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田代まさしさんが、2022年10月27日に何度目かの出所。「ようやく家で正月を過ごせました 少しづつ前に進んでいこうと思います」

田代まさしさんが、2022年10月27日に何度目かの出所。「ようやく家で正月を過ごせました 少しづつ前に進んでいこうと思います」とツイッターで報告しています。一旦ハマると抜けられない薬物。それとともに周囲の態度は正しかったのでしょうか。

個人的には懐かしさを感じるグループですが

田代まさしさんについて書きます。

『スポーツ報知』(2009年3月3日配信)を開いてみると、ラッツ&スターのボーカルをつとめた歌手の鈴木雅之さんが、3日に行われた東京・渋谷のセルリアンタワー能楽堂におけるアルバム「Still Gold」の発売記念イベントで、元メンバーの田代まさしさんの復帰を手助けすることを約束した記事が出ています。

このことに限らず、芸能人の犯罪には、とくに業界では必ずかばう人間が出てきます。

古くは、克美しげるさんの殺人事件について、減刑嘆願を行った芸能人もいました。

その人たちは善意だったかもしれませんが、結局克美しげるさんは、出所後も別の犯罪を犯しています。

罵声を浴びせろとまでは言いませんが、お仲間だからこその厳しさも必要、という教訓ではないでしょうか。

田代まさしさんは、この時点で3回逮捕され、1回懲役を経験しています。

『スポーツ報知』(3月3日配信)の報道では、鈴木雅之さんは、決して無条件に田代まさしを庇い立てていませんでした。

ただ、パブリックに支援を述べるのは早かったのかもしれません。

鈴木は最近、久々に再会したことを明かし「マイナスからのスタートになるが、どう自分の人生を前へ歩んでいけるか。幼なじみとして出来る限りのことはしてあげたい」。また今後の共演について「彼がより自分を磨いてきたら」と話した。この日はひな祭りにちなんで和をイメージした場所に和服姿のファン33人を招待し、金色のスーツとマイクで新曲を披露。「子供のころ、家のひな人形に全部ひげを描いてお姉ちゃん(鈴木聖美)が号泣。それでファンキーソウルになったのかも」と鈴木家秘話も公開した。(「スポーツ報知」3月3日配信)

ラッツ&スターは、大田区蒲田の「幼なじみ」たちを中心に集まって作られたグループです。

「幼なじみ」というなら、実は私もその一人になります。

サイドギターを担当していたメンバーと小学校の同級生だったからです。

彼は、実家が寺院ですが次男坊だったと思います。

だから、てっきり長男が後を継ぎ、彼は音楽の道に進むのかと思いましたが、あの事件後、仏門に入りグループを脱退してしまいました。

本人が反省したのか、親とそういう約束があったのかはわかりません。

とにかく、私はこのグループが話題になると、自分の小学校時代を思い出します。

彼も私も、素行が悪いとされるグループに属し(笑)、担任から睨まれていましたが、結局私はいろいろなトラブルが積み重なり、詰め腹を切らされ他校に転校してしまいました。

たばこを吸って高校中退なんて甘いぞ! 何しろ私は義務教育を放校になったのだ。

それはともかく、問題は田代まさしさんが、鈴木雅之さんの期待に応えてカムバックできるかどうかです。

「ミニにタコ」を非難しなかった仲間の芸能人たち

田代まさしさんが高校卒業後、ガソリンスタンド店員やトラック運転手などを経て、高校の同級生、鈴木雅之さんらとシャネルズがデビューしたのが80年です。

「ランナウェイ」の大ヒットで一躍有名になり、第二弾の「トゥナイト」も順調に売り上げを伸ばしていました。

その矢先に、最初のトラブルを経験。

当時、TBS系で放映されていた人気歌番組の「ザ・ベストテン」では、1位として登場するはずの彼らを迎えられない司会の久米宏さんが、苦悩に満ちた表情で「都合により当分の間謹慎する」ことを告げました。

メンバーのうち5人が、地方公演の興行主から未成年の女性を接待された事件です。

田代まさしさんも鈴木雅之さんも、「5人」には入っていなかったといわれていますが、いずれにしてもグループとしての謹慎は免れませんでした。

復活に当たって、『Rats&Star』という本を上梓。

タイトルには、人気者もたった一瞬にしてねずみのように落ちぶれてしまう、という自戒の意味が込められていました。

それがそのまま、彼らの新しいグループ名になります。

しかし、犯罪に甘い芸能界で、彼らはそんな自戒を忘れてしまえるほど、簡単に復活できました。

それが、後に田代まさしを勘違いさせることになった面もあると思います。

80年代後半からは、グループの活動からピンの活動が中心になり、田代まさしさんはバラエティー番組に出演しながら、一方で家族もブラウン管に乗せて「よきパパ」であることもさりげなくPRします。

