『モスラ』(本多猪四郎監督、1961年、東宝)を鑑賞しましたが幻惑的なザ・ピーナッツと小泉博と大女優香川京子です

この記事は約3分で読めます。

『モスラ』(本多猪四郎監督、1961年、東宝)を鑑賞しましたが幻惑的なザ・ピーナッツと小泉博と大女優香川京子です

『モスラ』を久々に鑑賞しました。私の注目ポイントは、幻惑的なザ・ピーナッツと小泉博と大女優香川京子です。本多猪四郎監督の『モスラ』が公開された年は1961年。キャストが素晴らしいですね。フランキー堺、香川京子、小泉博、ザ・ピーナッツなどです。

フランキー堺が主演で作品を引っ張っていますが、実質的な主役はザ・ピーナッツのようにおもいます。

小美人

ザ・ピーナッツが演じる小美人は、特別変わったメイクを施しているわけでもなく、特撮も現在から見れば素朴なものです。

しかし、ザ・ピーナッツが映るシーンは今観ても、本当に小さな人間のように見えます。

みなさん、ザ・ピーナッツというと、「小美人」を挙げますね。

それだけインパクトがあるし、高い評価はもっともだとおもいます。

ただ、その後のザ・ピーナッツの活躍を見ると、代表作というよりも、ステップアップのきっかけとなる作品だったのだな、というふうには見ました。

ザ・ピーナッツの歩みを時系列で見ると、ブレイクにブレイクを重ねる契機となる作品がいくつかあります。

『可愛い花』(1959年、日活)は必見ですね。

ザ・ピーナッツが生き別れの姉妹で、それがラジオの収録室で歌ったところ、岡田真澄ディレクターが最初イヤホンで競馬中継を聞きながらだったのに、だんだん彼女たちの歌に引き込まれていったという話です。

ザ・ピーナッツの父親役が松下達夫だったのですが、ちょっぴり鼻高々というシーンが有り、まるでノンフィクションのような展開で、たぶんこの映画をきっかけに、彼女たちはブレイクしたんだろうなあとおもいました。

ザ・ピーナッツは、1960年代前半に主演やその他の歌うだけの端役も含めて、ずいぶん映画に出ているのですが、『私と私』(1962年、東宝)では、やはりナベプロ社長宅に下宿しつつ宮川泰に歌唱レッスンを受けるというノンフィクションの展開を中尾ミエが観察しているという作品で、そこでもザ・ピーナッツがいかにして育ったかが描かれています。

ジャイアント馬場が『ジャイアント台風』や『タイガーマスク』で人気を獲得したのと同じやり方かも知れませんね。ああ、こちらの方が先か。

小泉博

小泉博も懐かしいですね。東宝の俳優です。

小泉博は、フジテレビの15分帯番組の『クイズグランプリ』の司会をしていました。

「15分なんて短い時間の番組で、この人は食べていけるんだろうか」などと余計な心配をしたものです。

特撮好きのクラスメートに話を聞くと、小泉博は特撮映画にずいぶん出ている人だと聞き、「ローラーゲームの東京ボンバーズのキャプテンと同姓同名という以外にそういう点でも知られていたのか」と初めて知った次第です。

香川京子

香川京子は、『肝っ玉母さん』で初めて見ました。

きれいで上品な人だなとおもいました。

ただその割には、あまり作品は観ていないことに気づきました。

『黒い画集 ある遭難』や『天国と地獄』あたりからしか観ておらず、50年代は全く観ていません。

香川京子研究もしなければ。邦画もテーマは無尽蔵ですね。

以上、『モスラ』(本多猪四郎監督、1961年、東宝)を鑑賞しましたが幻惑的なザ・ピーナッツと小泉博と大女優香川京子です、でした。

モスラ
モスラ

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

草野直樹(かやのなおき)をフォローする
芸能
トレンド雑談

コメント