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山城新伍さんの葬儀に一人娘が参列しないことがマスコミで取り上げられたが娘さんには娘さんの立場と判断があるのだ

山城新伍孤独死が話題になっている。清水由貴子、大原麗子に続き、「山城新伍よ、お前もか」といったところだろうか。山城新伍さんには、取材を受けてもらえないことがあったなあ。だがそういう気むずかしい人は、個人的にはむしろ興味があった。今回は山城新伍さんについて書いてみよう。

父親の葬儀に一人娘が参列しなかった

山城新伍さんが地井武男と某プロをやめるとき、「僕をおいていかないでくれ、兄弟」と、ウケるツボを心得たコメントを、ワイドショーやスポーツ紙にサービスしたのが同じ事務所に所属していた大槻義彦氏だ。

本人がいくら否定しようが、もう立派なタレントだ。正直うまい(笑)

それはともかく、山城新伍さんの葬儀に一人娘が参列しないことがマスコミで取り上げられた。

山城新伍さんの実弟の残念がるコメントが週刊誌にも出た。

肉親だから仕方ないのかもしれないが、娘さんには娘さんの立場と判断があるのだから、そっとしておいて欲しかったと思う。

実弟がそんなコメントをメディアで述べたら、娘さんが冷たい人間と世間から見られてしまう。

自分の姪を追いつめたいのか?

娘さんだって、もとから父親の葬儀に参加しない人生観をもっていたわけではないだろう。

いろいろな事情と心境で、そのような決断になったのだ。

叔父といえども、とやかくいうものではない。

たとえば、袂を分かち亡くなった者よりも、生きている自分の側の人間(母親の花園ひろみ)を慮ったのかもしれない。

それはそれでひとつの見識ではないだろうか。

筆者は、離婚歴もないし、生き別れの肉親もいないが、親子や夫婦や家族の問題は、第三者がとやかくいうことでないことぐらいはわかる。

小泉純一郎元総理も非難されたことがある

似たような件で、小泉純一郎元首相が別れた実子と会わないことを、人格に結びつけて非難されたことがある。

小泉純一郎元総理と三男の関係を責める“からめ手”からの解放
肉親の愛憎や離別などは当事者でなければわからない。これは普通に考えればだれでもわかるだろう。ところが我が国の大衆にはそれがわからない人もいるので注意が必要である。小泉純一郎元首相が絶縁していた三男と「和解」したという話が問題になっている。

総理といえば公人中の公人だから、私生活を覗かれるのは仕方ないと思う。

ただ、やはり親子や夫婦や家族の問題は、勝手に意見できるものではないし、それを人格に結びつけることは筆者も反対だ。

小泉元首相の人格がどうかは知らないけど(笑)

むしろ、そんな非難をする人は、親としての自分に自信がないのかな、と勘ぐりもしたよ。

結婚できない人、子供がいない人と言った、いわゆる「負け犬」や、親としての自分に自信がない人たちは、往々にして他人の親子関係に点が辛いものだ

いや、もちろんこれは個人の印象で、そういう論文は知らないけどね(笑)

「夫婦・親子・家族の問題」などは、第三者が軽々しく紋切り型の説教をできるようなものではないのだ。

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Photo by Elia Clerici on Unsplash

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