父親は死亡直後から他殺説を主張

尾崎豊の『文藝春秋』12月号における遺書公開が話題になっている。尾崎豊は19年前に亡くなり、今年は年忌法要でもない。それでも話題になるというのは、尾崎豊の生前の存在感とともに、やはり「亡くなり方」がミステリアスに見えたからだろう。
今回は、尾崎豊の遺書が全文公開された。遺書は、妻と子に幸せになってほしいという思いを綴った血染めの遺書と、破ったB5のルーズリーフに書かれた亡くなる直前まで持っていたセカンドバッグから発見された2通である。

所持者は妻で、公開者は今回彼女を取材したジャーナリスト。改めて自殺説を裏付ける意味がある。

だが、尾崎豊の父親は死亡直後から他殺説を主張し、再捜査を求める10万人を超す署名を集めたこともある。

今回も、公開された遺書について懐疑的なコメントを出した。

「豊が遺書を書いてたって? 見たことは一度もないねぇ。これ、本当の遺書なの?」

「豊は気分が落ち込んでいるときに、突発的に遺書のようなものを書くことがあった。亡くなる3年前に自殺を考えたことがあるらしいが、そのときに書いた可能性もある」

「いまとなっては、他殺だとは思ってないけど、あれは自殺じゃない。豊じゃないからわからないけど、なんで死んだんだって…いまでも思ってます」(『女性セブン』12月1日号)

今から17年前、フリージャーナリストが『夕刊フジ』と『週刊宝石』に尾崎豊の死亡に関する記事を執筆したが、尾崎豊の妻は、「記事は(自分が)夫の死に関与しているかのような印象を与える」として提訴。二審とも妻が勝訴し、高裁は被告に500万円の損害賠償だけでなく謝罪広告の掲載まで命じた(判決は2002年2月8日)。

司法解剖による死因は「肺水腫」。すなわち酒が肺に入って呼吸ができなくなった病死だったが、覚せい剤が検出されたことや外傷があったこと、妻が病院から強引に自宅に連れ帰ったこと、そしてわずか数時間後に死亡したことなどが、当時不可解といわれた。

ジャーナリストは、尾崎豊が死の直前に絶交していた昔の知人に会っていることや、致死量に及ぶ覚せい剤が誰かに飲まされた疑いがあることなどを明らかにしていた。

それに対して妻は、遺書の存在を根拠に「自殺説」を主張。尾崎豊のファンからは、前述のように再捜査嘆願書への署名運動を進める「4・25事務局」も開かれた。他殺説で疑いを書かれた尾崎豊の妻には当時、嫌がらせや脅しの脅迫電話も殺到したという。

裁判は最終的に最高裁まで進むが、結局上告は棄却されている。

もっとも、判決が被告の完敗だったわりには、高裁では尾崎豊の死因について「原因は不明であり、さまざまな疑問が残る」という留保もつけている。要するに、個人の名誉を重んじ、取材が足りないことを戒めただけで、死因という核心について司法は結論をだしていない。

だから、死因を巡るこうした報道はこれからも出てくる可能性はあるのだ。
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