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萩本欽一さんがかつて「土曜夜8時戦争」といわれたザ・ドリフターズとの「戦い」や「不仲」などについて真相を語っているのが話題

萩本欽一さんが、かつて「土曜夜8時戦争」といわれたザ・ドリフターズとの「戦い」や「不仲」などについて真相を語っているのが話題

萩本欽一さんが、かつて「夜8時戦争」といわれたザ・ドリフターズとの「戦い」や「不仲」などについて真相を語っているのが話題です。コント55号は、その戦いに敗れたことがきっかけで、お互いの単独活動が多くなりました。

コント55号の爆笑コントの誕生と「休止」

私は、戦後史上、もっとも面白いと思ったコメディアンは誰か? と聞かれると、迷わずコント55号と答えてしまうかもしれません。

相方の坂上二郎さんは、すだに物故して10年になりますが、生前、本人曰く、いちばん印象に残る仕事は萩本欽一とのコント55号時代だと答えていたインタビューを覚えています。

萩本欽一と坂上二郎が出会ったのは浅草フランス座。

当時萩本欽一が21歳で、坂上二郎が28歳でした。

40年以上もコンビを続けたぐらいだから、強いシンパシーを感じた初対面を連想しますが、この頃の関係は水と油だったといいます。

チャップリンを目指してコメディアンになった萩本欽一は、「笑いの原則」を大切にしました。

私はは、「欽ちゃんバンド」で活躍した清水由貴子さんから、「萩本欽一の笑い」についてこんな「原則」を聞いています。

「大将(萩本)は、あまり注意はしないんです。怒るということもほとんどないですね。ただ、笑いに対しては厳しく、1度だけ、わざと間違えて笑いをとろうとしたのを厳しく怒ったのを見たことがあります。あとは下ネタも禁止で、言うと一口1000円の罰金箱がありました。佐藤B作さんがいちばん罰金が多かったんですけど(笑)」

一方、歌手になり損ね、師匠格の阿部昇二と背水の陣でコントをしていた坂上二郎は、原則論より結果を大事にしていました。

「お客さんが楽しんでくれることがいちばん大事なんじゃないか」という考えから、受けるならと、下ネタも大サービスして客から笑いをとっていました。

萩本欽一にとって、そして坂上二郎にとって、180度違うお互いが「しゃくにさわる存在」になるのに時間はかかりません。

楽屋では満足に口をきいたことがなったそうです。

その分、舞台ではものすごいエネルギーを発散しあいました。

萩本欽一と坂上二郎が同じ舞台に立つとき、坂上二郎が引っ込む際に強烈なアドリブを放って、次に出る萩本欽一の出鼻をくじきます。

しかし、萩本欽一も負けじとアドリブ返しをします。

そうなると、文字通り引っ込みのつかなくなった坂上二郎が、また舞台に出てきてアドリブを返します。

またまた負けじと萩本欽一が応酬。

時間の制約が厳しいテレビではないから、2人のアドリブ合戦はどこまでもエスカレートして、客は興奮の坩堝と化す仕組みです。

そこから、テレビカメラの枠に収まりきらないコント55号という火がつくような勢いの爆笑コントが誕生したのです。

萩本欽一は、当時自分の描いた笑いを具現してくれるパワフルな相手が欲しかった。

坂上二郎は、自分を思いっきり引き出してくれるパートナーが欲しかった。

すでに芸の枠組みができあがっていたベテランの阿部昇二に、萩本欽一の仕事はできなかった。

坂上二郎がいるから萩本欽一が生き、萩本欽一がいるからこそ坂上二郎が生きたわけです。

そんな大ブレイクしたコント55号ですが、活動に区切りをつけるのは意外と早かったのです。

1968年に始まった『コント55号の世界は笑う』(1968年7月13日~1970年3月28日)は、フジテレビ土曜夜8時の人気番組でした。

それが、5クール後の1969年10月4日から始まった、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』に視聴率で押されると、なんとその2クール後、つまり半年で番組を打ち切ってしまい、以後、コント55号は、配下のコント0番地や阿部昇二を食べさせるための『55号決定版!』と、『コント55号のなんでそうなるの? 』と、30分番組2本だけを残して、それぞれの単独活動が中心となりました。

その後は、それぞれの分野で活躍。

萩本欽一は、「視聴率100%男」とまで言われるようになりましたが、改めて今、その「土曜夜8時戦争」について振り返ったというわけです。

「本当は仲は悪くなかった」と語る萩本欽一


NEWポストセブンの『コント55号vsドリフターズ 萩本欽一が明かす「土曜夜8時戦争」の真実』というタイトルの記事は、1960年代後半の「土曜夜8時戦争」について書かれています。

