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龍虎勢朋さんは、幕内昇進11年の最スロー記録、30歳過ぎて幕下から小結に返り咲き、50歳過ぎて婚姻した遅咲きの威風堂々人生

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龍虎勢朋さんは、幕内昇進11年の最スロー記録、30歳過ぎて幕下から小結に返り咲き、50歳過ぎて婚姻した遅咲きの威風堂々人生

龍虎勢朋さん(1941年1月9日~2014年8月29日)は、幕内昇進は11年かかった最スロー記録、30歳過ぎて幕下から小結に返り咲き、50歳過ぎて婚姻した遅咲きの威風堂々人生でした。前向きに生きていけば、きっといいことがあると信じたくなる生涯だと思います。(キャッチ画像の本人画像はhttps://www.huffingtonpost.jp/2014/08/30/ryuko_n_5742612.htmlより)

幕内昇進は最スロー記録

龍虎勢朋さんは、東京都大田区出身。

出雲中学から都立大森高校に進んでいますが、実に懐かしい校名です。

私の母校(大田区立南浦小学校)は、今は見る影もありませんが、私のころは45人学級で6クラス。

そのため、学区域を再編して、周辺の小学校や新設の小学校に振り分けましたが、その「周辺の小学校」のひとつが出雲小学校でした。

かつては、女優の鈴木保奈美さんも在籍したといわれています。

その出雲小学校の児童は、ほぼ出雲中学に進学します。

そして、都立大森高校は、私の出身中学とは道路を隔てて隣同士でした。

ま、何を言いたいかと言うと、親近感があるということです(笑)

しかも、同性から見ても2枚目ですからね。

応援したくなります。

そんな龍虎さんは、同期の新弟子入門は50人。

その一人の元横綱・北の富士さんが、「50人の新弟子の中で一番弱かったのがオレと龍虎でした」と当時を振り返っているほどでした(msn産経ニュース 2014.9.6 06:56)。

だからなのか、性格がマイペースなのか、新入幕は初土俵の11年後。

当時の幕内昇進は最スロー記録でした。

といっても、50人のうち幕内に昇進できたのは、北の富士さんと龍虎さんだけでしたから、何も恥じることはなく、むしろ諦めない精神の強さは称賛されるべきです。

何しろ、「遅咲きの威風堂々人生」は、その後いよいよ真骨頂を買えるからです。

30歳で幕下陥落から小結

入幕した龍虎は、花光、龍虎、若天龍で“花籠三羽烏”と期待されました。

私が相撲に興味をもったのは、北の富士と玉の海が横綱に同時昇進した1970年3月場所あたりからなんですが、その年の秋場所、龍虎は前頭11枚目で13勝2敗。

さりげなく大横綱大鵬を超えて準優勝したことがあります。

三賞も6回取り、小結にも昇進しました。

しかし、30歳になったばかりの1971年初場所。

巨漢・義ノ花戦で左アキレス腱を断裂して途中休場し、なんと4場所連続休場で、幕内の西前頭3枚目から西幕下42枚目まで陥落してしまいました。

3賞も6回とって三役もつとめた人が、30歳過ぎてアキレス腱断裂で幕下へ。

まあ、普通は引退を考えるでしょう。

当時は、今よりも力士の引退年齢は全体的に早かったと思います。

大鵬も引退したのは30歳でした。

幕下に落ちれば、年収1000万から月給なしに。2ヶ月ごとの場所手当て数万だけになります。

稽古の回しは、関取用の白いまわしから、褌担ぎが使う木綿の硬いまわしに。

背中を流してくれた付き人もつかなくなります。

龍虎ほどのベテランはわかりませんが、幕下に落ちれば、逆に誰か関取の付き人に逆戻りです。

ちゃんこは地位の順番に食べるので、褌担ぎは汁だけなんていわれます。

まあ幕下のベテランにそれはないかもしれませんが、作りたての熱い鍋はつつけなくなり、誰かの食べた後になります。

大銀杏も結えなくなります。

それも、30歳過ぎてから改めてその立場に……です。

やり直す気力は、なかなか難しいのではないでしょうか。

しかし、龍虎はそこでフェードアウトするように終わりたくはなかった。

幕下から出直してコツコツと番付を上げ、1年後の1973年9月場所に幕内復帰。

1975年1月場所には、最高位の小結までカムバックしたのです。

幕下へ降下した元三役の三役復帰は、史上初として話題になりました。

しかも、30歳過ぎてからのことなので、これはもう立派の一言に尽きます。

最近では、元大関から序二段に落ちて、そこからまた幕内に上がって優勝した照ノ富士がいますが、大きな陥落から這い上がったきた力士たちのパイオニアとして、龍虎がモデルになっていたのではないかと思います。

