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ちなきなおみの『喝采』が小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』で決まりかけていたレコード大賞を大逆転で制した歴史的歌姫対決

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ちなきなおみの『喝采』が小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』で決まりかけていたレコード大賞を大逆転で制した歴史的歌姫対決

ちあきなおみが、『女性自身』が12月4日発売号で創刊60周年を迎え、有名人たちの「あの人は今」で特集されています。この時期になると思い出すのは、ちなきなおみ『喝采』が小柳ルミ子『瀬戸の花嫁』を大逆転で制した1972年の歌姫対決です。

読者の注目を集めたのは、ちあきなおみ

『女性自身』が12月4日発売号で創刊60周年を迎え、有名人たちの「あの人は今」を特集しています。

それは後に簡単にご紹介しますが、やはりいちばんの注目有名人は、ちあきなおみでしょう。

ちあきなおみの現在

ちあきなおみは、1992年に最愛の夫の郷えい治(享年55)を亡くして以降活動休止。

墓の近くにマンションを買い、お盆やお彼岸、月命日にも墓を訪れているといいます。

思い出す小柳ルミ子とのレコード大賞の歌姫対決!

『アサヒ芸能』(2013年12月5日特大号)は、「ニッポンの歌姫伝説 本誌厳選BEST50」というタイトルで、歌謡界の歴史にその名を刻んだ歌手たちを写真と解説(キャプション)で紹介。

『アサヒ芸能』(2013年12月5日特大号)は、「ニッポンの歌姫伝説 本誌厳選BEST50」

記事では日本レコード大賞をめぐる激しい戦いを振り返る第1回目として、ちあきなおみの『喝采』と、小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』の対決をとり上げています。

1972年の日本レコード大賞が、小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』で決まりかけていたのに、その年の9月にリリースされた、ちあきなおみの『喝采』が「世紀の番狂わせ」で大賞を獲得した、という話です。

主要部分を引用します。

ちあきが所属した「日本コロムビア」は、この年、当時のレコード売上げを更新する「女のみち」(宮史郎とぴんからトリオ)も出していたが、賞レースに関しては「喝采」に一本化。事務所の規模ではルミ子の「渡辺プロ」に対し、めぼしい歌手がちあきしかいない「三芳プロ」では勝負にならない。ただし、老舗のコロムビアと新興の「ワーナー・パイオニア」というレコード会社の争いなら、ちあきの側に分がある。
 情勢が刻一刻と変化してゆくのを、ルミ子の詞を書いた山上(路夫←引用者注)は感じていた。
「今年のレコード大賞は確実です」
 秋口には塩崎ディレクターから聞かされていたが、暮れが近づくと一変する。
「ガミさん、あきらめてください。相手はコロムビアで一丸となっていますから、かないません」(中略)
「私は絶対に『瀬戸の花嫁』が大賞だと確信していたんです」(小柳ルミ子)
 レコ大の会場では、歌い終えた候補者は客席に座ってスタッフと結果を待つ。番組が始まって間もなく、旧知の審査員がこんなことを耳打ちしてきた。
「ルミちゃんは『歌謡大賞』を取ったからいいよね」
 にこやかな物言いながら、それは非情の宣告であった。すでに“勲章”を手にしているから、レコード大賞を逃しても大丈夫だろうというニュアンスだ。
「そう聞いた瞬間、私はショックで腰が抜けるかと思いました。だって、これから発表なのに……」

『喝采』はドラマチック歌謡という触れ込みでした。

イントロの部分で、高橋圭三が、ちあきなおみの実体験(婚約者の死亡)を歌ったと解説。

そして、ちあきなおみが歌いながら涙を流すというシーンのインパクトが強烈でした。

実際には婚約者ではなく、世話になった仕事仲間らしいのですが、まあそのへんはプロモーション上必要なギミックということで、ヒットした者の勝ちです。

歌もいい、歌手もうまい、ドラマもある

とにかく、ちあきなおみの「喝采」は、

歌もいい、歌手もうまい、ドラマもある

これで瀬戸の花嫁は吹っ飛んでしまったわけです。

当時はまだ、こんな熱い歌、熱い戦いがあったんですね。

さらに、歌がリリースされたのは秋というのも重要なポイントでした。

暮れの押し詰まった頃、あっちこっちで聞かれるようになったのですが、連休頃から夏にかけて流行した小柳ルミ子ののどかな『瀬戸の花嫁』に比べると、だんだん寒くなり忙しくなる切羽詰った暮れ独特の雰囲気が、『喝采』の緊張感ある厳かなイメージに合っていました。

つまり、当時の暮らしや思いを、歌を聞くことで思い出せるのです。歌にはそのような要素も必要です。

ちあきなおみ以外の有名人の“あの人は、いま”

