女性識者ほどなぜか高齢出産には冷ややか
高齢出産バッシングがまたネットで起こるかもしれない。野田聖子衆院議員の息子さんの健康状態が思わしくないと、今週号の『女性セブン』(11月17日号)に出ている。
同誌では、ほかにも「命の白熱教室」なる女医のコラムでも高齢出産をテーマにしている。「高齢であることが妊娠出産のリスク」と強調している。
同誌では、ほかにも「命の白熱教室」なる女医のコラムでも高齢出産をテーマにしている。「高齢であることが妊娠出産のリスク」と強調している。
こういう場合、無知と冷やかしで他人事のように中傷する男性を制すべく、女性ががんばらなければならないのだが、女性識者ほど、なぜか高齢出産には冷ややかである。
彼女たちがなんと理屈をつけようが、その理由のひとつは嫉妬。善意に見ても、自分の人生観・価値観と異なる生き方を認められない狭量さだと思う。
そんな女性が論陣を張る限り、男女平等なんて永遠にありえないだろうとコバカにしている筆者の見方は間違っているだろうか。
かつて、倖田來未の「35歳を過ぎると羊水が腐る」発言の際、一部の女性識者は、倖田を庇い立てる根拠に「高齢出産のリスク」をあげた。
「彼女は無知で、言葉の使い方も間違っていたと思うけど、言ってることには一理あると思う。私は肉体的にも社会環境的にも若いうちに産めるならその方がいいと思っているし、”いつでも産めるんだ”という報道は逆に無責任」(「日刊ゲンダイ」2008年2月19日付)と抜かしたのは、さかもと未明だ。
「いつでも産める」と思って高齢で出産する人が絶対にいないと断定はできないが、最初から40歳過ぎてから出産しようと決める人なんかいないだろう。
普通に考えれば、「いつでも産める」とは逆で、様々な事情があり産めなかったから、結果として高齢になったと考えるべき。人生ってそういうことがあるだろう。
さかもと未明には悪意があるから、そういう当たり前の人間的な見方ができないと筆者は解釈している。
若い母体よりもリスクがあることぐらいわかっている。妊娠固有の話ではない。仕事をしようがスポーツをしようが、高齢であればあるほど、怪我や病気の確率は高くなる。
だからといって、現実に妊娠した人にそのリスクを突きつけて何になるといいたい。いわゆる「高齢出産」のニュースのたびに、飽きもせずその手の書き込みが出てくるが、今妊娠している人や、これから妊娠したい人にとって決していい気持ちはしないだろう。
にもかかわらず、ことさらそれだけをクローズアップしたがる理由は何か。
要するに、「高齢」で確率が高くなる、ダウン症やその他障害を持った子供の出産が「リスク」だということだろう。それは、そうした子供への差別意識を疑うこともできる。
相対的に「高齢」によってリスクは高まるが、では絶対的にはどうなのか。
40歳でダウン症を産む確率は1%に満たない。無視はできないが、圧倒的にそうではないということだ。クアトロテストという、染色体異常の子どもを産む確率試験は、35歳でのリスクを基準に見るが、誤解してはならないのは、35歳以下の出産ならダウン症を産まない、ということではないのだ。
要するに、染色体異常=高齢出産ではない、ということだ。
そもそも妊娠や出産の「リスク」というなら、母胎や胎児の生命や健康に関わるものすべてを見るべきだろう。
たとえば、体外受精で前置胎盤になる確率はその倍あるといわれている。妊娠が契機となって発症する妊娠糖尿病は、妊娠高血圧症候群や羊水過多症、感染症などを引き起こしやすくなる。それだけでなく、胎児も高血糖となり、将来糖尿病になる可能性もあるといわれる。
子役スターだった間下このみの難産でクローズアップされたのが「抗リン脂質抗体症候群」。習慣性流産・死産・血栓症などを引き起こすという。
そうしたことがなくても、出産時に子宮破裂するリスクは全妊娠0.03~0.1%はあるといわれる。前回帝王切開で次に経膣分娩する妊婦では、その0.8%が子宮破裂になるという統計もある。出産時に胎児が死亡すると、老廃物が母体に逆流して妊婦もなくなる場合もある。
『ウェディングベル』がヒットしたシュガーの毛利公子がそれで急死したのはショッキングだった。
いずれも、僅かな確率だが、ひとつひとつは生命そのものをおびやかしかねないものであり、年齢に関係なくどんな妊婦でも起こりうるリスクである。ところが、こうした出産全般のリスクというのは世間ではあまり認識されず、もっぱら出産のリスクというと「高齢」だけをクローズアップしたがるのはどういうことだろう。
もとより、高齢であろうがなかろうが、障害のある子どもを授かったのだとしても、それは「産んではいけないこと」ではないだろう。「リスク」という表現自体が不適切で、生まれてくる子どもにも失礼なのだ。
