食品添加物の功罪
スイセンの葉をギョーザの具に使い、小学校児童9名が食中毒を起こした事件が話題になっている。全員が医療機関を受診し、快方に向かっているというから一安心ではあるが、即死するようなものを使っていたら大変だった。
食材・食品には2つのリスクがある。ひとつは急性のもの。今回のような食中毒がそうだ。過日の生肉ユッケのように亡くなる場合もあるから事と次第にもよるが、急性というのはそのときだけのものである。
もうひとつは長期的な使用によるもの。たとえば、食品添加物などはそれにあたる。1回の毒性は小さくても、それが積み重なることで大きな毒になる。実はこちらのほうが毒性がわかりにくく深刻だ。
『「ニセモノ食品」作り最前線』(宝島社)という本は、「激安の裏に『添加物』!!」と表紙に書かれている。安くて長持ちする食品が、添加物をたくさん使ったコピー食品や上げ底食品であることを、実際の作り方まで種明かししながら紹介している。
同書によると、激安を売り物とする赤身肉にはからくりがある。牛脂と軟化剤を注射して焼くと「偽装霜降り肉」を作ることができるそうだ。
生のタラコ(ハラコ)にはミョウバン、亜硝酸ナトリウムやグルタミン酸ナトリウムなどにつけ込むと、綺麗な赤色の明太子ができる。
意外かもしれないか、米は生鮮食材だ。古くなると黄色くなる。それは、ジ亜塩素酸で漂白して増粘多糖類やグリシン、サラダオイルを加えることで新米のようにツヤのあるご飯を炊ける。
健康にいいと思い込んで飲んでいた健康ドリンクは、無水カフェインとアルコールで体をカッカさせている。
ネギトロは牛脂やマーガリンで作れる。
いやはや、消費者はずいぶん騙されていたわけだ。
それだけ「種明かし」をする同書は、だが、食品添加物の使用を糾弾しているわけではない。
真実を知ってもらいたいだけで、決して食品添加物を頭から悪とはしおらず、「危ない、買うな、食べるな」を連呼する「危険煽り本」とは一線を画している。
「自然のままの素材を新鮮なままふんだんに使い、食品添加物を使わず時間と手間をかけて作られた料理は確かに素晴らしいものです。
しかし、1回しか絞らないカツオだしを作ると大量の『まだ使える』鰹節の絞りくずがゴミとなります。保存料がなければ少し古くなった食材はどんどん捨てなければなりませんし、長期保存もできません。アイスクリームだって、牛乳と卵だけで作れば当然小売価格は百円を下るものは無くなってしまうでしょう。数百円で定食を食べることも不可能となるでしょう。
食品添加物によって、私たちはとても安価で手軽な食生活をおくることができるようになりました。『安さ』『手軽さ』はまさに食品添加物の賜物です。」
どんな食材でも、役に立つ部分もあれば毒もある。この世のあらゆるものに完全無害なものはないのだ。だから、添加物を過剰に騒ぐのも合理的とはいえない。
「ようするに程よく付き合っていけば問題のない範囲だと言いたいわけです。連日ファストフード三昧やコンビニ弁当三昧が良い訳がないのです。恩恵はある程度受けつつも、程ほどにしておくのが上手な付き合い方ではないでしょうか」
消費者は、食品の安全性を切実に求めるあまり、思いこみや近視眼的な判断に陥ってしまうことがある。もちろん、消費者が安全性を求めることは当然のことである。
だが、それが、誤った認識や判断に陥ってしまうことはないか。その原因は、作る側が加工技術を積極的に明らかにしないことと、科学的根拠をはずれた「添加物絶対反対運動」にある。
消費者の利益と要求にかなうためには、そのどちらに偏ってもいけない。一面的ではない科学的認識と、極端にならない価値判断が必要である。
もうひとつは長期的な使用によるもの。たとえば、食品添加物などはそれにあたる。1回の毒性は小さくても、それが積み重なることで大きな毒になる。実はこちらのほうが毒性がわかりにくく深刻だ。
『「ニセモノ食品」作り最前線』(宝島社)という本は、「激安の裏に『添加物』!!」と表紙に書かれている。安くて長持ちする食品が、添加物をたくさん使ったコピー食品や上げ底食品であることを、実際の作り方まで種明かししながら紹介している。
同書によると、激安を売り物とする赤身肉にはからくりがある。牛脂と軟化剤を注射して焼くと「偽装霜降り肉」を作ることができるそうだ。
生のタラコ(ハラコ)にはミョウバン、亜硝酸ナトリウムやグルタミン酸ナトリウムなどにつけ込むと、綺麗な赤色の明太子ができる。
意外かもしれないか、米は生鮮食材だ。古くなると黄色くなる。それは、ジ亜塩素酸で漂白して増粘多糖類やグリシン、サラダオイルを加えることで新米のようにツヤのあるご飯を炊ける。
健康にいいと思い込んで飲んでいた健康ドリンクは、無水カフェインとアルコールで体をカッカさせている。
ネギトロは牛脂やマーガリンで作れる。
いやはや、消費者はずいぶん騙されていたわけだ。
それだけ「種明かし」をする同書は、だが、食品添加物の使用を糾弾しているわけではない。
真実を知ってもらいたいだけで、決して食品添加物を頭から悪とはしおらず、「危ない、買うな、食べるな」を連呼する「危険煽り本」とは一線を画している。
「自然のままの素材を新鮮なままふんだんに使い、食品添加物を使わず時間と手間をかけて作られた料理は確かに素晴らしいものです。
しかし、1回しか絞らないカツオだしを作ると大量の『まだ使える』鰹節の絞りくずがゴミとなります。保存料がなければ少し古くなった食材はどんどん捨てなければなりませんし、長期保存もできません。アイスクリームだって、牛乳と卵だけで作れば当然小売価格は百円を下るものは無くなってしまうでしょう。数百円で定食を食べることも不可能となるでしょう。
食品添加物によって、私たちはとても安価で手軽な食生活をおくることができるようになりました。『安さ』『手軽さ』はまさに食品添加物の賜物です。」
どんな食材でも、役に立つ部分もあれば毒もある。この世のあらゆるものに完全無害なものはないのだ。だから、添加物を過剰に騒ぐのも合理的とはいえない。
「ようするに程よく付き合っていけば問題のない範囲だと言いたいわけです。連日ファストフード三昧やコンビニ弁当三昧が良い訳がないのです。恩恵はある程度受けつつも、程ほどにしておくのが上手な付き合い方ではないでしょうか」
消費者は、食品の安全性を切実に求めるあまり、思いこみや近視眼的な判断に陥ってしまうことがある。もちろん、消費者が安全性を求めることは当然のことである。
だが、それが、誤った認識や判断に陥ってしまうことはないか。その原因は、作る側が加工技術を積極的に明らかにしないことと、科学的根拠をはずれた「添加物絶対反対運動」にある。
消費者の利益と要求にかなうためには、そのどちらに偏ってもいけない。一面的ではない科学的認識と、極端にならない価値判断が必要である。