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輪島大士といえば元横綱&プロレスラー。元夫人の回顧書籍や本人最後のロングインタビューなどから改めて生き様を振り返る

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輪島大士といえば、今日誕生日の元横綱でプロレスラーです。元夫人が『真・輪島伝番外の人』という回顧書籍を上梓して話題になりました。また『全日本プロレス40年史』では、輪島大士さんご本人が生涯最後のロングインタビューに答えています。

番外の人生

まず、輪島大士さん前夫人の暴露本からです。

『真・輪島伝番外の人』(武田頼政著、廣済堂出版)は、第54代横綱、全日本プロレス所属の元プロレスラー、元タレントである輪島大士さんの前妻・中島五月さんが、恨みつらみで回顧しています。

日本の社会では、その真実性に関わらず、一般に悪口、暴露などは評価されにくいですが、好き嫌いと内容の真偽や意義はまた別の問題であり、私は興味深く拝見しました。

ひとつは、裏話によって当時の報道が裏付けられていること。

もうひとつは、輪島はトンデモない人だったという暴露を行っているわけですが、前夫人の意図や自覚とは別に、その中で輪島の改心や成長も見て取ることができたからです。

輪島大士と言うと、30代ぐらいの人はバラエティ番組に出演していた「ワジー」として記憶にあるかもしれません。

が、力士としては元学生横綱であり、大相撲でも横綱に上り詰めた大変な人です。

学生横綱ですから角界入りは幕下付け出し。

そこからたった1年で幕内に上がり、大関昇進の4場所後には横綱になりましたから、アスリートとしては早熟な超逸材だったわけです。

学生横綱として大相撲でも横綱になったのは市場初めて。

大関までは貴輪時代、横綱になってからは輪湖時代といわれる隆盛を築いて14回優勝しました。

しかし、その輝かしい実績は、輪島大士さん自身の側から見ると、新弟子の苦労もせず、学生時代から相撲だけやってチヤホヤされていたことで、人間としての修行をする時間と機会がなかった憾みを指摘せざるを得ません。

まだ髷もゆえない十両の頃から外車を乗り回し、遊びも派手だったようです。

才能があるから、相撲もナメていたというか、どこか真剣ではなかったのでしょう。

星を買う八百長もあり、借金はかさむ一方だったといいます。

そして、とどめは実妹の事業失敗。

借金のカタに年寄株を担保にしたことで、14回も優勝した元横綱でありながら、角界を追放されてしまったのです。

輪島の人柄をわかりやすく言えば、『オンナとカネにだらしのない人』です。横綱引退直後に師匠である父が亡くなると、あの人の女遊びには以前にも増して拍車がかかり、挙げ句の果てには親方名跡を担保に何億円もの借金をし、それが原因で廃業に追い込まれてしまいました。そもそも輪島はお相撲さんだというのに『辛いこと』や『痛みを伴うこと』に直面すると、その場から逃げ出そうとするのが常でしたから、その後プロレスに転進してもうまくいくわけがなかったのです。

五月夫人は自殺未遂を起こすなどして週刊誌を賑わせ、結局輪島大士とは離婚しました。

ここで、いったん輪島大士はすべてを失ったといわれました。

そこで、第二の人生として選んだのがプロレスです。

ところが、本書によると、その間も離婚したはずの五月さんと“夫婦”で、ジャイアント馬場さんに頭を下げて入団をお願いしたそうです。

要するに、離婚はしても、まだ実質的には妻として輪島を支えたというわけです。

その結果、何と38歳で全日本プロレスに入団した(1986年)のです。

「契約金はありません。……といっても、実はあるかも知らんしな」と記者会見で煙に巻いたジャイアント馬場さんのコメントを思い出しますが、自分からの押しかけ入門ですから、契約金は本当になかったのでしょう。

1試合10万円の報酬だったと推定されています。

契約金はなくても、レスラーデビューまでに相当のコストは掛かっています。

ジャイアント馬場さんも、元横綱に恥をかかせるわけには行きませんから、ハワイの別荘で合宿をさせ、パット・オコーナー、ネルソン・ロイヤル、ハル薗田といった人々がコーチ。

さらにテリトリーのプロモーターに話をつけて、プエルトリコでデビューさせています。

そしてデビュー戦は、アントニオ猪木と抗争を繰り広げたタイガー・ジェット・シン。

その後もメインイベンターとしてシリーズに参加しました。

38歳で、元横綱のプライドがあるのに、打ったり蹴ったりされるプロレスラーなんかつとまらないだろう、という世間の“アンチ”な目も輪島人気につながり、全日本プロレス中継の視聴率にも当初は貢献したようです。

しかし、やはり、足の裏以外を地につけてはならない相撲と、受け身やグランドテクニックが重要なプロレスでは、戦い方が根本的に異なり、そのギャップによるダメージやストレスが心身に蓄積。

結局2年5ヶ月で引退してしまいました。

もっとも、五月さんにいわせると、痛いのが嫌で長続きしなかったそうです。

輪島は毎週のようにテレビ中継の試合を組まれ、天龍源一郎の壮絶な蹴りに耐えていたのを私は見ていたので、ここは、「そうなのか」という思いと「そうかな」という懐疑の気持ちが半々でした。

