伊達直人が話題になっているが、『週刊新潮』(2月27日号)でも“タイガーマスク現象”の記事が登場した。同作は名ゼリフと美学を貫く生き方が漫画史に残る名作となったが、原作者は無頼漢といわれた梶原一騎。彼こそ伊達直人だった、という梶原一騎の弟・真樹日佐夫氏の談話が注目されている。
「兄貴の性格は純粋な照れ屋。それを隠そうとして梶原一騎を演じ続けていたんだ。幼い頃に兄貴がいたのは少年院の一歩手前のような場所さ。その経験が伊達直人に活かされているんだから、タイガーマスクは間違いなく兄貴の一面だよな」(同誌で真樹日佐夫氏)
そんな梶原一騎が“転落”したのは1983年5月25日。銀座6丁目のクラブ「数寄屋橋」で編集者たちと酒を飲んだ際、話がこじれて『月刊少年マガジン』の副編集長、飯島利和に空手で大ケガ(全治4週間)を負わせてからだ。
梶原一騎なら、“その程度”といえる乱暴。飯島の「言い過ぎ」が原因だったこともあり、本当は講談社も表沙汰にする予定はなかった。ところが、梶原が覚せい剤密売ルートであることを疑っていた警察は、ここを逮捕のチャンスと半ば強制的に講談社に告訴をさせたという。
梶原一騎の映画会社「三協映画」が制作した『もどり川』の主演、萩原健一が大麻取締法違反で逮捕されたことも、警察を「その気」にさせる動機になっていた。
逮捕以来、マスコミはそれまでの扱いが嘘であったように、この劇画原作の大家を叩き始めた。水に落ちた犬は、手のひらを返していたぶりネタにするのはマスコミの常套手段である。
結局、覚せい剤による逮捕はなかったが、それ以前から煩っていた壊死性劇症膵臓炎で体がボロボロになっていた梶原一騎は、以来87年1月に亡くなるまで、写真雑誌などで「激やせ」ぶりがおもしろおかしく、そしてみじめに報じられた。
『梶原一騎評伝』(新潮社)で著者の斎藤貴男は、梶原一騎を「右翼的ではあったかもしれないが全体主義者ではない」と評している。筆者もそれに賛成である。
梶原一騎は、73年に上梓した『男たちの星』(日本文芸社)で、軍部の拷問に耐え抜いた日本共産党の宮本顕治元名誉議長(当時委員長)を、はばかることなく絶賛している。
他国の共産党の失敗から同党で個人崇拝は御法度。漫画家の高口里純のように「共産党に政権を取って欲しい」という人はいるが、「一人の」党員だけに対する固有の理解を堂々と述べることは、小林多喜二のような伝説の人物ならともかく、現役党員にはない。
それだけに梶原一騎の宮本顕治絶賛は、まことに皮肉なことだが、同党の出版物では感じることのない新鮮で純粋な「侵略戦争に反対した日本共産党」の価値を、読む者に認識させるかもしれない。
梶原一騎は、かつては自民党や公明党から出馬を依頼されたことがあるという。本人も政治家への道はまんざらでもなかったが、結局出馬はしなかった。
冷静に考えれば、あの創価学会は言うに及ばず、全体主義と「修正資本主義」で独自の国民抑圧構造を形成した日本型資本主義の長年の運営者である自由民主党というのは、梶原一騎の世界観と合うはずもなく、オポチュニストでもない梶原一騎が出られるはずがないのである。
昨今、時代の右傾化が言われ、Web掲示板などでもタカ派かぶれの「ネトウヨ」による書き込みや、匿名をいいことに量・質共に無原則に書き込みによる炎上がしばしば起こる。
だが、こんなものは政治思想の右左以前に、日本の為政者が目指してきた国家の体面・建前と一体化させて振る舞う均質化と排他性に閉じこめられたカルト大衆としてのそれであり、梶原一騎の世界観とは対極にあるものだ。
梶原一騎が全て正しいわけではないし、評価が色々あってもいい。しかし、全体主義に背を向ける美学は、こんにち、少なくとも「右翼的」という政治的レッテルのもとにステレオタイプの批判で捨て置ける遺物ではないと筆者は考える。
いずれにしても、“タイガーマスク現象”は、没後24年を迎えた劇画界の孤高の帝王ぶりを改めて知るいい機会かもしれない。
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