらわからない裏があるのでしょうね。
16票の内訳はどうだったのか
『白い巨塔』のもうひとつの謎は、第10回の教授選決選投票の内訳です。
第1回の投票で財前が12、東教授の推す菊川(米倉斉加年)が11、野坂教授(小松方正)のグループが推す葛西が7でした。
そこで、財前派、菊川派によって、小松方正の持つ7票の奪い合いになります。
菊川派は、今津教授(井上孝雄)を使者にして、東都大学船尾教授(佐分利信)の影響力を使った、小松方正の整形外科学会理事の椅子と、他3人の研究費助成を約束します。
財前派は、鵜飼医学部長(小沢栄太郎)の権限を使った新設小児外科の人事権と、医学部同窓会の口添えと、財前又一から1票あたり100万円で投票を依頼。
結果的に、財前16、菊川14で財前が勝利しますが、単純にかんがえると、小松方正が財前4、菊川3に票を割り振ったと考えられます。
研究費助成を約束された人が3人菊川に投票して、小松方正が財前に入れたと考えるのが順当です。
結局勝ち馬(第1回の得票が多い財前)に乗ろうという結論になったのかもしれません。
が、テレビでは、「なぜ16票しか集まらなかったのか」という話になった時、小沢栄太郎の表情がうつり、小沢栄太郎が菊川に寝返った可能性もうかがえる演出をしています。
原作は、票の内訳を明らかにしていません。
つまり、ここは読者・視聴者が、いかようにも推理できるようになっています。
『白い巨塔』ファンのあなたはどう推理されましたか。
以上、『白い巨塔』は何度も映像化されているが1978年田宮二郎版が児玉清との脚本を超えた対決など5つの興趣で最高傑作との声、でした。
コメント