真実は調べなければわからない、という話である。飛松五男さんという、元刑事の方のブログを拝見した所、たまたま開いたページにこういう記事があった。
>夜、不倫した妻に虐待DVで訴えられ
>保護命令が出ている男の家族より相談
>真実はまったくの逆
>
>不倫した妻の家族の信じられないデッチ上げ工作
http://tobimatu.blog15.fc2.com/blog-date-201003.html
よくあるんだよね、こういうことは。
世間は、浮気とDVさえ持ち出せば、女性に同情するから。
そして、同情している奴は、自分が心優しい奴だと酔っている。
逆に、ネットの相談掲示板などに、
この男性が自分の相談を書き込むとすると、
きっと調べもしないくせに、回答者たちは、
エラソーに質問者を説教する。
男性が悪いとハナから決めつけていて、
またそれが人道的だと思っている。
オンナコドモが犯罪をしない、嘘をつかないとは限らないのに。
そういう不快な勘違いのやりとりは、
okwaveやヤフーの質問箱に腐るほどある。
残念ながら、それがネットの現状だ。
でも、せっかくのネットがそんなふざけたものでいいのか。
そう思っていたから、今回の誤解報道は愉快だった。
もっとも、飛松五男氏も、今回たまたまそうだったが、
自分のカンに思い込みがないかどうか、つねに懐疑的な気持ちはもっていただきたい。
疑似科学批判についても、ネットの情報、テレビや本の情報だけで
答えを出して完結するという「否定派」がいる。
もちろんケースにもよりけりだが、筆者はあまり評価できない。
意図的な捏造やヤラセでなくても
それこそ、一般的には良心的なコンテンツであっても
しょせん、メディアが見せるのは、全体の中の一断面でしかないからだ。
それはともかく、
たとえば、
抗がん健康食品。
エビデンスがない。
けしからん。
これだけでは何の問題解決にもならない。
たんにオタクとして
知識を得たくて関わりたいのならそれでもいいかもしれないが
何か他者に啓蒙や提案したいという意識があるなら、それではだめだ。
このブログの、宜保愛子さんについて書いた記事のコメントを
見ればわかるように、信じている人は、それでは得心しないのだ。
命を脅かす病気に、自分や家族がなった時
できることはしたい、わらにもすがりたい
という気持ちになることを、筆者は責める気はないし
それを高みに批判する人物とは、
むしろ対決しなければならないと思っている。
人間というのは弱いもので、
そのことでなくても
何らかの形でその弱さによって
他人に迷惑をかけたり
間違ったりすることはあるだろうと。
ただ、だからといって
たとえば健康食品の悪徳商法が
社会問題になることを
指をくわえて見ているのもどうかと思う。
ではどうやって解決するのか。
そんなときは、たとえば自分もその健康食品のセミナーに取材に行き
そこにすがる人に会って、話を聞くことなどいいのではないかと思う。
ネットではみえなかったものが見えてくることもある。
疑似科学問題で、エラソーに語っている
識者に足りないのはその点なのだ。
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