節約する人に貧しい人はいない。(中川淳一郎著、幻冬舎)という書籍が話題。そもそも貧しい人は節約しようがないというツッコミは措こう。見栄を捨て他人と比べない。競争しない。妬まない「自分のため」の金銭感覚なら貧しくはならない、という話である。
以前、『オーマイニュース』という、シロウトが寄稿するネットニュースサイトがあり、あの鳥越俊一郎氏が初代編集長に就任したものの、すぐに投げ出したことがあった。
本書では、いきなり当時の鳥越俊一郎氏についてこう批評している。
- 上から目線(紙メディア・電波メディアの方がネットより上だもん!)
- 神輿に乗ることを考え、実務はしない(実質的「編集長」業務はしていなかった)
- 一般大衆の正直な意見に弱い、想定外のことに弱い(ネットの揶揄に耐えきれなかった)
- ちやほやされ慣れている(ネットニュースの編集者でチヤホヤされるヤツなんて不要です)
- 改善する気概がない

その了見で、東京都知事まで投げ出されたらたまったもんじゃない、と書かれているのだが、まさに鳥越俊一郎氏が都知事選候補者になってから指摘されたことそのままであり、御輿を担いだ者の責任は改めて問われるべきである。
なぜ、そんな論外の候補者になったのかは、当選よりも民共が共闘して担げる人がいい、ということになったからであり、本末転倒であった。
そのたる、前回日本共産党が推していた宇都宮健児氏のはしごを外し、ではもう推さないのかと思ったら、次の20202年の選挙ではまた推すという、党利党略で筋の通らないことを平気でやっているのだ。
さて、『節約する人に貧しい人はいない。』は、貧しくなるのは貧乏だからではなく、世間体を気にして無駄なカネを使うからだという。
その一方で、金は人と関わることでしか得られないので、飲み会はどんどん参加しようと説いている。
つまり、ただの倹約のすすめではなく、無駄なところに金は使うな、という話である。
会社は2人でやるのがいい
『節約する人に貧しい人はいない。』で私がなるほどなあと思ったのは、「会社は異性と2人でやるものだ」という意見である。
中川淳一郎氏は、フリー編集者から会社組織にしたが、大学の同級生の女性を社員にして、順調に売上を伸ばしているそうだ。
「会社は2人に限る」利点はこう述べられている。
- 個人よりも会社組織のほうが効率よく仕事ができ、かつ2人だけならお互いの仕事を把握できる
- 3人になると、誰がどの仕事を担当しているかがわからなくなってくるし派閥も出来る
- 5人、10人と社員が増えると固定費が増えて経営者としてのプレッシャーが増す
- 相手が同性だと仕事の出来に嫉妬など余計な感情も湧くが異性ならそれもない
上場企業の社長になりたいのならまた話は別だが、中小企業でリスクを少なく稼ぐなら、固定費を減らし、かつ会社としての利点を上手に活用する「2人会社」がいいという。
もちろん、仕事がふえれば外注は使う。
業種にもよりるが、中川淳一郎氏は自身の編集者としての業務と、ライターの手配が仕事の中心になっていると思うので、たしかに最小限の社員と外注で乗り切れる。
格差の「下」の気持ちがわかるか?
そのように、参考になることは少なくないが、Amazonのレビューで本書は、10人のうち5人が、★1つ、ないしは2つにとどまっている。
アンチが熱心に批判する場合もあるので、かならずしもネットのレビューはあてにならないが、半数が高評価、半数が低評価、というのは、案外妥当なところかな、という気もした。
やはり一番の理由は、中川淳一郎氏が、そもそも高収入者であり、節約することで貧しくなくなった人ではないからである。
本人は、自分が高収入者だから、ということは否定しているが、中川淳一郎氏の提唱する節約自体も、本当に貧しい人からすると、「まだまだ」だと思われる。
たとえば、おいしいラーメンを食べに行く時、行くときだけはタクシーを使い、帰りは歩くと書いているが、年収300万円の時代に、そんなことにタクシーを使うのは贅沢というものである。
友人15人に合計1500万貸して、6人から戻ってこなかったなどと苦労話を書いているが、貧しい人はそんな金額をひとさまにお貸しすることはできない。
食べ物のブログや「食べログ」で、「コスパ」という言葉が出てくるのを中川淳一郎氏は嫌っている。
「コスパ」というのは、値段の割に量が多いという話だから、「飲み会や会食の本質(人とのコミュニケーション)を理解せず、単なる腹を満たすためのエサとして食事を取り扱っている」という。
「中年を過ぎたら適正な量の食事をそれなりの雰囲気の店で味わい、それに見合う金額を支払う習慣を身につけるべき」という。
しかし、私のような、「中年を過ぎ」ても「適正な量の食事をそれなりの雰囲気の店で味わい、それに見合う金額を支払う」ようなレベルにない無一文からすると、なんか別の世界の価値観という気がする。
では、中川淳一郎氏が、生活感のない苦労知らずかというと、必ずしもそうではなく、たとえば、若者が3000円の飲み代を出すのは大変だから、カネを持っている年長者が払ってやるべきだなどと述べている。
これは、中川淳一郎氏が、27歳で無職になり、お金で苦労した経験自体はあるから言えるのだろう。
要するに、中川淳一郎氏には、若い時は貧しくても年長者は金を持っていて当然なのだ、という認識があるのではないかと思う。
著者は無一文になっても同じ文章を書けるのかな?
現代は、年功序列によって収入が年齢とともに上がっていく時代ではなく、また格差社会と云われているが、中川淳一郎氏の提唱には、平均年収より下の人、リストラされたり、会社が倒産したり、給料がカットされたりなど様々な理由で、歳をとってもなお大変な人たちを前提としていない憾みを感じる。
いっそのこと、中川淳一郎氏はいままた無一文になれば、同じテーマで、より豊かな文章がかけるようになるかもしれない。
以上、節約する人に貧しい人はいない。(中川淳一郎著、幻冬舎)は「自分のため」の金銭感覚なら貧しくはならないという話、はここまで。
節約する人に貧しい人はいない。 (幻冬舎単行本) – 中川淳一郎
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