Xで「大学学費を出せない親は毒親」「子が奨学金で賄うべき」の議論が活発。しかし、それって親子関係の本質ではないだろうという声も。

Xで「大学学費を出せない親は毒親」「子が奨学金で賄うべき」の議論が活発。しかし、それって親子関係の本質ではないだろうという声も。

X上で、大学学費を出せない親は毒親か、子が奨学金で自力で賄うべきかの議論が活発です。一方では親の管理能力を疑問視し、18年貯められないのは問題だと指摘する声があり、他方では親の経済事情を考慮すべきとする意見や、自立を促す立場が対立しています。

「議論」は、最終的に親子で話し合い、現実的な選択をすることが大事という方向に収束しつつありますが、いずれにしても、私はこの議論自体、SNSの常連らしい知恵の浅い一面的な話だなあと思いました。

金で大学に行かせる「暴力」もある


SNS上の議論は、

「18年間で学費を貯められたか(親の管理能力)」VS「18歳を過ぎたら自立すべきか(子の甘え論)」

という、損得勘定や資金拠出の有無という極めて一面的な軸に終始しています。

そこからは、親子関係の本質や、子どもの人間的な自立という視点がすっぽり抜け落ちています。

まず、大学まで行かせる経済力がある教育熱心な親なら立派でしょうか。

たとえば、自分が医師だからといって、我が子を強引に医学部に入れ、子が挫折してしまう例はありますが、これ、良い親でしょうか。

そんなことないよね。

たとえ潤沢な資金があっても、それが「親の願望や支配の押し付け」として機能するならば、子にとっては自立を奪う足枷にしかなりません。

資金を出すこと自体が、かえって子どもの自己決定権を侵食する「暴力」に転化するケースは枚挙にいとまがありません。

貧乏は親だけの責任か?

そもそも、貧乏な親は、その親自身の責任と断定できるでしょうか。

全労働者の6割といわれるサラリーマンは、会社の決まった給与体系で月給をもらっています。

つまり、所得の多寡は本人のせいではなく、会社のせい。さらには経済に責任を持つ国のせいです。

そういう政治の仕組みと向き合うことから逃げていて、問題は解決するのでしょうか。

金を出さないのは経済力以前の問題


とはいえ、金を出せない(出さない)親を、全面的に免罪するつもりはありません。

我が子に、上の学校本気で行かせたいと思う親なら、教育ローンを組むとか、なんか努力すると思います。

親が「カネがないから行かせられない」というのは表向きの理由で、要するに学校に対して熱心ではないのです。

「学校なんか行かなくてもなんとかなる」とごまかす、無責任な毒親である可能性が高いですね。

自分が無学だからと、子の進学に懸命になる親の一方で、逆にまじめに学校のことを考えない親もいます。

無学の親は、そこが二極分化しています。

いずれにしても、問題の本質は経済力ではないのです。

福沢諭吉も問題は「金」じゃないと言ってる

福沢諭吉も言ってるでしょ。

「不幸にして貧苦なるも、苦中却てますます団欒の情を厚うして……安心を存すべし」

「不幸にして貧しい境遇であっても、その苦しみの中でかえって家族の団欒・情愛が厚くなり、心の安らぎを保つことができる」

という趣旨です。

つまり、親の愛情があれば、貧困すらも子にとってはエネルギーになり得ると言っているのです。

もちろん、福沢諭吉は、貧乏が良い、といっているのではなく、親さえちゃんとしていれば子はそれを跳ね返すこともできる、と言っているのです。

福沢諭吉も、問題は「金」じゃないと言ってるんですよ。

それ以前のこととして、子が主体的に自分の人生設計を試行錯誤で探すことを邪魔しない親が良い親なのです。

* 進学するかどうか、何を学ぶかという「問い」の主語を子ども自身に持たせること
* 失敗や遠回りを含めた試行錯誤を、親の都合や見栄でコントロールせず見守ること
* 経済的支援をするにせよ、自力で進む道を選ぶにせよ、その選択の背景にある子どもの意思を尊重すること

第一義的な親の役割の本質は、あらかじめ舗装されたレールや小切手を用意することではなく、子どもが自分で道を切り拓くための土台=信頼関係を築くことなのです。

「学費」を出せるかどうかで親の評価はできない

参考にならないかもしれませんが、以前も書いたように、私は「現役」世代より40年遅れて今年度、博士後期課程に在籍していますが、学費はすべて給付型奨学金で賄っています。

修士の時は、自分の金で行ったな。

学部の時は、親が出したけど、それ以外の経費、まとまった文献などは自分で買いましたね。

大学は学士入学で2つ入っているのと、シナリオ学校とか「生涯学習」も若い頃からヤッていましたが、もちろんそれらも全部自腹ね。

私は職業柄、いろいろな方を取材しましたが、高校は定時制、大学は二部(夜間)、大学院は奨学生、そして大学教授になった人だっていますよ。

何を言いたいかと言うと、行く意欲がある人は、親のせいにしている暇があったら自分で金の工面をしてでも行くもんです。

それに、本当に行きたければ、別に入学は18歳でなくてもできるはすです。

与党だけでなく野党支持者から嫌われている(らしい)辻元清美という議員も、高校を出てからいったんデパートで働き、学費をためて成人してから早稲田大学に入っています。

私から見れば。親の経済力のせいにしている人は、あんた自身が本気で向き合わなかっただけだろうといいたいですね。

その一方で、異様な「教育熱心」で子を自分の思い通りの進路に無理やり行かせる親も、逆に三者面談もロクに出ないネグレクトな親も毒親です。経済力は親の評価の本質ではありません。

さて、みなさんは今回の議論、どう思われますか。

10年後、どんな親子関係でいたいですか?子どもを育てる7つの原則 - 石田勝紀
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