高次脳機能障害ってご存知ですか。周囲から見て症状がわかりにくい障害を自らの体験で描いた『脳が壊れた』(鈴木大介著、新潮社)です。ルポライターとして働き盛りだった41歳で、突然脳梗塞を発症。生還はできましたが軽度高次脳機能障害になりました。
高次脳機能障害の可視化しにくさを伝える『脳が壊れた』(鈴木大介著、新潮社)は、著者の鈴木大介さん自身が脳梗塞を発症して高次脳機能障害になった体験を本にしたものです。
脳梗塞自体、決してめずらしい疾病ではありませんから、誰でも高次脳機能障害になり得るリスクは有るということです。
比較的わかりにくい障害であることを、障害者本人の立場から書いている点が特徴です。
では、高次脳機能障害とはどのような障害なのか。
高次脳機能障害について
まず、高次脳機能障害についてご説明しましょう。
高次脳機能障害は、脳の前頭葉や頭頂葉などの高次の認知機能を担う領域が、損傷や疾患によって機能不全を引き起こした状態を指します。
そこが機能不全になるとどうなるのか。
脳の前頭葉や頭頂葉などには、思考力、判断力、言語能力、社会性、自己管理能力、記憶力などが含まれます。
高次脳機能障害は、脳外傷、脳卒中や一酸化炭素中毒による脳への酸欠、神経変性疾患、脳腫瘍、先天性の脳異常などによって引き起こされることがあります。
治療には、薬物療法やリハビリテーションなどが用いられますが、完全な回復ができるケースもあれば、やはり障害ですから、持続的な障害が残る場合もあります。
千葉県千葉リハビリテーションセンターの公式サイトによると、具体的な「主要症状等」は、こう書かれています。
- 脳の器質的病変の原因となる事故による受傷や疾病の発症の事実が確認されている。
- 現在、日常生活または社会生活に制約があり、その主たる原因が記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの認知障害である。
検査所見としては、「MRI、CT、脳波などにより認知障害の原因と考えられる脳の器質的病変の存在が確認されているか、あるいは診断書により脳の器質的病変が存在したと確認できる。」といいます。(以上https://www.chiba-reha.jp/koujinou-center/diagnosis/より)
そして、問題は、軽度ほど可視化しにくいということです。
重度というのは誰にでも分かります。
たとえば、以前大事故にあったケンタロウさんは、今も車いすに乗り、最近はだいぶ意識を取り戻してきましたが、以前は反応も芳しくなかったようですね。
軽度というのは、普通に歩いて、普通にご飯を食べて、普通に話すんです。
ところが、普通の人には見えないものが見えたり、逆に見えるべきものが見えなかったりします。
でも、普通の人からみると、軽度の人も自分たちと違うように見えないので、どうしてそうなるのか、そもそもいつなにを見たときにそうなるのかがわからないのです。
可視化しにくい、というのはそういうことです。
ということをお含みおきの上、以下をお読みいただければと思います。
脳梗塞から高次脳機能障害に
『脳が壊れた』は、鈴木大介さんが新潮社から上梓した書籍です。
鈴木大介さんは、Wikiによると、「犯罪する側の論理」「犯罪現場の貧困問題」をテーマに、裏社会・触法少年少女らの生きる現場を中心とした取材活動を続けるルポライターだそうです。
41歳という働き盛りで、突然脳梗塞を発症。
これ自体、重篤な病気です。
脳梗塞は、脳の血管が詰まって血流が遮断されることで、脳細胞に酸素や栄養素が行き渡らずに死滅する病気です。
血栓塞栓症、脳動脈狭窄症という2つの原因が考えられます。
いずれにしても、脳細胞に酸素や栄養素が行き渡らないことで、脳細胞が死にます。
脳の死は、生命の死に直結します。
脳梗塞は、症状が重くなると、重篤な障害が残ったり、命にかかわることもあります。
また、治療を適切に行わないと、再発する可能性が高く、その場合も命にかかわることがあります。
脳梗塞の死亡率は、年齢や合併症、病状の重篤度によって異なりますが、全体的には高い傾向があるといわれます。
また、脳梗塞が起こった場合、早期に医療機関で治療を受けることが重要です。
