極端な判決ではあるが……

交通事故で、直接人を死亡させた自動車の運転手ではなく、自動車の暴走を促した自転車の運転者だけに実刑(2年の禁固刑)が下される判決が、2011年11月28日に大阪地裁(真鍋秀永裁判官)であった。
この事件は、5月に大阪市浪速区で、タンクローリーが歩道に突っ込んで2人が死亡した事故である。「隣の車線を走っていた車が、急に車線変更してきたので、当たると思い、ハンドルを切った」とタンクローリーの運転手が死亡させた。「隣の車線を走っていた」ワゴン車は、信号機のない道路を安全確認をせずに横断した自転車を避けようと進路を変更した。

人をはねたタンクローリー運転手の当事者責任は免れないと思ったが、今回は原因を作った自転車の運転手だけが重過失致死罪で起訴。

極端な判決という気もするが、その道路において信号無視の自転車が後を絶たないことや、自転車も車両なのだ、ということをきちんと認識させる意図を感じる。

自動車は、急な進路目変更でそのようなリスクがある、と裁判所が認めたことも大きい。なぜなら、事故というと、とにかく自動車が悪いという前提がまず私たちにあるからだ。裁判員制度がある以上、その「偏見」を払拭する必要もある。

何より、原因を作ったものを裁いたというのは画期的な判決だと思う。

事件というと通常、直接手を下した者だけが裁かれて、その原因を作った者は裁かれることはない。拡大解釈もありえるから、合理的な因果関係が見当たらない限り、それはやむをえないことである。

ただ、その「慎重さ」が、たとえば公害病訴訟における行政や企業の責任追及を免罪してきた面もある。「真犯人」に言及しなければ問題解決にはならないだろう。

因果関係を合理的に見る、というのは真相究明に欠くべからざる視点だと思う。

もっとも、このような判決が出ても「2人死亡という事故が起きた現場では、ルールを無視して横断する自転車があとを絶たなかった」(FNN 11月28日17時22分配信)というから、亡くなった人は浮かばれないなあという気がする。

話は変わるが、原因責任という点では、ヒステリックな反論も来そうだが、DVというものについても、何でもかんでも被害者を全面的に擁護していればいい、という考え方に筆者は同調しない。

男社会の裏返しとして、女性は、相手に浮気やDVがあるとさえ言っていれば同情されるところがある。

もちろん、でっち上げ出ない限り、手を挙げる者の暴力を免罪する必要はない。

ただ、暴力を振るう男性が、他の人間に対してはどうか、社会人としての日常的な態度はどうか、ということを見ると、真面目な人なのに、DVの相手に対してのみ、なぜかそうなってしまうというケースが少なくないと専門のカウンセラーに聞いたことがある。

もちろん、それが刑事的に裁かれることかどうかという問題はあるが、被害者が相手に暴力をふるわせてしまう原因は一切考慮されなくていいのか。その「責任」を問わないことは、結局被害者の女性のためにもならないのではないか。「DV」を訴える事例を見ると、そんなふうに考えるケースもある。

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