「幸せになるため」に親に感謝しなければならないのか。親の良いところも悪いところも真正面から批評することが真の問題解決

この記事は約5分で読めます。

「幸せになるため」に親に感謝しなければならないのか。親の良いところも悪いところも真正面から批評することが真の問題解決

人は誰でもよりよい人生、有り体に表現すれば、幸せな人生でありたいと考えるでしょう。しかし、人生はいいことばかりではありません。毒親など感謝できない親のもとで育つと、親に対する恨みつらみが出てくるものですが、親には感謝しろという意見もあります。

だからこそ、育ててくれたことに感謝?

Facebookで、親に感謝しようという投稿を見かけました。

「親に感謝できないのは、自分が生まれて、生きていることに、喜びがないから」とし、「親といってもいろんな親がありますから、親に感謝できない、恨んでいるというのは、親にも問題がある場合も多い」ということも認めています。

しかし、それでも親に感謝しろ、感謝すれば人生に喜びを感じるようになる、としています。

もう1度整理すると、投稿は、

親に感謝できないのは、自分が生まれて、生きていることに、喜びがないから

親に感謝すれば、自分が生まれて、生きていることに、喜びがわく

と述べています。

そして、お釈迦さまは、「全ての人は、親から大変な恩を受けているのだよ」と教えられているとして、「懐胎守護の恩」「臨生受苦の恩」「生子忘憂の恩」「乳哺養育の恩」などを紹介しています。

要するに、子どもを育てるというのは、これだけの苦労があるという話です。

私はこの点について、

育ててくれたことへの感謝は子に強要するものではなく、親が責任として感じることである

という意見です。

なぜなら、投稿のとおりでは、毒親で悩んでいる人たちに対して、誠意のある「教え」とはとうてい思えません。

親に感謝できない現状に関して、「それでも感謝しろ」と、観念で押さえつけても解決にはならない、ということです。

その人が親に感謝できないのはどうしてか、その原因を明らかにして、どう改善するかを合理的に考えるべきだろう、と思います。

感謝は「ねばならない」と強制するものではない

親、さらに広げて先祖でも良いのですが、親(先祖)がいて自分がいるのだから感謝しろ、という言い分があります。

親(先祖)がいて自分がいる。

これは自明のことです。否定しようがありません。

しかし、感謝すべきかどうかは別の話です。

感謝したい人はすればいいが、そのような実感が無いのに無理にする必要はない「内心の自由」の問題ではないでしょうか。

「育ててくれたことに感謝しろ」などと、感謝を「ねばならない」と問答無用に強制することが根本的な間違いだと思います。

昨今問題になっている、毒親に対して説明がつかないし、解決にもなりません。

自分がより良く生きよう、能力を全面開花した人生を過ごそうと思っても、毒親が足を引っ張る場合があります。

やっかいなのは、親から刷り込まれたことは、親が亡くなってもなかなか改められず一生ついてまわるということです。

私はそういう場合は、おおいに親を怨み批判すればいいと思います。

理由の一つは、それによって、その人の気持が救われる場合もあるからです。

自分が駄目なのではなく、親にきちんと育てられなかっただけだから、自分に絶望する必要はないと考えると、自分自身に対する信頼を取り戻せるのです。

とくに、過干渉型の毒親は、子の自己決定能力、自己肯定感などを徹底的にスポイルしますから、毒親の子に対する責任は重いと思います。

2つ目は、親の何がだめなのかを徹底的に追求することで、その人が親になってから同じ過ちをしない、つまり不幸の連鎖を断ち切れる可能性もあります。

毒親は、やはりその親が毒である場合が多く、それをたどっていくと一族の問題になります。

その流れを断ち切るためには、何が悪いのか、何がだめなのかを見定め、自分の代で不幸の連鎖を断ち切る、という決意と判断をする必要もあるのです。

では、釈迦の教えとする「恩」をどう見たら良いのでしょうか。

「教え」は、親になろうと考えるなら、クリアしなければならない道順と私は解しています。

決して、生まれてくる子に対して、「感謝しろ」とつきつける「恩」ではないと思います。

考えても見てください。

親が子をなすのは、別に子に頼まれたからではありません。

自分が好き好んで子どもを作ったのです。

子は、あなたを親として生まれたかったと希望していたわけではないでしょう。

生まれてくれてありがとう、ではあっても、生んでやったんだから感謝しろ、は違うだろうと私は思います。

感謝の強要でごまかさずフェアな親になろう

民法第818条は、「①成年に達しない子は、父母の親権に服する。 ②子が養子であるときは、養親の親権に服する。 ただし、父母の一方が親権を行うことができないときは、他の一方が行う。」とされています。

親が右向けと言ったら、子は右を向きなさい、というのが現在の日本が定めた親子関係のあり方なのです。

つまり、子は親に人格まで支配された奴隷である、といっているようなものです。

そうやって、親から強引に価値観や思考・判断のシステムを刷り込まれて人生を積み重ねた子が、いきなり生き方・考え方をひっくり返すのは困難なことです。

その上、「感謝しろ」などという「教え」は、毒親を毒親と合理的に批評することを妨げる役割を果たす有害なものであると思います。

もし、あなたが親なら、また将来子を持ちたいと思っている方も、子に堂々と批評されるフェアな親になりませんか。

以上、「幸せになるため」に親に感謝しなければならないのか。親の良いところも悪いところも真正面から批評することが真の問題解決、でした。

キャッチ画像
Photo by Candice Picard on Unsplash

気づけない毒親 (毎日新聞出版) - 高橋 リエ
気づけない毒親 (毎日新聞出版) – 高橋 リエ

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

草野直樹(かやのなおき)をフォローする
社会
トレンド雑談

コメント