出産というと、自然の摂理で女性なら誰でも当たり前にできるように思っている人が、男性だけではなく若い女性にもいる。そうかと思うと、一方で、高齢出産のリスクばかりをクローズアップするムキもある。
そう、つまり「無知」と「嫉妬」こそが罪なのだ。
そんな風潮と国民の水準をぶち破ってもらうためにも、高齢出産もっとやれ、とはいわないが、高齢出産を道理なく中傷する意見に対しては徹底批判を行っておきたい。
彼女たちがなんと理屈をつけようが、その理由のひとつは嫉妬。善意に見ても、自分の人生観・価値観と異なる生き方を認められない狭量さだと思う。
そんな女性が論陣を張る限り、男女平等なんて永遠にありえないだろうとコバカにしている筆者の見方は間違っているだろうか。
かつて、倖田來未の「35歳を過ぎると羊水が腐る」発言の際、一部の女性識者は、倖田を庇い立てる根拠に「高齢出産のリスク」をあげた。
「彼女は無知で、言葉の使い方も間違っていたと思うけど、言ってることには一理あると思う。私は肉体的にも社会環境的にも若いうちに産めるならその方がいいと思っているし、”いつでも産めるんだ”という報道は逆に無責任」(「日刊ゲンダイ」2008年2月19日付)と抜かしたのは、さかもと未明だ。
「いつでも産める」と思って高齢で出産する人が絶対にいないと断定はできないが、最初から40歳過ぎてから出産しようと決める人なんかいないだろう。
普通に考えれば、「いつでも産める」とは逆で、様々な事情があり産めなかったから、結果として高齢になったと考えるべき。人生ってそういうことがあるだろう。
さかもと未明には悪意があるから、そういう当たり前の人間的な見方ができないと筆者は解釈している。
若い母体よりもリスクがあることぐらいわかっている。妊娠固有の話ではない。仕事をしようがスポーツをしようが、高齢であればあるほど、怪我や病気の確率は高くなる。
だからといって、現実に妊娠した人にそのリスクを突きつけて何になるといいたい。いわゆる「高齢出産」のニュースのたびに、飽きもせずその手の書き込みが出てくるが、今妊娠している人や、これから妊娠したい人にとって決していい気持ちはしないだろう。
にもかかわらず、ことさらそれだけをクローズアップしたがる理由は何か。
要するに、「高齢」で確率が高くなる、ダウン症やその他障害を持った子供の出産が「リスク」だということだろう。それは、そうした子供への差別意識を疑うこともできる。
相対的に「高齢」によってリスクは高まるが、では絶対的にはどうなのか。
40歳でダウン症を産む確率は1%に満たない。無視はできないが、圧倒的にそうではないということだ。クアトロテストという、染色体異常の子どもを産む確率試験は、35歳でのリスクを基準に見るが、誤解してはならないのは、35歳以下の出産ならダウン症を産まない、ということではないのだ。
要するに、染色体異常=高齢出産ではない、ということだ。
そもそも妊娠や出産の「リスク」というなら、母胎や胎児の生命や健康に関わるものすべてを見るべきだろう。
たとえば、体外受精で前置胎盤になる確率はその倍あるといわれている。妊娠が契機となって発症する妊娠糖尿病は、妊娠高血圧症候群や羊水過多症、感染症などを引き起こしやすくなる。それだけでなく、胎児も高血糖となり、将来糖尿病になる可能性もあるといわれる。
子役スターだった間下このみの難産でクローズアップされたのが「抗リン脂質抗体症候群」。習慣性流産・死産・血栓症などを引き起こすという。
そうしたことがなくても、出産時に子宮破裂するリスクは全妊娠0.03~0.1%はあるといわれる。前回帝王切開で次に経膣分娩する妊婦では、その0.8%が子宮破裂になるという統計もある。出産時に胎児が死亡すると、老廃物が母体に逆流して妊婦もなくなる場合もある。
『ウェディングベル』がヒットしたシュガーの毛利公子がそれで急死したのはショッキングだった。
いずれも、僅かな確率だが、ひとつひとつは生命そのものをおびやかしかねないものであり、年齢に関係なくどんな妊婦でも起こりうるリスクである。ところが、こうした出産全般のリスクというのは世間ではあまり認識されず、もっぱら出産のリスクというと「高齢」だけをクローズアップしたがるのはどういうことだろう。
もとより、高齢であろうがなかろうが、障害のある子どもを授かったのだとしても、それは「産んではいけないこと」ではないだろう。「リスク」という表現自体が不適切で、生まれてくる子どもにも失礼なのだ。
出産というと、自然の摂理で女性なら誰でも当たり前にできるように思っている人が、男性だけではなく若い女性にもいる。そうかと思うと、一方で、高齢出産のリスクばかりをクローズアップするムキもある。
そう、つまり「無知」と「嫉妬」こそが罪なのだ。
そんな風潮と国民の水準をぶち破ってもらうためにも、高齢出産もっとやれ、とはいわないが、高齢出産を道理なく中傷する意見に対しては徹底批判を行っておきたい。