さらに見極めと論考が求められる

東京都暴力団排除条例が10月1日に施行された。それがどのような影響をもたらしたか、という趣旨の報道がボチボチ出始めている。もちろん、1ヶ月半で社会の構造が画期的に変わるはずはないが、少なくとも同条例ができてよかった、ウエルカムだ、という書き方は少ないのではないか。
理由は、これまで書いてきたように、暴力団の壊滅ではなく「弱体化」を目指し、暴力団そのものではなく「密接交際者」の取締りを国民の判断にマル投げした曖昧かつ無責任な条例だからである。

溝口敦史氏は、『日刊ゲンダイ』(11月22日付)の連載「斬りこみ時評」において、「法律できちっと定義付けして排除するのが法治国家のルール」と、改めて同条例の存在自体を批判している。

溝口敦史氏の指摘を同紙から引用しよう。
所轄の警察署が暴力団がらみの案件について業者から「暴排条例に触れるか触れないか」相談を受けたとする。署にも一応マニュアルはあるのだが、それを聞いても判断がつかない。
で、警視庁にお伺いを立てる。が、警視庁でも自信の持てる回答を出せない。で、警視庁は警察庁の担当セクションに問い合わせる。警察庁はヘタな回答をして、後で責任を取りたくない。で、「現場の判断に任せる。適当と思うやり方で処理せよ」と回答する。
これが暴力団排除条例に取り組む警察の現状だという。

溝口敦史氏は、曖昧だからまずいという立場だが、中には、「曖昧でもないよりはマシではないか」という意見もあるかもしれない。

だが、司忍・山口組組長が『産経新聞』のインタビューで答えているように、現象的な“弱体化”でお茶を濁すようなおためごかしは、結局暴力団をより強固にし、地下に潜るというより深刻な事態を招くだけではないか。

昨日発売の『FLASH』では、「変質する闇社会レポート」として、暴排条例の弊害が闇社会関係者座談会の形式で書かれている。

同誌では、「暴力団資金源の根絶」という警察側の成果は「上がりつつあるのかもしれない」が、その対策としての「変質」が見られるという。それは、まさに司忍組長の“予告”どおりの内容である。

「暴排条例というけれど、『何をいまさら騒いでんだ』という感がある。山口組をはじめ、主だった組織は、数年前から弁護士を呼んで勉強会を開くなど対策を進めてきた。今のヤクザは組織名の入った名刺を一般人に切ることはまずないし、一般人と仕事をするときは、組織に登録している名前ではなく、ビジネス用の別名を使うのが常識だ」(元S会系暴力団員)

こういう話を聞くと、「ケツ持ち」だの「ぼく的にはセーフ」だのと言って、暴力団とのかかわりや幹部の名前を軽々しく出せる島田紳助は、暴力団(員)の現状認識も矜持もないのだなということがわかる。

「自分の知り合いのヤクザは、有名どころの大学生を集めて、そいつらを看板にして投資家からカネを集め、学生たちに起業させてますね。起業の段階からヤクザが関わっているんだから、そう簡単に排除なんかできるもんじゃないですよ」(元闇金融業者)

最近の暴力団の「シノギ」には、一般人を実働部隊にしたフロント企業を作り、しかも実働部隊自身は自分の立場を認識していない、という仕組みがあるということだ。

しかも、ヤクザを押さえつけて、「不良連中を管理できるのか」(前出の元暴力団員)と、条例の弊害も指摘している。ここでいう「不良連中」というのは、溝口敦史氏もかねてから懸念を表明している「半グレ」のことである。

暴力団排除条例とその施行についての影響については、さらに見極めと論考が求められるようだ。