香川照之の反対で結ばれなかったが51歳で結婚

もうひとつ、龍虎の遅咲き威風堂々とした人生の大切なエピソードは、結婚です。

アキレス腱断裂から復帰して小結に返り咲いた頃、龍虎には新しい人生の萌芽がありました。

女優・浜木綿子との交際が始まったのです。

この当時の浜木綿子は、それはもうきれいな人でした。

私は、浜木綿子の出演するドラマは、正座して見ていたほどです。

芸能マスコミでもそれとなく書かれていましたが、当人たちも強く否定するわけでもありませんでした。

それでも、なかなか婚姻届を出したという報道はありませんでした。

龍虎が50歳も近くなって、ワイドショーのインタビューに応じた時、「私もそろそろ結婚を意識してもいい年ごろですよねえ」なんて答えていたので、なんて悠長なことを言っているのだろう、そろそろ結婚どころか、同級生の早い人には孫もいるだろう、なんてテレビの向こう側からは突っ込みたくなりそうでしたが、結局51歳で観世流太鼓十六世宗家・観世元信の長女・貴子さんと結婚しました。

それは唐突な感じを受けましたが、初婚の龍虎がモテすぎて色々迷い、再婚の浜木綿子を選ぶまでには至らず“永すぎた春”になってしまったのか、なんて当時勝手に思っていました。

が、実はそうではなく、龍虎の悲恋でした。


龍虎も浜木綿子も結婚する気満々だったのに、浜木綿子の息子の香川照之が強い拒絶反応を示したうえに、10年経ってから『もうそろそろ別れたらいいんじゃないか』と、引導渡しまで浜木綿子に指示したというのです。

10年も付き合ったのに、そりゃないよねーと思いませんか。

「子供好きの龍虎さんでしたが、肝心の浜さんの長男・照之くんは、ずっと龍虎さんに、なつかなかったそうです。龍虎さんが、浜さんの家を訪れたときも照之くんは、彼に背を向け、壁に向かって黙って座っていたのです。龍虎さんは“やっぱり、子供は難しいね”と、ポツリともらしていました」(上記記事より)

記事によると、浜木綿子は、市川猿之助(現猿翁)と離婚した後も、香川照之に対して、“あなたのお父さんは尊敬できる人”と教え続けていたことで、香川照之は会えぬ父を慕うあまり、母の恋人である龍虎を受け入れることができなかったのだろうか、と書かれています。

この記事は決して憶測ではなく、浜木綿子自身もそう振り返っています。

トーク番組『ボクらの時代』(フジテレビ、2013年3月に放送)において、柴田理恵、左とん平らとともに出演した際、浜木綿子はこんなやりとりを行っています。

浜木綿子「恋愛はしましたが1回だけ結婚を迷ったことがある。」
左とん平「名前言わないけど、(ドラマ『監察医・室生亜季子』の撮影を)よくみに来るわけよ」
浜木綿子「子供の父親は独りしかいないから」
左とん平「その人が独身の時だからね。向こうが結婚してわかれた・・」
浜木綿子「うそうそ。照之が『もうそろそろ別れたほうがいいんじゃない』って向こうに言いに行った。だからあの子には父親はひとりしかいらない。『もういいでしょ?』って言うんですよ。そういうウラがあったんですよ。照之聞いたら怒るかな、ごめん」
http://members2ami-go.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-c186.html

「ごめん」は、香川照之ではなく、龍虎さんに言うべきでしょう。

10年尽くしても、「お前は市川猿翁より格下だ」と龍虎さんに三行半尽きつけた母子。

人生にとって、10年というのは決して短い時間ではありません。

東大に入っても、人の心が理解できない香川照之の人格的憾みを感じてしまいます。

いずれにしても、私だったら「バカにするなっ」と言いたくなります。

しかし、龍虎さんは決してこの自分勝手な母子に恨み言は言いませんでした。

泥仕合もせず人生仕切り直しで、51歳の結婚。

お相手は、先に述べたように、観世流太鼓十六世宗家・観世元信の長女・貴子さんでした。

51歳の結婚でも2人の子供に恵まれ、その後は亡くなるまで22年間の結婚生活を送りました。

平均寿命より少し早い最期でしたが、これは未婚化・非婚化・晩婚化が言われている現代人にとって、いい話だと思います。

何しろ、ニュースでよく使われる「生涯未婚率」というのは、「調査年に50歳の男女のうち結婚歴がない人の割合」のことをいいます。

つまり、50歳で結婚しない人は、もう生涯結婚しないだろう、してもそんなもんは無視できる数字だろう、とバカにされているのです。

それゆえ、縁があればと思っていても、50歳になって諦めてしまう人もいるのではないでしょうか。

龍虎さんは、51歳で結婚してもちゃんと子宝に恵まれ、もうちょっとで銀婚式の22年間結婚生活を過ごし、残念ながら平均寿命よりは少し早かったけれど子に見送られる最期を迎えられた、そういう人生だってあり得るのだということを教えてくれたのです。

諦めない人生の鑑

龍虎さんの葬儀には、出棺の際に「威風堂々」が流れたといいます。

威風堂々。まさに龍虎さんの人生を象徴する言葉です。

30歳過ぎてから小結にカムバックし、50歳過ぎてから結婚して家庭生活を経験。

挫折してもそこで諦めず仕切り直しして前向きに生きていけば、きっといいことがある、と信じたくなる人生だと思いませんか。

龍虎勢朋、30過ぎて小結に返り咲き50過ぎて婚姻の遅咲き威風堂々

以上、龍虎勢朋さんは、幕内昇進11年の最スロー記録、30歳過ぎて幕下から小結に返り咲き、50歳過ぎて婚姻した遅咲きの威風堂々人生、でした。

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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