大槻義彦氏が『紙の爆弾』2008年6月号で、「出版差し止め」をぶちあげたことはすでにご紹介したが、昨日発売された今月号(6月号)の同誌では、筆者が久々に署名入りで大槻義彦氏を批判している。タイトルは、「大槻サン、それじゃ『江原啓之』には勝てないヨ!」である。
どういう内容かというと、大槻義彦氏が主張する、
・オカルト・疑似科学を法で押さえつけて謝罪させる愚
・オカルト・疑似科学問題は理科教育だけで解決するとしている愚
・オカルトショー番組の「対決」パフォーマンスの愚
などについて書いている。
このメルマガで書いたことのダイジェストも「ツカサネット新聞」に書いておいた。
・オカルト・疑似科学は法で取り締まるものなのか?
「ツカサネット新聞」の記事は、そのままYahoo!ニュースに転載された。
(なお、ツカサネット新聞は2009年11月末でサービスを停止したのでリンクは外した)
記事は署名原稿。つまり、自分の名前を出して堂々と発表している。
自分の書いたことに責任を持つつもりがあるからだ。
ただし、別に筆者はオカルト批判、疑似科学批判の専門家になって有名になろうなどという野心は全くない。
筆者は疑似科学批判はボチボチやっていたが、書籍では『血液型性格判断のウソ・ホント』(かもがわ出版=2001年)、あとは写真誌の取材を2年ぐらい前に受けた時に名前を出したぐらいで、それ以外はそのときどきで使い捨てのペンネームでやらせてもらっていた。
筆者はちょっと変わり者でチキンなので、名もなく静かに暮らしたいのだ(笑)
現在は瀬尾佳美さんが叩かれ放題だが、メディアの有名人なんて、誇りや良識などを自ら捨てるか、もしくは抜け落ちていることが条件だ。
誠実で理路整然とふるまい、かつ良心や羞恥心などを失わずに持っていたら、「人気者」にはなれない。
たとえば、有田芳生というライターは、テレビ・コメンテーターにしがみつくことと引き替えに、自分が書いたことに対する誠実さを放棄するという、書き屋としては決定的な方向転換を行ったように思う。
坂本冬美重病説、浅野健一氏セクハラ説など、本人たちから名誉毀損で訴えられても仕方のないような書き飛ばしをしながら、何のフォローもない。
そして先日、浅野健一氏は『週刊文春』相手の裁判にほぼ勝訴した。
さて、有田芳生氏は自分の発言にどうつじつまを合わせるだろうか。
拉致問題でも、「ザ・ワイド」に出ていた頃は、草野仁氏に同調して横田滋氏が北朝鮮の孫に会いに行くことに反対しておきながら、横田滋氏が活動の第一線から退き、病気も噂される今になって、会わせるべきなどと言っている。何だそりゃ、と言いたい。
私は当時から、会わせたっていいだろうと思っていたし、サイトでもそう書いた。
こうしたことに対して、ご本人に辻褄の合う見解を求めたいが、たぶんうやむやにするのだろう。
言った者勝ち、書いたもの勝ちを恥じていては、“メディアで活躍する識者”にはなれない。
いちいち真面目に自己批判などして、次から「羮に懲りて膾を吹く」ような慎重な仕事をしてしまったら、虚偽でもハッタリでもいいから大衆に注目されてナンボの、タレントライターとしては終わりだからだ。
目を覆いたくなったのは、都知事選で石原慎太郎氏の対立候補を批判するために、自分が除名された日本共産党のデータを引用し、同党がデータに間違いがあったと訂正すると、今度はその間違いを責め立てたときだ。
そもそも書き屋なら、ひとのデータを拝借せず自分の足と頭で批判すべきではないのか。
引用したものが間違っていたら、同党を責める前にまず自分のことを恥じるものだ。筆者だったらそうする。
それが書き屋の矜持というものではないか。
今月末に筆者が出す『健康情報・本当の話』(楽工社)には、統一協会を追いかけていたころの「過去の有田芳生氏」の書籍から一部引用をさせて理解を助けてもらっている。
さて、総選挙のことで頭がいっぱいといわれる「今の有田芳生氏」に、当時と同じ仕事ができるだろうか。
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