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野村克也氏、一周忌を目の前にして野村沙知代さん思い出す日々で考える“ピンピンコロリ”なるトレンド死生観の功罪

野村克也氏、一周忌を目の前にして野村沙知代さん思い出す日々で考える“ピンピンコロリ”なるトレンド死生観の功罪

野村克也氏が、『週刊現代』で野村沙知代さんの一周忌を目の前に、いま何を思い、どう生きているのか。ありのままを語っています。昨今の死生観のトレンドになっている“ピンピンコロリ”が本当にいいものかどうかを考えさせられます。

野村克也氏が、野村沙知代さん思う日々を語ったのは『週刊現代』の以下の記事です。

記事の補完として以下、主要なところを抜粋しますが、野村克也氏の真意を正しく知るためにも、関心のある方はぜひ全文を読んでいただきたい記事です。

こんな別れがあっていいのか。そう思った。あんなに強かった女が、あまりにもあっけない。人間の最期とは、かくも唐突に訪れるものなのか。

私はそれほど話し上手ではないから、ボロが出たときは容赦がない。「何やっているの!」と叱られ、「ダメだったか?」と返すと「ダメよ、あんなの!」とキツい言葉が返ってくる。逆に、何も言われないときは合格点。大仰にほめられることはなかった。
〈今日の仕事、沙知代はなんて言うかな〉
彼女の反応が、私の活力になっていた。
いま、家にいるときはテレビが唯一の話し相手。画面に向かってボヤくしかない。

沙知代は、事あるごとにそう言っていた。昭和7年生まれの、昔の人。
「亭主が手持ち無沙汰でウロウロしていたら、家の中は真っ暗になるし、そのうち病気になっちゃうじゃない。だから、私はあなたを休ませないの。これも内助の功。妻の愛よ」
こう言ってはばからなかった。
確かに、私は仕事がなければ、日がな一日家に閉じこもり、ボーッとテレビを見ているような人間だ。沙知代に尻を叩かれてなければ、とっくのとうにボケていただろう。
この年になっても、私がこうして仕事をいただけるのは、紛れもなく彼女のおかげだ。

めったに言葉を荒らげることのない私だって、何度怒鳴りつけてやろうと思ったかわからない。
だけど、彼女と別れようと考えたことは、人生で一度たりともなかった。
「俺以外に、お前と上手くやっていける人間が、この世にいると思うか」
そういう気持ちだった。
私は生来の不安性で、ふとした瞬間に弱気の虫が顔を出す。そんなとき、平然とした顔で「なんとかなるわよ」と励ましてくれる彼女に救われた回数は、数限りない。
悪妻かどうかは、周囲ではなく、夫である私が決めること。何度聞かれても、私は断言できる。
「サッチーは、これ以上ない最良の妻であり、私にとっての最高のラッキーガールだった」と。

そして夜、独りの家に帰ってきて、妻の位牌に語りかける。
「サッチー、君がいない毎日は、本当につまらないよ」
こんなボヤきを聞いて、彼女はどう応えるか。それは、なんとなくわかる気がする。
「大丈夫。なんとかなるわよ」
そうだよな、あとちょっと、生きてみようか。


もとの記事は、ここからリンクで入れます。

野村沙知代さんに対しては生前、ずいぶんいろいろな悪口がありましたが、まずそこから疑問でした。

マスコミは、野村克也氏がヤクルト監督だった頃から、野村沙知代さんをテレビに登場させ、ウケがよさそうだとすぐにタレントのような扱いで起用。

最初は視聴率が取れるから蝶よ花よの扱いだったのに、ひとたび女剣劇役者の浅香光代が、ラジオ番組で「あんな人はもうイヤ。ひっぱたいてやりたい」と野村沙知代さんへケンカを売って「サッチーミッチー騒動」が起こると、今度は一転して叩く側にまわり、野村沙知代さんは手のひら返しで天下の極悪人扱いされました。

その際はもう、たんなる噂や憶測の域を出ないものや、見解の相違に過ぎないものについて、まるで新事実であるかのように語られた記事も少なくありませんでした。

そこで、学歴詐称が不起訴になり、脱税問題が執行猶予がついて決着すると、野村沙知代さんは、浅香光代を含めて、自分を誹謗・中傷した人やメディアを次々訴えました。

それが一段落すると、マスコミは何事もなかったかのように、またしても野村沙知代さんをタレントとして使い始めました。

なんという節操のない態度なのでしょうか。

何より、野村克也さんが野村沙知代さんと夫婦であることについて、巷間、野村克也氏に対して、「なんで野村沙知代なんかと結婚したのか」という、余計な陰口もありましたが、夫が「いい奥さんでしたよ」と言っているのだから、それでいいでしょう。

Web掲示板では、いろいろなコメントが入りました。

ノムさんには、ネット民もおおむね好意的

普段口汚く罵ることが好きなネット民も、おおむね好意的でした。

https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1543091368/-100

>周りがなんと言おうと、ノムさんはサッチーじゃなきゃダメだったんだよ
>>サッチーもうちょい頑張れたらよかったなー 運命の順番

> 全文読んでしまった
>ちょっと泣けた ノムサン良い文書くね
>こんな嫁さんもらいたいとは心の底からは思わないけど、誰かに自分の半生背負ってもらえたら、まだ楽だろうなとか思ってしまった