時間の経過に伴い、治療効果が低下し、生命に関わる可能性が高くなります。
ですから、脳梗塞の症状が現れた場合は、速やかに救急車を呼び、適切な治療を受けることが必要です。
かりに生還できても、脳細胞の壊死によって脳障害の後遺症が残ることがあります。
寝たきり(遷延性意識障害)か、自力で動けても生活に支障をきたす障害が残る(高次脳機能障害)ケースが多い。
脳梗塞の後遺症はいろいろな症状がありますが、運動や感覚に障害をきたす麻痺や言語障害、そして認知機能の低下などは多くの人に見られます。
著者は、一命をとりとめました。
しかし、「脳細胞に酸素や栄養素が行き渡らないことで、脳細胞が死に」、軽度の高次脳機能障害が残った話が書かれています。
高次脳機能障害は、その部位や喪失程度によって、様々な障害が生じます。
たとえば、トイレで、手は届くのにトイレットペーパーが取れない。
服を着る能力はあっても上、着や下着を前後左右反対に着用する。
会話はできるのに感情の起伏が激しい。
記憶力、学習能力自体はあるが物忘れが激しい。
数字がたくさん並ぶ、高層ビルのエレベーターに乗れない(行きたい階の数字を選べない)
手の機能自体が失われているわけではないのに、わざわざ目的物から遠い方の手を使って物を取ろうとする
医学的に視野欠損は見られなくても、視野に入るものが正しく認知できない。
目は見えるのに、階段やエレベーターで一歩を踏み出すのが大変。などなど。
要するに、本人からすると、そうなってしまう何らかの理由(障害)はあるのに、周囲からすると不可解な障害としてあらわれるケースが多いのです。
つまり、障害が他の人に見えにくい(可視化しにくい)ということです。
一時的なもので、次第に回復する場合もあれば、脳に決定的なダメージが残り、まさに障害として生涯付き合っていかなければならない場合もあります。
私の妻は、12年前の火災で心肺停止となり、なんとか生還して退院しましたが、しばらくは「高層ビルのエレベーターに乗れない(行きたい階の数字を選べない)」状態が続きました。

あとは、会話をしていて、ちょっと噛み合わないこともありました。
まあ、いずれも一時的ではありましたけどね。
本書に書かれている不可解な症状は、高次脳機能障害がわかりにくい障害であること、当事者がそれにいかに困惑しているかがリアルに描かれていると思います。
また、著者は、過去に取材した青年にも似たような症状があることを思い出し、発達障害ではなかったのだろうかと推理していますが、それは違うのではないでしょうか。
発達障害というのは、生まれながらの障害であり、高次脳機能障害のような中途障害と違い、その後のリハビリによる「回復」はむずかしい。
もっとも、小児の高次脳機能障害は発達障害、として見られますし、そもそもその疑問が、自らに取材してその様子を書き記そうと決意するきっかけになったわけですから、まあいいですけど。
それと、高次脳機能障害にしろ、発達障害にしろ、軽度の人ほど、「中度、重度障害はわかりやすいが、軽度は可視化されにくいから大変だ」と書かれています。
これでは、あたかも、中度・重度と軽度は性質の異なる障害があるかのようなんですが、ケンタロウさんのことに触れたように、少なくとも重度の方がマシ、ということではありません。
軽度の人に現れる可視化しにくい障害に加えて、さらにあまりにも重いのではっきりわかる障害もあるのが中度・重度なのです。
もちろん、人によって障害の出方はさまざまなので、ある軽度の人に出て、別の重度の人に出ない障害もないとはいえませんが、おおむねそのような解釈で間違いないと思います。
まあこれは、高次脳機能障害の中・重度の方はおわかりかと思いますが、軽度の方、もしくは読者の方々は、くれぐれも誤解しないでくださいね。
だって、著者は少なくともこうやって本を書けるでしょう。
私の長男は、書けませんよ、いろいろな意味で。
以上、高次脳機能障害ってご存知ですか。周囲から見て症状がわかりにくい障害を自らの体験で描いた『脳が壊れた』(鈴木大介著、新潮社)、でした。
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