Facebookって必要なのかアメリカFacebook社ソフトウエア不具合によるデータ流出危機を契機として改めて問われている件

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Facebookって必要なのかアメリカFacebook社ソフトウエア不具合によるデータ流出危機を契機として改めて問われている件

Facebookって必要なのかが今改めて問われています。アメリカFacebook社のソフトウエア不具合により、ユーザーが投稿していないスマートフォン(スマホ)内の写真が、外部のアプリ開発者に流出しかねない状況にあったと発表したからです。

不具合でまたぞろ出てくるFacebookの問題点

不具合自体はもう手当したそうですが、最大で680万人が影響を受ける恐れがあるといいます。

こうしたことが起こると、「Facebookって必要なのか」という話になります。

しかし、Facebookの危険性は、以前からいわれていました。

しかし、思うにネットというのは、コピーが簡単にできますし、相手に届くまでの道筋はブラックボックスですから、ネットに繋いでいる以上、こうしたリスクはつきものではないでしょうか。

不祥事は「あってもいい」ことではありませんが、「あり得る」ことではあると思います。

それよりも、問題は、やはり使い方です。

たとえば、簡単に述べると、ネットに依存している、ネットに振り回されている、という面が、とくにSNSにはあるように思います。

Facebookをめぐる識者の意見

蛭子能収さんの意見

ネットでは有名ですが、こんな意見があります。

蛭子能収のゆるゆる人生相談

【Q】「フェイスブックを更新しても、「いいね!」の数が友だちより少ない気がして不安になります……」 (アパレル関係勤務・23歳)

【A】え? フェイスブック? 何それ、顔がのってるの?
(フェイスブックの画面を見ながら)こういう風にして日記みたいなのを書くのか。

なんかめんどくさいな、これ。だって、日記は自分でノートとかに書いておけばいいし。 みんなに見せるもんじゃないと思う。

僕って本当に人に関心がないのかなぁ、こういう風に人の情報を見るのが苦手なんですよ。こんなこと知らせてこなくていいよって感じ。

こうやって自分のことをさらけ出して書くこと自体、恥ずかしい。とっても恥ずかしい行為だと思う。
食べたものとか行った場所とか子供の写真とか、自分のことを報告して何の意味があるの?  

人はあなたにまったく関心がないってことを分かってないんだね。

自分が関心があることに人も関心があると思ったら、大間違い。
みんなどうでもいいと思ってると思うよ。悩むこともだけど、これをやること自体、ばかばかしいよ。
 
これ、そんなに流行ってるの? ちょっと信じられないなぁ。

(『JJ』2015年8月号「今、身につけたい“繋がらない勇気”。」より)


人に関心がないことの是非について議論はあると思いますが、SNSが過剰に他人の反応を意識させるものである、ということを感じさせますね。

中川淳一郎さんの意見

『ネットのバカ』(中川淳一郎著、新潮社)には、Facebookについての批判も書かれています。

曰く、「Facebookは気持ち悪い」というのです。

理由は、Facebookは実名でリアルな知り合いともつながっているため、そのやりとりには、「イケてる自分」や「いい人な自分」を見せようとする。

具体的には、必死になって「友達」増やしと相互「いいね!」と無難な投稿に熱中している点を「気持ち悪い」と指摘しています。

中川淳一郎さんは、そんな時間を自分の趣味や、リアルな友達との付き合いに使ったほうがいいだろうという意見です。

もちろん、何をするかは各ユーザーの自由ですが、あらゆるものに本当の「無料」はありません。

ユーザーのクリックや投稿が、何らかの形で誰かを設けさせているだけである。

だから、自分に意義がないのならヤラないほうがいいよ、ということです。

青木勇気さんの意見

青木勇気さんが、Facebookがなぜ飽きてしまうのかを端的にまとめています。少なくとも私の感想は、青木勇気さんと基本的に同じです


Facebookは、過去の知り合いと再会し繋がることができるという観点では非常に有用だが、現在~未来の出会いという観点ではあまり希望を抱けない。前者においては、幼少期に過ごした地元の友人、中高時代の同級生、海外留学中に知り合った知人など、連絡先がわからなかったり、物理的に会うことが難しい相手と「出会える」画期的なツールと言える。

一方、後者においては、そもそも知り合いのみが集まる空間ではあるものの、新しく出会った(これから出会う)人に関しては特に、かなり気を遣い合う関係性になりやすいという点で、繋がりを深めたいという欲求よりも、空気を読むこと、着飾ることが優先されてしまう。


学校時代、さらにはかつての仕事仲間など、人生の節々で縁があった方々とネットで「お友達」を復活できる点は長所ではあります。

しかし、で日常的な投稿はどうでしょう。

朝は「きれいな景色」の写真。

昼はどこで食べてんだかわかんないような「ランチ」の写真。

夜は「飲み会」の写真。近況といって、その人と「お友達」のつもりなのに、なぜかその人の家族や友人の写真……。

あるところにでかけて、シェアしたいから投稿するのではなく、まずネットでの発表ありきで、そのために出かける、外食する、という本末転倒になっていないでしょうか。

まあ、本当ならそんなものは、「それがどうした、それをもってお前の何を表現したいのだ」とツッコミたいところですが、本当の問題はその先で、Facebookの世界では、それらに対して「いいね!」をクリックすることになっているのです。

なぜなら、それを見ているのは実名がばれている「お友達」だからです。

お世辞やしがらみのためにクリックしないと、後で逆恨みされるかもしれないのです。

そして、「いいね!」が多いほうが投稿として人気があって優れているような錯覚を受けるので、投稿はますます無難な横並び主義になります。

Facebookについてのまとめ

批判点ばかり枚挙してきましたが、Facebookを使うことによるメリットも当然あります。

本来、Facebookのコンテンツ的価値は「中立」であり、それを有効に使うか、悪用するかは、ユーザーがいかなる価値でネットを使っているのか、ということによるのではないでしょうか。

冒頭のトラブルも、ネットである限り、あり得るのだということは心においた上で、識者の批判的提言を頭に置きながら、有効に使いたいものです。

以上、Facebookって必要なのかアメリカFacebook社ソフトウエア不具合によるデータ流出危機を契機として改めて問われている件、でした。

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この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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