>自分自身も批判もされまくって孤立するタイプだからな。サッチーは不器用なんだよ
>本当に嫌なのは器用に周り使ったり集団で追い込んでくるタイプ

>サッチーミッチー騒動で得した奴ほう
>つまりミッチーが悪いと思う

>「男の値打ちは仕事で決まる。それがなかったら、あんたなんて終わっちゃうのよ」
>沙知代いいこと言うなあ

野村克也さんは、別に見て見ぬふりをしたわけではなく、野村沙知代さんの経歴が「嘘だらけ」であることも知っていて、そして「ぶん殴りたくなる」こともあったとはっきり述べています。

それでも、最後まで添い遂げた、そして今寂しいと語る。

人が人を愛したり憎んだりするのは、上辺の理屈ではなかなか説明のつかないことなんだろうとおもいました。

野村克也さん絡みで、似たような話があります。

野村克也監督のもとでプレーしていた門田博光氏が、『日刊ゲンダイ』で現役時代を振り返る連載をしていたとき、野村克也監督について、「おっさん(野村克也監督)は勝てば自分の手柄、負ければ選手のせい」にすると指摘しました。

すわっ、当時いわれていた「不仲」は本当だったのか、と思いながら読んでいたところ、最後に、「でももし若返ってユニフォームを着ることができたら、またおっさんと野球がやりたいな」と結んでいました。

どういうことか。

門田博光氏は、あえて野村克也氏の悪口をいうことで、巷間言われていた野村克也氏の話がたとえ事実であっても、そんなものがすっ飛んでしまうほどいいこともある。だからそんなことに関係なく私は野球人として野村克也氏を認めるのだ、ということがいいたかったのです。

野村克也氏としては、同じような気持ちを野村沙知代さんに抱いているということではないでしょうか。

ピンピンコロリをどう見るのか

さて、この記事では、もうひとつのキーワードがあります。

それは、野村沙知代さんが、昨今、死生観のトレンドとなっているピンピンコロリです。

先のWeb掲示板では、こんな書き込みもあります。

>廻りに誰も居なくなった訳じゃ無いから、
迷惑かけないようにはしないと。
>>お前はステキな事書いたつまりなんだろうけど、俺からしたら本当にゴミだわ
これだけ大成して、足跡も残して、仕事もやりきった人が、持ってる金で解決出来る範囲なら後は何やっても良いだろ
どんだけ「迷惑かけない」に取り憑かれてんだよ。。。

>うちの親父、大動脈解離で倒れた時
>救急隊の人に覚悟しておいてくださいって言われたなぁ
>結局ダメだったんだけど
>最期の言葉が背中が痛いだった
>ほんの数十秒前は横にいて晩酌してたのに
>もう二度と会う事も話す事もできなくなるなんてな
>介護してる人にポックリ逝ったんだからって言われるけど
>突然いなくなっちゃうんだぜ?こんなに悲しい事あるかよ?
>俺からしたら死んじゃうより寝たきりでも生きていてほしかったよ

ピンピンコロリは、のこされた人のことを考えているようでいて、実は肝心のことを考えていない自分勝手な死生観であると私は思います。

自分の、本来迎えるべき最期から、逃げているともおもいます。

考えてみてください。

芸能界で言えば、大杉漣さんなどは「ピンピンコロリ」になるのでしょうが、年令に関係なく、近い人に突然死なれたら、人というのは、多少なりとも後悔や喪失感を残すものです。

闘病するからこそ、人生について考えたり、これまでの生き様を振り返ったりする時間がもてるのではないでしょうか。

周囲の思いやりがわかるのではないでしょうか。

親が認知症になったとたん、すぐに死んでほしいと思えるなら、私はやはり疑問符をつけます。

親が認知症になって、介護で苦労させて、子供に「もう十分あんたの親孝行はしたよ」と思わせてから亡くなることで、はじめて子としての達成感といいますか、納得とはいわないまでもふっきれて諦められる最期を迎えられるのではないでしょうか。

『人に迷惑をかけるな』というのは、豊かになって人が孤立し始めた現代の妄想。お互いに迷惑をかけ合ってこそ、人間関係が育まれるというのは、『プア充』(早川書房)で島田裕巳氏が語ったことです。

迷惑はかけないに越したことはない、と思いますか。

もちろんそうです。

しかし、死ぬときに「迷惑」をかけたからといって、あなたは「迷惑をかけてない人生」といえますか。

人間は、生きている限り、誰かに迷惑をかけるものなのです。

まあそもそも、ほとんどの人は、ピンピンコロリを希望しても、そうはならないんですけどね。

野村克也さんと野村沙知代さんのことについて、そのようなことまで考えてみました。

以上、野村克也氏、一周忌を目の前にして野村沙知代さん思い出す日々で考える“ピンピンコロリ”なるトレンド死生観の功罪、でした。

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