本書では、それだけでなく、輪島大士は五月さんの養母(先代花籠親方の後妻)が亡くなっても葬式には来ない、自己破産したはずなのに借金取りがきたからと言って五月さんに2000万も無心するなど、身勝手なふるまいを続けたと糾弾。

今度は本当に離婚すると、輪島大士は再婚。

ついに2人の間にはできなかった子どもまで直ぐにできて、甲子園球児になりました。

まあ、五月さんからすると、そりゃ、我慢ならないですよね。

私は、五月さんの暴露は公益性もあり、非難する気は全くありません。

ただ、輪島の相撲からプロレスにかけての「ダメっぷり」を徹底して書けば書くほど、逆に、プロレス以後の「更生」に説得力を感じました。

生前最後の本人ロングインタビュー

『全日本プロレス40年史』(ベースボール・マガジン社)は、全日本プロレスの40年間を試合や記者会見などの出来事の写真とその解説記事、関係者のインタビューなどで振り返っています。

その中で、同団体に2年半所属した輪島大士さんのロングインタビューも掲載されています。

2013年に下咽頭がんで声を失った輪島大士さんにとって、その前年に行われた同誌インタビューは、最後のロングインタビューになりました。

インタビューでは、輪島大士が自分からプロレス入りを望み、ジャイアント馬場がそれを承諾したと述べられているので、これは前夫人の証言どおりです。

インタビューでは、ジャイアント馬場、ハル薗田、パット・オコーナー、ネルソン・ロイヤルなど、当時の師匠に対しては感謝の念を込めながらコメントしています。

38歳で、元横綱のプライドがあるのに、打ったり蹴ったりされるプロレスラーなんかつとまらないだろう、という世間の“アンチ”な目も輪島人気につながり、全日本プロレス中継の視聴率にも当初は貢献したようです。

しかし、やはり、足の裏以外を地につけてはならない相撲と、受け身やグランドテクニックが重要なプロレスでは、戦い方が根本的に異なり、そのギャップによるダメージやストレスが心身に蓄積。

結局2年5ヶ月で、全く何の予告もなく突然引退してしまいました。

そしてその後、プロレスOBとしてプロレスについては一切発言していません。

ですから、てっきりプロレス時代を自らの「黒歴史」として、関係者との接触を拒絶しているのかと思いました。

たとえば、師匠のジャイアント馬場が亡くなった時も、輪島のコメントはなく、話題にもなりませんでした。

しかし、後になって、その時輪島は、第三の人生であるアメフトの仕事でたまたま渡米中であり、帰国してから、馬場宅にお線香を上げに行ったことがわかりました。

プロレス廃業後は、タレントやアメフト・Xリーグのクラブチーム「ROCBULL」の総監督などをつとめ、第三の人生も軌道に乗ったようです。

輪島は、某親方の実の父親だなどとネットではまことしやかに、無責任に取り沙汰されていますが、戸籍上は50歳を過ぎてから初めて父親になっています。

父親としても「大器晩成」なわけです。

そして、同誌のインタビューの翌年、下咽頭がんになり、声を失いました。

インタビューでは、医師からはあと20年は元気だと言われたとの夫人のコメントもありますが、残念ながら20年は生きることができませんでした。

「裸一貫」は人生の仕切り直しだった

今回のインタビューでは、プロレス時代を、「無我夢中で必死にやった2年間は、僕の人生の大切な1ページですね」

と語っています。

38歳の新弟子時代は、決して「黒歴史」ではなかったということです。

才能だけでイケイケで、社会人としても未熟だった相撲時代と違い、プロレスは「裸一貫」の出直しをしたことで、人間修行はできたようです。

皮肉にも前夫人の“恨みつらみ”が逆にそれを証明してくれました。

プロレス界は、元関脇ながら廃業した力道山といい、読売ジャイアンツを整理されたジャイアント馬場といい、他のスポーツの世界で不遇だったり挫折したりした人たちが入門することはめずらしくありません。

その意味で、苦労した人たち、他人の心の痛みのわかる人たちの集まりといえるかもしれません。

輪島大士が、たとえ2年半だけであっても、痛くて我慢できずに辞めたのだとしても、在籍中にそうした世界で頑張ったことが、第三の人生につながったのではないでしょうか。

輪島大士さんについては、以前もご紹介しました。こちらもご覧いただければ幸甚です。

輪島大士といえば元横綱&プロレスラー。元夫人の回顧書籍や本人最後のロングインタビューなどから改めて生き様を振り返る
輪島大士といえば、今日誕生日の元横綱でプロレスラーです。元夫人が『真・輪島伝番外の人』という回顧書籍を上梓して話題になりました。また『全日本プロレス40年史』では、輪島大士さんご本人が生涯最後のロングインタビューに答えています。

以上、輪島大士といえば元横綱&プロレスラー。元夫人の回顧書籍や本人最後のロングインタビューなどから改めて生き様を振り返る、でした。

真・輪島伝 番外の人 - 武田頼政
真・輪島伝 番外の人 – 武田頼政

全日本プロレス40年史 (B・B MOOK 848 スポーツシリーズ NO. 718)
全日本プロレス40年史 (B・B MOOK 848 スポーツシリーズ NO. 718)

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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