葬式のマナーから見て、松田聖子の号泣はちとヤリすぎた!と『日刊ゲンダイ』(2013年6月7日付)が報じていますが、そもそも自信を持って「私は大丈夫。全部身につけている」といいいきれる人はいるでしょうか。この記事をお読みの方はいかがでしょう。
葬式は、一般人なら肉親親戚友人合わせても、めったにはありません。
しかし、生涯の間には必ず経験します。
マナーは宗派や遺族の考え方によっも違うので、焼香の仕方ひとつとっても実は迷いそうです。
そこで、サンミュージック・相澤秀禎会長の葬儀で号泣した松田聖子はヤリすぎ、と報じたのは『日刊ゲンダイ』です。
対象的だった松田聖子とタモリ
ある人の葬儀で、浄土真宗でしたが、焼香の際に線香を折って置いたり、焼き場から帰ってきても、手も清めず塩も撒かれなかったので、ちょっと戸惑ったことがあります。
だいたい葬式と言うと、塩をまいたり、清めの水を手に掛けたりするじゃないですか。
宗派によって、葬儀の仕方は違うんだなと、改めて思いました。

『日刊ゲンダイ』(2013年6月7日付)より
では、号泣した松田聖子がヤリすぎ、という記事を見てみましょう。
何度も参列しているのに、いまだによく分からないのが、「葬式」のマナーやしきたりだ。
例えば、関東ではごく一般的な寿司などの通夜振る舞いも、関西に行けば、親族のみだったりする。それを知らずに「お清めの会場は?」なんて聞こうものなら、「なんてずうずうしいヤツだ」ということになる。
そこで芸能人の失敗と成功を参考にしてみたい。先日も、サンミュージックの相澤秀禎会長の葬式が行われたばかり。その通夜の席で号泣したのが、松田聖子(51)だった。ところが、翌日の葬儀・告別式に彼女の姿はなし。当日はとくに仕事はなかったようだから、まったく都合がつかなかったわけでもなさそう。
「所属タレントの中でも、相澤会長がとくに目をかけていたのが、聖子さんでした。上京した彼女を自宅に下宿させ、早朝ジョギングにも付き合った。その彼女が告別式に参列しなかったのは、マナー違反にはならないのでしょうか?」とマスコミ関係者。
葬儀相談員の市川愛氏がこう言う。
「通夜とはもともと、故人と親しい人が別れを惜しむ儀式でした。ですから、会社関係のような一般参列者は告別式にのみ参列するものです。ただし、近年は通夜だけに参列し、告別式に出なくても失礼には当たらなくなりました。さて、聖子さんのケースですが、ごく近しい間柄であれば、両日の参列が好ましいでしよう。もっとも、彼女は忙しい方なので、特にマナー違反には当たりません」
遺族へのアピールのためか、葬式に定刻より早くかけつける人がいるが、これはマナー違反。親族がそろう前の到着は非常識になる。
逆に通夜振る舞いが出されていれば、箸をつけるのがマナー。今回、〝宗教″の違う桜田淳子さん(55)でもきちんと箸をつけていたが、残念ながら聖子は焼香だけで帰ってしまった。一方、葬式で男を上げた人もいる。赤塚不二夫さんの告別式で弔辞を読んだタモリ(67)だ。
「私もあなたの数多くの作品のひとつです」という言葉が印象に残る1790余字、8分間にわたった弔辞は、実はすべてタモリのアドリブだ。タモリは、夜通し故人に付き添うという通夜本来の意陳を知っていたのだろう。当然、弔辞を書く暇すらなかったようだ。
「サングラスのまま弔辞を読んでいましたが、互いに分かり合った関係ですから、まったく失礼には当たりません」(市川氏=前出)
無理に号泣することはないのだ。(「日刊ゲンダイ」6月7日付)
とのことです。
松田聖子さんが「無理に」号泣したかどうかはともかくとして、なるほど、そういうこともあるのか、と考えさせられますね。
もっとも、マナーマナーといって、形ばかり「らしく」しても、心がこもっていなければ何もなりません。
要は、心からの追悼の気持ちがあれば自然と振る舞いも定まってくるだろう、という話なのでしょう。
小林幸子が島倉千代子さんの葬儀を欠席した件
一方、そもそも葬儀の出席、欠席に対する考え方も気になるところです。
つまり、〇〇さんの葬儀、でなくちゃいけないのか、または、私は出てもい良いのか。
そういう微妙な関係の場合もあるはずです。
たとえば、2012年の昨年の小林幸子騒動を覚えていますか。
小林幸子が、レコード会社の先輩である島倉千代子さんの葬儀に出られなかった理由がこう書かれています。

『東京スポーツ』(2013年11月16日付)より
『東京スポーツ』(2013年11月16日付)から引用します。
「島倉さんの葬儀は、芸能界の実力者たちが仕切っていました。小林は昨年勃発した個人事務所の“お家騒動”で、そのあたりと敵対関係になってしまった。今年に入ってもくすぶったままでした。そのため葬儀にも参列しないよう要請があったとか。そもそも小林は既に仕事が入っており、参列はできない予定だったのですが…」と音楽関係者。
『東京スポーツ』は婉曲に書いていますが、スキャンダリズムジャーナリズムが推理したとおりではありませんか。
それにしても、『東京スポーツ』は記事で、「大先輩と最後のお別れができなかった小林はさぞ無念だったろう」などとすまして書いています。
が、昨年は『東京スポーツ』だってその“小林幸子叩き”の一員だったくせに、よくも他人ごとのようにそんなことを書けるなあと思います。
記事はまさに、小林幸子が列席できなかった責任の一端は自らにもあるということじゃないですか。
話を戻すと、自分が出席することが、葬儀にとってマイナスになるのなら、遠慮する場合もある、ということです。
もとより、これは気持ちの問題ですから、送り出す側にとって良いと思えることが一番大切です。
とにかく、大事なのは気持ちということです。
以上、葬式のマナー、松田聖子の号泣はちとヤリすぎた!と『日刊ゲンダイ』(2013年6月7日付)が報じていますが、改めてマナーを考える、でした。
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