マナー違反する「他人の子ども」に注意できるかどうかが話題になっています。周囲に迷惑をかけている子どもを他人が注意をするのは「アリ」なのか。しかし、根源的には親が叱らないところに問題があり、それはリバタリアニズムではないでしょうか。
11月14日放送の、TOKYOFMの番組「高橋みなみの『これから、何する?』」(TOKYOFM)の番組で、「逆ギレが怖い…マナー違反する『他人の子ども』を注意したほうがいい?」というTFM+コラムが取り上げられました。
子どもが周囲に迷惑をかけているのに叱らない親を目の当たりにしたとき、他人が注意をするのは「アリ」なのかどうか……
TOKYOFMのブログによると、番組終了後にそれをYahoo!で記事を配信したところ、コメント欄には予想を超える反響があったということです。
下手に声をかけるとトラブルに巻き込まれるかも?
これがツイートです。
“甘やかす”親に批判殺到! マナー違反する「他人の子ども」、注意すべき? https://t.co/nKSaQlQOj5 #tokyofmplus
— 江川たまよ (@msegatama) 2018年12月1日
たとえば、番組にはこんなメッセージが届いたそうです。
「以前、駐車場で迷子になっている子を見かけたので、声をかけてサービスセンターに連れていったら、迎えに来ていた親御さんに『勝手に人の子に触るな!』と怒られてしまいました。そのあとも、子どもがフラフラしているところを何度も見かけて、ちょっとムカついてしまい『親ならもっとちゃんと子どもを見ておいて! 何かあってからでは遅い!!』と言いました」
このエピソードに、たかみなは「なんでこんなことが起こるんでしょうか。まずは、お礼を言うのが当たり前では……」とコメント。このエピソードは、子どもが何か迷惑をかけたわけではありませんが、下手に声をかけるとトラブルに巻き込まれるかも……と思ってしまい、見て見ぬふりをするようになってしまうのも分かります。
Yahoo!コメント欄では、子どもを注意しない親側への批判が多く集まりました。
あなたはどう思われますか。
Web掲示板では他人に関わりことへの厭世感
それに対して、Web掲示板でも様々な意見が書き込まれています。
>俺もスーパー父親と追いかけっこしてる3歳児にぶつかったら怪我するよって注意した事あるなぁ 父親はあっちで遊ぼとか顔も合わせず去っていったが
>他人とは関わらない方が無難
>関わったら負けだぞ 一部の市なんて挨拶したらNGだからな
>たかみな良いこと言ったな 親の育て方が良かったんだろうな
>スーパーで鬼ごっこしてる子供いて親は何してるんだと思ったら父親が鬼ってパターンな あれ見ると日本終わったなって思うわ
>他人を助ければ文句を言われる 他人を見捨てれば文句を言われる 助けてもらえば嫌な顔をされる 助けを求めれば嫌な顔をされる それが日本
>ガキが走り回ってぶつかってきたの見てるのに、子供を注意もしない、こっちに謝りもしないバカ親 日本の将来どうなるんだろ
高嶋ちさ子もフンガイ
1週間前も、高嶋ちさ子が、関連したツイートをしています。
ニュースガイドニコニコ速報2.0 : 【激怒】高嶋ちさ子、おばちゃんに激怒!その理由は!? https://t.co/I7i8h8N8Oy pic.twitter.com/TLtolcQFiH
— ニュースガイドニコニコ速報2.0 (@d1puT1qJEyqqWsg) 2018年11月25日
車内で2時間以上騒ぎ続ける兄妹、100歩譲って許す。車掌さんが注意しても全くあやしもなだめもしない両親祖父母、100歩譲って許す。降り際に「自分の近くに子供が乗ってるとアンラッキーって思うけど、これはしょうがないわね?」と笑ったおばあちゃん、許せません。
— 高嶋ちさ子official (@chisako824) 2018年11月23日
思うにこれは、他人の子供を注意すべきかどうか以前に、自分の子供を注意しない親に根源的な問題があるのではないでしょうか。
根底に横たわる“心の新自由主義”
やはりそこには、犯罪にさえならなければ「自由」に何をやってもいいだろう、迷惑をかけようが、他人に何と思われようが、自分さえ良ければそれでいい、という気持ちがあるのではないでしょうか。
これは、先日の瀬戸内寂聴さんの記事で書いた、リバタリアニズムではないかと思います。
リバタリアニズムは、自由至上主義、自由尊重主義、自由放任主義などと呼ばれることもあります。
要するに、無原則な自由であり、他者や社会との衝突という点から見れば、自分勝手という表現も含まれるでしょう。
「うちの子が楽しく電車の中やスーパーを走り回っているのだから、それに注意をするのはうちの子に対する干渉である」
それはまさに、リバタリアニズム的発想です。
「私が不倫を楽しくてやっているのだから、世間があれこれ言う必要はない」
という瀬戸内寂聴さんの言い分とそっくりです。
それによって、不都合、迷惑が生じる人の立場や心境を全くか考えていない点が共通しています。
多くの人は、瀬戸内寂聴さんを非難しますが、翻って、自分も自分や自分の子供に対して、リバタリアニズムはあるかもしれない、と顧みてもいいかもしれません。
別の言い方をすれば、瀬戸内寂聴さんを批判できない人が、よその子に注意できない人を批判するのはおかしいということです。
まずは隗より始めよ。
自分にとっての自由と、社会的な規制との衝突に、折り合いをきちんとつけて、常識ある行動をとれるようにしたいものです。
以上、マナー違反する「他人の子ども」に注意できるかが話題になっているが根源的には親が叱らないところに問題があるという声、でした。
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