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根津甚八の晩年はいくつかの病気や交通事故などあって不遇でしたが個人的にはキリンゴールデンビターCMを思い出します

根津甚八の晩年はいくつかの病気や交通事故などあって不遇でしたが個人的にはキリンゴールデンビターCMを思い出します

根津甚八が話題です。最晩年は2002年頃から右目下直筋肥大という顔面の病気を患った上に、椎間板ヘルニア、交通事故、うつ病等もあって不遇でしたが、俳優としての存在感は十分に示しました。個人的にはキリンゴールデンビターCMを思い出します。

根津甚八がテレビドラマデビューしたのは、『娘たちの四季』(1975年、フジテレビ)です。

その後、人間の歌シリーズ『冬の運動会』(1977年、TBS)や、『男たちの旅路』第3部第2話(1977年、NHK)などに出演し、大河ドラマの『黄金の日日』(1978年)における石川五右衛門役でブレークしました。

根津甚八は、『肉体の門』(1978年、東映)では、袴田組の親分を演じました。

白いパナマ帽をかぶっていますが、実在する神戸国際ギャングをモデルにしているのかな、という気がしました。

「戦時中はフィリピンの山の中で戦友の肉を食って生き延びた」と言っています。

『肉体の門』は、かたせ梨乃のライバルが名取裕子という構図と並立するように、渡瀬恒彦と根津甚八の対立がよいと評判になりました。

ご両人とも、「男から見てもカッコいい」という評価です。

それに比べると、最近はそう思える俳優が少なくなり、スケールが小さくなったという意見があります。

根津甚八は最初、水谷豊と間違えたこともありましたが(笑)音楽の授業で、班ごとに演奏することになって、我が班は『黄金の日日』のオープニングの曲を演奏することにしてから、その間だけ大河ドラマを見てよく顔を知りました。

根津甚八で印象深いのは、キリンビールビターのCMです。

山下達郎の歌『アトムの子』が入ってさらによかったですね。

私は真似をして、野球を見に行って普段なら飲まない割高のビールを頼み、ネクタイをギュッと締めてCMのマネをしたものです。

もちろん、「アトムの子」のCDも買ったし(笑)私も結構情弱といいますか、メディアの影響受けてますね。

近頃の俳優のスケールが小さくなった理由は……

近頃の俳優のスケールが小さくなった、ということはしばしば取り沙汰されます。

俳優に限らず、たとえば野球選手もヤンチャや豪傑を聞かなくなったとか。

スケールは小さくなったという面もあるかもしれませんが、当事者たちに「スケールは大きくないほうがいい」という自覚もあるようにおもいます。

つまり、大きくない方が長続きして数字面では得であるという合理主義的考え方です。

江川卓が昔言ってましたが、「20勝を5年続けて壊れるより15勝を10年続けたほうが、長くやれて生涯報酬も多くなって通算記録もより多くなれる」という話が結構いろいろな分野でいえることかもしれません。

今のテレビタレントも、何も芸がなくても、または芸を披露できなくてつまらなくても、今のTV番組のニーズに合わせて立ち回って1年でも長く使ってもらったほうがいいというふうに考えている人は多いかもしれません。

大きな仕事をしてしまうと、ギャラが上がるから仕事が少なくなるし、役者としてのイメージもその役が強くなるから別の仕事がし辛いとか、いろいろ考えて無難な仕事を無難にこなして長く仕事をすると。

昔の俳優・タレントのほうが、活躍期にインパクトはあっても、今のタレントのほうが実働期間が長いですよね。

たとえば、今問題をおこして話題になっているバナナマンだって、ゴールデンにレギュラーで登場してもう15年はたっているはずです。でも彼らの芸って何?と問われると少なくとも私は答えられません。

一方、興行収入の記録を塗り替えていたクレージー映画も、駅前シリーズも、制作されていた期間は実は10年に満たないのです。

新しいスターを育てないのは、今のテレビマンの怠慢ではあるのですが、テレビマンはテレビマンで、今何となくやってるから、これでイケるところまで行こうという感じですね。

その分、新陳代謝が悪くなり、見る側もつまらないと感じるわけです

根津甚八
根津甚八

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