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脱しきたりのススメ(島田裕巳著、毎日新聞社)はしきたりの正体を明らかにしながらそれらと上手に付き合う指南書です

脱しきたりのススメ(島田裕巳著、毎日新聞社)はしきたりの正体を明らかにしながらそれらと上手に付き合う指南書です

脱しきたりのススメ(島田裕巳著、毎日新聞社)はしきたりの正体を明らかにしながらそれらと上手に付き合う指南書です。結婚式、お中元、祝儀袋・不祝儀袋、遺言書、年金制度、不動産、離婚、葬式、など昔からあるものの意味と処し方を対象としています。

脱しきたりのススメとはなにか

タイトルが『脱しきたりのススメ』ですから、もちろん、旧来的なしきたりを否定しています。

ただし、宗教学者である島田裕巳氏は頭から拒否するのではなく、各しきたりの正体を明らかにすることで、義理ごととして人間関係をうまく切り抜けるすべを身につけ、自身の幸福につなげようという主旨です。

対象は、冒頭にも書いたように、結婚式、お中元、祝儀袋・不祝儀袋、遺言書、年金制度、不動産、離婚、葬式、遺言書、年金制度、不動産などです。

遺言書、年金制度、不動産などがしきたりなのか? と懐疑的なものもありますが、その制度自体がしきたりかどうかにかかわらず、なぜそれらが仕組みとして存在するのかを解明かることで、しきたりに影響を与えているという意味でとりあげられています。

脱しきたりと年金制度

年金制度がなぜしきたりの影響を受けるかというと、先祖崇拝だそうです。

先祖崇拝というのは、要するに目上の人を絶対的立場におくことで、リタイアした高齢者が守られる仕組みでした。

しかし、年金制度の導入とともに、年寄りの経済的基盤ができ、祖先崇拝のしきたりによって守られる必要がなくなった、というわけです。

しかし、これは島田裕巳氏のこじつけのカンがあります。

なぜなら、祖先崇拝のしきたりを守る家制度は、戦後施行の民法で否定されています。

戦後、新しい民法で家制度が否定され、核家族という言葉ができるほど、家族を中心とする家族制度に移り変わりました。

結婚すれば、実子であっても戸籍が別れる。

親の扶養は一応法律に記載されていますが、長男や祭祀承継者に義務付けられているわけではなく、押し付け合うことをよしとしていないので、「誰も親の面倒を見ない」という現象が現実にあります。

その結果、老齢年金制度ができたのは1961年です。

国民年金なら、当時の受給開始年齢は60歳で、61年時点ですでに50歳以上だった人は、保険料を1円も払わなくても全額税を財源とする『「福祉年金」』を70歳から受け取れたのです。

法律で「しきたり」を旧弊なものと否定したため、年金制度で経済的にフォローしたのです。

脱しきたりと離婚

では離婚はどうでしょうか。

離婚の増加は、サラリーマン世帯の増加にあるといいます。

サラリーマンは会社のコマなどといいますが、実は社会の部品であり、無産階級の働き蜂だから本来子供も作る必要がない。

さすれば夫婦はセックスレス状態に陥り、夫婦が疎遠になるというのです。

これも一概にはいえないように思います。

さきほど、家制度の否定と書きましたが、いまだに『〇〇家の跡取り』という言い方はあり、しかもそれは旧家ではなく、無産階級のサラリーマン世帯でも、その親の世代では当たり前のように出てきます。

たとえば、石井ふく子プロデューサー、橋田壽賀子脚本の『渡る世間は鬼ばかり』というドラマは、藤岡琢也、山岡久乃夫妻の5人の娘が、「岡倉家を継ぐ」だの「岡倉の名前を残す」だのということを結婚の条件として、いつも揉めていしました。

しかし、藤岡琢也さん演じる岡倉大吉は、たんなるサラリーマンの定年者であり、第二の人生を脱サラして飯屋をはじめたのです。

せいぜいマイホームと生涯賃金を貯めた「財産」で、継ぐだの継がないだのいわれても、娘たちだって困ってしまうでしょう。

話を戻すと、たとえサラリーマンの核家族であっても、「〇〇家の子孫を残す」という考え方は残っていますし、またそもそもそんなことと関係なく、子どもが欲して不妊治療の夫婦は今もたくさんいます。