『女性自身』が記事で採り上げている、ちあきなおみ以外の人もダイジェストで見ていきます

岡田可愛

岡田可愛は1981年に結婚。出産(岡田亮輔)を機に女優業を休業。

ママ友の着の身着のままの服装を見たことがきっかけで、アパレル通販の実業家に転身しています。

3つの女性向けファッションブランドをプロデュースし、成功しています。

奥村チヨ

奥村チヨは、黛ジュン、小川知子、とともに東芝3人娘ととして売り出しました。

ちあきなおみが売り出された頃より、少し早かったと思います。

『ごめんネ…ジロー』や、『恋の奴隷』『恋狂い』『恋泥棒』の「恋3部作」などをヒットさせました。

先ごろ、今年1月アルバムを発売して歌手活動からの卒業を発表しています。

母の介護も終え、夫の浜圭介とは夫婦2人暮らしだそうです。

佐良直美

佐良直美は、かつては『いいじゃないの、幸せならば』(1969年)で、『第11回日本レコード大賞』の大賞と新人賞のダブル受賞(橋幸夫に続いて史上2人目)に輝いたことがあります。

その後、石井ふく子プロデューサーのホームドラマにも出演していましたが、1993年からは、栃木県那須塩原市で、家庭犬しつけインストラクターとして活動しているそうです。

2016年8月には、久々にテレビの音楽番組に出演し、話題になったと書かれています。

ただ、ちあきなおみ同様、この方も芸能人としては現役とはいえないでしょう。

園まり

園まりは、中尾ミエ、伊東ゆかりとスパーク3人娘を結成。

『ハイハイ3人娘』
『ハイハイ3人娘』(1963年、宝塚映画製作所/東宝)より

洋楽の日本語カバーや、『逢いたくて逢いたくて』『夢は夜ひらく』『愛は惜しみなく』などの歌をヒットさせました。

2004年に再結成したスパーク3人娘のコンサートを含め、年間数10本のステージを行うほか、BSなどの歌謡番組や地方のイベントにも精力的に出演しています。

うつみ宮土理

うつみ宮土理は、NTVの子供番組『ロンパールーム』の先生をつとめ、その後はタレントに転向。

ハレンチ学園
『ハレンチ学園』より

その後、愛川欽也と結婚しましたが、現在もラジオ番組『うつみ宮土理のおしゃべりしましょ』に出演中です。

記事によると、夫の愛川欽也さん死去から3年後の今年4月に、チャリティコンサートを開催したそうです。

梓みちよ

梓みちよは、『こんにちは赤ちゃん』(1963年)で『第5回日本レコード大賞』の大賞を受賞。

『二人でお酒を』(1974年)では、『第5回日本歌謡大賞』の放送音楽賞、『第16回日本レコード大賞』の大衆賞を受賞しました。

記事によると、数年に1度ディナーショーをしつつ、『梓プラチナローズジェル』という化粧品のプロデュースで成功したそうです。

和泉節子

和泉節子は、辛口コメンテーター“セッチー”として一時期マスコミに引っ張りだこでした。

その後、一転して叩かれる側となりましたが、記事によると、10月に『週刊新潮』の取材を受け、変わらぬ口達者ぶりを示しているそうです。

この方は、すでにちあきなおみが、第一線から姿を消してからの人です。

大泉逸郎

大泉逸郎は、自身の孫を歌った『孫』(1999年)が、2018年時点で250万枚以上の売り上げを記録する大ヒットを記録しました。

もともと本業はサクランボ農家の経営者であり、2018年現在も地元でサクランボを収穫しながら毎年新曲をリリースして歌手として活動しています。

記事によると、1995年に長男が急性骨髄性白血病を発症したことを契機に、今も骨髄バンクへの支援活動を続けるそうです。

アントン・ウィッキー

アントン・ウィッキーは、NTV系で放送された朝の帯番組『ズームイン!!朝!』の「ワンポイント英会話」を15年間担当しました。

宗教的な理由から、週末の金土日は断食という食生活を告白して、驚かせたこともありました。

記事によると、現在もカルチャースクールの講師として、英会話のレッスンを続けているそうです。

芳村真理

芳村真理は、モデルや女優として活躍。

中でも『夜のヒットスタジオ』の司会は、男性司会者が代わっても芳村真理は出演し続け、通算1000回を超えました。

現在は、いまは環境保護活動などに尽力しているそうです。

『喝采』後も心に響く歌をリリース

ちあきなおみは、『喝采』から12年たち、1985年にAGFが『マキシム・レギューラーコーヒー』のCMで採用した、『星影の小径』も話題となりました。


小畑実のガヴァーでした

その後も、『夜間飛行』や『矢切の渡し』などヒットの実績はあったのですが、ニューミュージックが台頭し、時代はバブル景気直前の80年代中盤に突然あらわれた、いにしえのハワイアンミュージックであった『星影の小径』のインパクトはその比ではありませんでした。

『喝采』も、リアル世代でない人が、初めて聴いて感動したという方が少なくありませんでした。

『星影の小径』もご存じない方はぜひ1度聴かれることをお勧めします。

以上、ちなきなおみの『喝采』が小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』で決まりかけていたレコード大賞を大逆転で制した歴史的歌姫対決、でした。

ほのぼのと、切なさと、懐かしさと、ちあきなおみの“黄昏のビギン"はあなたの恋する勇気をサポートします。 - ちあきなおみ
ほのぼのと、切なさと、懐かしさと、ちあきなおみの“黄昏のビギン"はあなたの恋する勇気をサポートします。 – ちあきなおみ

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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