溝口敦ワールドも飯干晃一ワールドも読めなくなる?

暴力団排除条例が1日、施行された。暴力団への利益供与などを禁じる東京都と沖縄県の条例だが、産経新聞における司忍組長のインタビューが話題になっている。「山口組というのは窮地に立てば立つほどさらに進化してきた」と語っている肉声の採録自体が異例のことだからだ。
まずはニュースから引用してみよう。
--全国で暴力団排除条例が施行されるなど暴力団排除の機運が急速に高まっているが、どのように捉えているか
 異様な時代が来たと感じている。やくざといえども、われわれもこの国の住人であり、社会の一員。昭和39年の第1次頂上作戦からこういうことをずっと経験しているが、暴力団排除条例はこれまでとは違う。われわれが法を犯して取り締まられるのは構わないが、われわれにも親がいれば子供もいる、親戚もいる、幼なじみもいる。こうした人たちとお茶を飲んだり、歓談したりするというだけでも周辺者とみなされかねないというのは、やくざは人ではないということなのだろう。しかも一般市民、善良な市民として生活しているそうした人たちがわれわれと同じ枠組みで処罰されるということに異常さを感じている。(中略)

われわれに人権がないといわれているのは知っているが、家族は別ではないか。若い者たちの各家庭では子供たちが学校でいじめにあっていると聞いているが、子を持つ親としてふびんに思う。このままでは将来的に第2の同和問題になると思っている。一般の人はそういう実態を全く知らない。

ただ、山口組というのは窮地に立てば立つほどさらに進化してきた。昭和39年のときもわれわれの業界は終わりだといわれていた。ところがそれから1万人、2万人と増えた。弾圧といえば語弊があるが、厳しい取り締まりになればなるほど、裏に潜っていき、進化していく方法を知っている。

要するに、俺たちが弾圧されるのは構わないし、またそれを跳ね返すこともできるが、一般人に対する紋切り型の「周辺者(条例では「密接な関係を有する者」)」扱いはいかがなものか、という話だ。

暴力団の当事者の発言だけに頷きにくいという人が多いかもしれないが、発言の内容はきわめて重要な指摘だ。

たとえば、09年12月に、条例を最初に施行した福岡県が、暴力団について書いた書籍・雑誌をコンビニから撤去する申請をした。

これなどは、「異常さ」の典型だろう。

もう、溝口敦ワールドも飯干晃一ワールドも読めなくなるわけだ。

鹿砦社から出ているヤクザについて記述した書籍も、取り締まりの対象になり得る。

たとえば、『飛松五男の熱血事件簿 私だけが知っている不可解事件の裏側と真相』などは心配である。

何しろ、竹中正久四代目山口組組長や、司忍六代目組長をベタほめし、警察がヤクザを「暴力団」と呼ぶことについて、ヤクザに「お前ら、訴えんかい」とハッパをかけているのだから(笑)

そのほか、田岡一雄、地道行雄、山本健一、山本広、菅谷政雄、渡辺芳則、中西一男、竹中正、竹中武、美能幸三、小川春男ら、今や伝説のヤクザの名前が次々出てくる。

ではヤクザ礼賛本かというと、読めば分かるが全くそんなことはない。
事実に基づいて是々非々で論じているだけである。

著者の飛松五男氏が元刑事だからこそ、警察もヤクザも実態を明らかにし、是々非々で語れた。
むしろ貴重な真実を私たちに教えてくれているのである。

逆に、それが気に入らないと取り締まりたくなければ取り締まれてしまうあいまいさが今度の条例にはあるということだ。

つまり、これは決してヤクザだけの問題ではなく、またヤクザの「周辺者」かどうかという問題ではなく、お上が国民をどう取り締まるのか、という問題が本質にある。

先の陸山会裁判では、判決について、「裁判官の価値観や推測、憶測で証拠の評価を行っている」「こうした手法がまかり通るのであれば、個々の裁判官の思惑で勝手に有罪、無罪を判断できることになり、恐ろしいことになります」(1日付『日刊ゲンダイ』で元大阪高裁判事・生田暉雄氏)と指摘する声がある。

そういう時代に、「密接な関係を有する者」などというあいまいな定義による取締りを許したらどうなるのか。

捕まえたい人を捕まえ、弾圧したいものを弾圧し、見せしめに有罪にすることも可能ではないか。

ネットも、司忍組長のファッションに盛り上がるばかりではなく、そうした本質に論考を届かせてほしい。

もっとも、そのときは、スレッドの書き主が「密接な関係を有する者」扱いされてしまうかもしれないが……。

飛松五男の熱血事件簿―私だけが知っている不可解事件の裏側と真相

飛松五男の熱血事件簿―私だけが知っている不可解事件の裏側と真相

  • 作者: 飛松 五男
  • 出版社/メーカー: 鹿砦社
  • 発売日: 2011/06
  • メディア: 単行本