これといった芸があるわけでもないものの、隙間芸人として重宝がられ、大田区には豪邸も建てました。

慢心もあったかもしれません。

2000年9月、東急東横線都立大学駅構内で、若い女性のスカートの中をビデオカメラで盗み撮りしたとして、田代まさしさんは警視庁碑文谷署の事情聴取を受けました。

都迷惑防止条例違反の疑いです。

罰金5万円の略式命令が下りました。

そのときの田代さん自身の言い訳も、ずいぶんとふざけたものでした。

「“耳にタコができる”という言葉をもじって、“ミニにタコ”というダジャレ映像を作ろうとした」

田代まさしさんと付き合いのあった一部有力芸能人も、「圧力」と評されるほど田代まさしを庇いました。

調子に乗った田代まさしさんは、早稲田大の講演に呼ばれた際、「メディアや新聞がいかにウソを書くかを伝えたい」とマスコミ批判。

9ヶ月の謹慎中のパチンコ姿が写真誌に掲載されたことについても、「私は盗撮されてもOKなわけ?」などと息巻きました。

こういう無反省な男は、たいがいまた罪を犯すものです。

2度目は「覗き」でした。

2001年12月9日夜、大田区・北千束の自宅近くにある駐車場のフェンス(高さ約1メートル20)の上から手を伸ばし、隣接するアパートの窓を開けて浴室内をノゾキをやらかしました。

案に相違して、入浴していたのは30代の男性会社員。

300メートル追いかけられて取り押さえられてしまいました。

通報者によれば、田代まさしさんは、「“抵抗しないから(手を)離してください”と叫んでいた」という。

田代まさしは調べに対して、「のぞいていない」と容疑を否認したものの、ビデオカメラを隠し持ち、黒ジャンパーにニット帽を目深にかぶった上にメガネで人相を隠していた。

しかも、現場周辺では夜中にうろつく不審な男が何度も目撃されていたといいます。

この件で、田代まさしさんの自宅を家宅捜索していた警視庁田園調布署は、部屋から0.9グラムの覚せい剤を発見、押収していました。

これで、田代まさしとは21年の付き合いになる所属事務所、エム・ティ・エムプロダクションも解雇を発表。

公判で田代まさしさんは、「芸能界の仕事はせず、トラック運転手のような仕事をして一社会人に戻って罪を償いたい」と謝罪しましたが、3ヶ月後、ビデオ映画の演出で復帰。

それも自ら売り込んでのものでした。

批判的な報道陣を前に、田代まさしさんはこう開き直りました。

「ぼくだって生活がありますから」

その生活は、「トラック運転手」を予定していたのではなかったのかな。

芸能界が、復帰した者勝ちで迎え入れてくれる甘い世界であり、場合によっては逮捕歴をネタにすらできる、と踏んでいるのではないのでしょうか。

それは、田代まさしさん自身だけでなく、というよりむしろ、背後の事務所がそう彼に囁いてけしかけたのでは、という気もします。

執行猶予中の2004年6月には青梅街道で人身事故を起こし、9月には再び覚せい醒剤所持とバタフライナイフを所持していた銃刀法違反の現行犯で逮捕されました。

かつてかばってくれた志村けんさんはいません。

和田アキ子さんも、もうかばってくれないでしょう。

周囲のものが「次」の温床を作っていないか

かつての克美しげるさんもそうでしたが、仕事仲間の減刑嘆願や擁護などされた者は、必ず「次」があるものです。

「地獄への道は善意で敷き詰められている」(英:The road to hell is paved with good intentions)という言葉を思い出しませんか。

陰で支えてあげるのは自由ですが、表だって「復帰を支援」など宣言してもろくなことはありません。

その後の、田代まさしさんの再逮捕や懲役が、それを示しているのではないでしょうか。

ただし、以上のことは、現在の田代まさしの社会復帰に向ける努力を否定するものではありません。

以上、田代まさしさんが、2022年10月27日に何度目かの出所。「ようやく家で正月を過ごせました 少しづつ前に進んでいこうと思います」とツイッターで報告しています。でした。


平成の芸能裁判大全 – 芸能裁判研究班

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