柳澤健氏が『1984年のUWF』を上梓したところ、一部のUWF信者から批判が起こり、前田日明が反論本を出して話題になりました。しかし、柳澤健氏は引き続き『Number』953号から『2000年の桜庭和志』を始めたことで、その評価がまたファンの間で喧々囂々です。
UWFは、全日本プロレス1990年代における三沢光晴の四天王時代のように信者がいるので容認出来ないのでしょう。
ただまあ私はUWFをよく知らないこともありますが、大筋で両立できない間違いがあったとは思えなかったのですが。
たとえば、「松本バンザイ事件」てありましたよね。
前田日明が神社長と揉めて出場停止になって、「UWF松本大会」(1990年12月1日・松本市運動公園体育館)で、でしたか、船木誠勝が前田日明をリングに呼んでみんなでバンザイしたときに、藤原喜明は「俺は納得してねえよ」という態度をとっていました。
が、柳澤健氏の『1984年のUWF』を読んで、何となく理由がわかりました。
前田日明の方が間違っていると藤原喜明はいいたかったのでしょうし、あのへんは、UWFが分裂する経緯として大変重要なところなのですが、かなり熱心なファンでも、そのときの藤原喜明の不機嫌の理由がわからない。
そのくせ、そこに解を提案する者には、それが受け入れたくないものだとバッシングする。
それはもう宗教だとおもいます。
『1964年のジャイアント馬場』にしても、一面的と言えば一面的な書き方なんです。
柳澤健氏によれば、日本プロレス時代のジャイアント馬場は偉大だった。
全日本プロレスになってからのジャイアント馬場は、レスラーとしてもプロモーターとしてもどうしようもなかった。
ただしターザン山本の意見を受け入れた柔軟さはすばらしい。
だから以後の全日本プロレスは繁盛したという書き方ですが、まあステレオタイプですよね。
ジャイアント馬場は、外部の人間をブッカーにするほどプロレスを開放しているわけではなく、山田洋次とキムタクの関係ではないですが、ニコニコしながらも言いなりにはなっていなくて、その時のブッカーは渕正信だったことは川田利明らが証言しています。
渕正信自身も四天王プロレス時代は、500万のボーナスを年に3回もらったと言ってますが、役員でもなかった一介の中堅レスラーにそんなにボーナスを出すわけがなく、それはブッカーとしての成果をジャイアント馬場が認めたからです。
功績はある
でもまあ、他のレスラーやライターも、その当時のことは書いており、柳澤健氏はひとつの見方というだけで、それが全てでないことぐらいわかります。
じゃあ渕正信が前田日明のように反論本を書くかと言ったらそれはないとおもいます。
それに、実は力道山はロスでしか通用しなかった田舎レスラーである、ということを明らかサマに書いたのは柳澤健氏が初めてではないかとおもいます。
この功績は大きい。
力道山によって歪められてきたプロレス史を、60年越しに力道山自身のレスラーとしてのポジションを暴いて正した功績もありますから、私は柳澤健氏に悪印象はありません。
これらからも、もっとももっとプロレス関連の書籍を上梓していただきたいとおもいます。
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