「戦争」の当事者だから、仲が悪いのだろうと思いきや、そうではなかったという話です。

萩本欽一はこう語っています。

「もともとドリフとは仲良かったの。当時ぼくは大井競馬場で馬を持っていて、コーちゃん(仲本工事)とは大井でしょっちゅう一緒になってた。カトちゃん(加藤茶)交えて3人で麻雀したりね。でも、メディアがライバル構造を作るもんだから、お互い意識しちゃってさ。カトちゃん、コーちゃんとある時、『プライベートで一緒に歩くのはやめよう』って決めたんです。

 当時、二郎さんとよく『ドリフに敵うわけないよ』って話してたっけ。彼らの稽古はすごいもん。毎週毎週、何時間もさ。TBSの他の番組に行くたびにドリフの稽古を見ていたから、肌で感じてたんだ。僕らは稽古なんてしないし、瞬発力で舞台を駆け回ってただけで、ドリフの『計算された団体芸』とは力の入れようが違ったよね」(萩本欽一)


そういえば、萩本欽一と、ザ・ドリフターズの仲本工事は同い年なんですね。

その仲本工事も、当時を述懐しています。

「相手のことを考える余裕すらなかったってのが正直なところ。毎週、いかりやさんの指示に従うだけで、もう必死ですよ。『全員集合』の合間には地方興行もあるし、ヘトヘト。いかりやさんは『他のことは考えるな。自分の番組のことだけ考えろ』ってよく言ってた。TBSからは数字のことも散々言われていたと思うけど、そういうやり取りは全部いかりやさんが引き受けてくれた。あのワンマン体制があったから、『全員集合』は成り立っていた」
「ステージで生演奏してるから、もともと生放送に向いてたんだ。間が空けば自分で繋げる。あとはリズム感。ドリフの強みは5人がリズムに合わせて一斉にずっこけられること。くしゃみひとつで転ぶのは音楽のリズムと同じ。ある種の“踊り”みたいなものでね。分かりやすくて、子供も大人も楽しめたんでしょう」

これがWeb掲示板スレッドです。


以下が主なコメントです。

12名無しさん@恐縮です2021/05/04(火) 03:25:55.75ID:7GNzRErO0>>288
今にして思えば何で同じ時間にやるんだよ?って感じだw

42名無しさん@恐縮です2021/05/04(火) 04:19:16.68ID:gfLx72+n0
西山浩司(ワルオ)曰く、欽ドンを土曜の7時半に持ってきたのは、全員集合と同じ時間帯だと敵わないので、30分早く番組を始めてそのまま観てもらおうという狙いがあったとか
それでもドリフの牙城は崩せず、結局月曜9時に移動したけど

49名無しさん@恐縮です2021/05/04(火) 04:28:37.45ID:opAmbfiU0
コント55号としてネタやってたのって
ドリフみたいに舞台の公開収録でやってた「なんでそ?なるの」あたりが最後か?
車だん吉とかがまだ取り巻きとして一緒にやってた頃

93名無しさん@恐縮です2021/05/04(火) 06:16:19.03ID:9cReG9AM0
浅草投げ出し
番組投げ出し
野球投げ出し
大学投げ出し

95名無しさん@恐縮です2021/05/04(火) 06:18:37.02ID:5bzT7xmG0>>218
いま改めて観ると全員集合は面白いよ。
当時はそう思わなかったけど

124名無しさん@恐縮です2021/05/04(火) 06:52:36.49ID:Ntrbvq0v0
コント55号人気はすごかった
学校でも流行って真似した子が
ケガしたりしたかな
若い芸人に多大な影響を与えた。


ということで、「93」のコメントが面白いですね。

『欽ドン』など出演番組がすべてヒットして「視聴率100%男」といわれましたが、「運を全部使い切りたくない」と全番組降板。

『24時間テレビ』も、「善人と思われたくない」という理由で降板して周囲を驚かせました。

事程左様に、回り道しろ、人気絶頂は運を使い切ってしまうといった独自の「運」論を持ち、その著作も多数あります。

萩本欽一さんの運論については、また機会を改めましょう。

いずれにしても、不仲ではなかったということです。

外部にはわからない、同じ世界の者同士の連帯感があるのかもしれませんね。

以上、萩本欽一さんが、かつて「土曜夜8時戦争」といわれたザ・ドリフターズとの「戦い」や「不仲」などについて真相を語っているのが話題、でした。

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この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、曾祖叔父と“日本のケインズ”高橋是清の接点(仙台藩でワキジ時代のお世話役、そして姻戚関係か)を発見。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場からMMT支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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