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斉藤彰俊の家族嫌がらせ騒動と疑似科学批判

斉藤彰俊の家族が嫌がらせを受けている、と、ノアの仲田龍統括本部長が述べている。対戦相手の斉藤彰俊が悪いか悪くないか、という話に盛り上がる2ちゃんねるの議論にも責任の一端があるだろう。そのことも「社会の疑似科学」であるとみなして、疑似科学批判の見地から書いてみよう。

三沢光晴のことについては、前回も書いたとおりだ。

三沢光晴と疑似科学批判

2ちゃんねるの議論を見ていると、興奮と思いこみによる対立を楽しむ面白困った、ときに大変危険な所なんだなあと改めて思う。

対戦相手の斉藤彰俊が悪いか悪くないか、という話に盛り上がるから斉藤に対する感情が第一になってしまい、必要以上にかばったり、興奮したバカタレどもが斉藤彰俊の家族に嫌がらせしたりなどするのだ。

斉藤彰俊が未熟だろうが、三沢光晴が疲労を蓄積した状態だっただろうが、レスラーにはヘタクソもいれば体調が万全でない場合もある。

そこで完結してしまったら、最後は個人攻撃で終わってしまい、問題の本質にたどり着けない。

もちろん、前回書いたように、事実や経緯の検証として、それらを見ることは避けて通れないことだと思う。

だから、斎藤彰俊が本当にへたくそなのか、バックドロップは実際どうだったのかを見ることは必要なことである。

ただ、そこで思考をストップするのではなくて、そういうレスラーやコンディションでなぜ試合が行われるのかとか、もっとはっきりいえば、「頭から落とすプロレス」に対する議論がなければ、同じことが繰り返される。

そこが本質ではないのか。

我が同郷のプラム麻里子の時は、日頃から酒席に参加させられた状態でリングに立たされていたという。

食らった技は今回に比べれば比較的受け身がとりやすいものだったが、二日酔いがプロレスをやればどうなるか……

今の女子プロレスが、その教訓に学んだかどうか。

筆者は二見理ではないから、そこに言及できる情報はもたないが、当時も、ファンの間でそういう議論は起こらなかった。

それは、女子レスラーの「裏」の部分が隠されているから、ファンも事実をもとに議論することができないからだ。

しかし、「頭から落とすプロレス」の是非は、すでに何年も前から言われ続けてきたことだ。

感覚が麻痺した連中は、「斎藤彰俊のバックドロップは危険ではなかった」と簡単にいう。

しかし、とにかくその技で人が死んでいるのは事実だ。

その技を食わなければ、三沢光晴は死んでいないのだ。

人の死を契機として、その「危険かどうか」の基準を見直そうとは思わないのだろうか。

ただ、嫌がらせについて言えば、斉藤彰俊の遺影の前の土下座も一因になっていると思う。

パフォーマンスは、斉藤彰俊に対する反発や批判の論調に対して火に油を注ぐようなものである。

こいつ、死亡事故になってもまだ「プロレス」をやってるよ

と思われ、その不謹慎さを非難されることもあるだろう。

筆者なら、ノーコメントを貫かせるか、土下座とかパフォーマンスは抜きでファンに正々堂々と率直な気持ちを話させるか、どちらかをとる。

斎藤彰俊が混乱しているのだったら、もう少し時間をおいてもいい。

三沢光晴に謝りたいのなら、家族に謝ればすむことだ。

家族に謝るのなら、いちいち他人様の前でする必要はない。

ファンに謝りたいのなら、ファンに直接謝ればいいことだ。

本当に責任を取る気持ちがあるのなら、人知れないところで、三沢光晴の家族にできるだけの支援でもすればいい。

いずれにしても、今は何をやっても騒がれる時なのだから、斉藤彰俊の言動は会社も細心の注意を払うべきだ。

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