それに、離婚は必ずしもDINKsとは限りません。

子どもがいなければ、後で揉めることが少ないから離婚しやすいことは確かですが。

脱しきたりと結婚式

結婚式については、「お試し期間」を設けてから結婚式をあげたほうがよい、としています。

しかし、処女性を求める価値観は今もあり、もしそれでダメだった場合、女性に対して不利な「お試し」です。

もとより、正式に婚姻する前に婚家に花嫁が一定期間住み込み、嫁という労働力として使い物になるか、子どもを産む能力はあるか、といった「品定め」をしてから、改めて祝言をあげる「足入れ婚」は昔からありましたから、いずれにしても脱しきたりと提案するようなものとは思えません。

だいたい、結婚式や葬式は、昨今ずいぶんやり方が変わってきており、率直に言えばしきたりを脱している人も多いように思います。

たとえば、結婚式は当人同士が納得のいくスタイルで済ませたり(地味婚)、結婚式自体をあげず、婚姻は入籍の届けをするだけという夫婦も珍しくありません。

その一方で、イベントとして派手な結婚式を望む人もいます。

どちらにしても、結婚式を「しきたり」という観点で「する」人がどれだけいるのだろうかという気がします。

脱しきたりと葬式

葬式は、しきたりとしての範疇に入ると思いますが、先程も述べたように、葬式のあり方はだいぶかわっています。

家制度が崩壊した上に少子化、しかも近所付き合いも以前に比べると希薄になりましたから、葬式を家族葬、もしくは直葬など、いわゆる密葬が人気商売の芸能人ですら増えてきました。

菩提寺を持つ檀家も減り、葬式のときだけAmazonでお経を頼み、遺骨は散骨にして墓も作らない、少なくとも先祖代々だの一族だのの墓には入らない人も増えています。

さすれば、離檀や墓じまいもふえるわけです。

こちらはもう、脱しきたりの方向にいかざるを得ないのではないでしょうか。

私自身ですか。

人は死ねばそれっきりですから、大勢の人を招く葬儀は望みません。

1000人来れば死者が生きかえるのでしょうか。

遺った人の自己満足で、他者に手間を掛けてはならないと思っています。

真の「脱しきたり」とは何か

……とまあ、いろいろ批判めいたことを書きましたが、本書は決してそれだけではありません。

たとえば、島田裕巳氏の言う「人の死は故人だけのものでも、家族だけのものでもない」というくだりは深いなと思いました。

本書では、故人から葬式はいらないと言われその通りにしたら、生前つきあいのあった人から「線香だけでもあげさせてほしい」だの「墓参りをしたいから場所を教えてくれ」だのと言われてしまうことがある。

その対応に、遺族が大変な思いをするから葬式には合理的な意味があるというのです。

宗教学者である島田裕巳氏によれは、人間には知り合いの訃報を受けたとき、死を自分の目で確かめたいという欲求が発生するといいます。

死を確認したいから、喪家を訪ねたり、墓参りをしたりせずにはおれないというわけです。

最後のお別れを、きちんとしておきたいという気持ちもあるでしょう。

ただし一方で、遺族は弔問客が訪れるたび、故人のことを思い出さねばならず、それが負担になることもある。

葬式は、遺族にとっても、知り合いにとっても、その区切りになるわけです。

けだし、生前おつきあいの多い人の遺族の場合には、考えられることです。

昔からみんなやっているから、という「しきたり」の発想で漫然と葬式を行うのではなく、遺された人のために葬式というかたちでお別れの場を設ける。

それならば、しきたりにとらわれないという意味で、脱しきたりといえる葬式になるのかもしれません。

ほかにもお中元、祝儀袋・不祝儀袋、遺言書、不動産、などを対象としています。

以上、脱しきたりのススメ(島田裕巳著、毎日新聞社)はしきたりの正体を明らかにしながらそれらと上手に付き合う指南書です、でした。

脱しきたりのススメ
脱しきたりのススメ

冒頭イメージ
Omar Medina FilmsによるPixabayからの画像

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