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「ら抜き言葉」問題で「目くじら」乱発

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「ら抜き言葉」問題で「目くじら」乱発
「ら抜き言葉」の記事、コメントが入るだろうと思って書いたが、やはりそうなった。

おかげで外部リンクが増えて、我がサイトの評価も上がり万々歳なのだが、内容的には、興奮だけで罵倒言葉を並べている書き込みも含めて(本当にそういうのが来た)

一口にまとめると
「ら抜き言葉」を正当化する意見ばかりで、
それで損したらどうするの?
という筆者が最も言いたかったことに対しての回答が全くなかった。
残念ながら皆無だ。

「ら抜き言葉」を「正しい」と言い張るくだらなさ

どこが「目くじら」なの?

それと、「ら抜き言葉」ぐらいで目くじらたてるなという言い方も目立ったが、
記事のどこが「目くじら」なんだろうか。

そういうのって、いうなれば、
「血液型性格判断ぐらいで目くじらを立てるなよ」と
ニコニコしながら、腕をきつくつかんで言い寄っているような光景だな。
実は、そう言っている当人の方が目くじらたてている。
そういう人は、ささいな異論反論や独自のスタンスも許さない(笑)

たとえば、こんな感じだ。

>各地域の伝統文化である方言の中で、ずっと使われてきた『ら』抜き言葉に、「乱れた日本語云々」と目くじら立てることについては、非常に違和感を感じます。

これなどは、「ら抜き言葉」に賛成しない者を画一的に見立てて
紋切り型の意見をぶつけるディベート気分の典型的なパターンだ。

そういう言い分こそ逆に、「『正式文書でない文書の日本語文法』の誤りを指摘する行為」に目くじらを立てていることにほかならない。
そういう「目くじら」自体を「くだらない」と書いたのだ。

まず、記事の中に
「伝統文化である方言」に「目くじら」たてている記述ってどこにあるのだろう?
筆者はそんな大仰なことは何も書いてない。

ら抜き言葉が「乱れた日本語」?
乱れているからやめろという主旨の記事かどうか、
興奮しないでもう一度読み直して欲しい。

悪印象を抱く人もいるのだから
公の場では辞めた方がいいよ、と言うところから話を始めている。
乱れているかどうかの問題ではないのだ。

テレビの番組を見ていても、タレントのコメントや街頭インタビューなどで
「ら抜き言葉」で話しているのに、画面のスーパーには「ら」がついて表示される。
それがれっきとした現実だ。
それはどうしてだと思う?

筆者は、自分の子どもが、ら抜き言葉を使った作文を書いて点を下げられたり
それで受験が失敗したりしたら、つまらないと思う。
理屈をこねて意地はって×をつけられても、「よくやった」などという気はない。

ら抜き言葉に悪印象を持たれて不採用になったことをもって裁判して
勝訴して時代のヒーローになるって成り上がり方もあるか?
でもたぶん、そうはならないだろう。

ら抜き言葉が「正しい」と言い張るのはご自由
責任以ていつまでも言い張り、必要なら戦いなさい
でもそこにどれだけの意義があるのか、ということだ。

>「ら抜き言葉」は、可能の意味の時に限っておこる現象です。
>「標準形」の方が文法的に混同しています。
>ですから「ら抜き」は合理的に定着していく方向にあり
>将来の標準形になっていくと言われています。

これも、よくいわれる言い分だが
「将来の見込み」と、今認められるかどうかの話は別だろう。

それに、文法的におかしいというが、
そうだとしてもべつにいいじゃないか。
そのおかしさこそが、一方でコミュニケーションの奥深さにもなっている。
「文法的に混同」することが、いちがいに悪いとも言えない。
それこそ目くじらたてるなよ。
というような価値観は否定できるのだろうか?

「価値の大系」という意味を勘違いしている者がいるが、
それは「文法の合理性」だけでなく
そうした「非合理」な価値観をも考慮したものだということだ。

例としてふさわしいかどうかわからないが
タバコが体に悪いのは明らかなのだから
法律で禁止にすればいいのに、
単純にそうはならない。(未成年は別だが)
「科学」と「価値」はそこが違う。
言葉、文法を受け入れるかどうかは「科学」
ではなく「価値」の世界だ。
「価値」というのは多様だ。

>>その理論だと、「既出」の読みが「ガイシュツ」で定着したら、
>>そうなってしまうということになるが(笑)
>
>そうなるんですよ

このての意見はかなりあった。
つまり、「時代と共に読みは変化する」といいたいらしいのだが、
こちらが言いたいのは、「変化」といっても人が客観的根拠もなく
何となくそう思うことと
広く世間一般に定着した標準的な言葉である、と然るべき機関が認めることは
別だろうというたとえ話で書いたつもりだったが、
そうは読めなかったらしい。

「国語審議会としては,本来の言い方や変化の事実を示し,共通語においては改まった場での「ら抜き言葉」の使用は現時点では認知しかねるとすべきであろう。」(文化庁サイトより)

筆者が「悪法も法」云々と書いたのは、このことをさしている。

納得しない人がいようが、国語審議会でこう表明しているのは事実だろう、という話だ。
それがいやなら、国語審議会の見解をひっくり返せるように頑張るしかないので、
そのためにどうしたら良いのかを提案することが大事ではないだろうか。
少なくともネットで、個々の「反対派」の価値観に襲いかかっていても、この世の中は何も変わらない。

この手のテーマというのは
エキサイトすると
個々の「敵」を言い負かすこと自体が目的化する。
「揚げ足取り」「相手の言うことに答えず自分の言い分を話す」等々……

オカルト・疑似科学の議論にも同じようなところがある。
本質を見失わないよう気をつけたいと思う。

【その後のら抜き言葉問題関連記事】
「理系」と称する「ら抜き言葉は間違い」批判
「ら抜き言葉」騒動はいよいよ終結か
「普通の人」の怖さ、「ら抜き」記事に対する異常なコメント

コメント

べし :

またこの論争で盛り上がってるんですか。私はどっちも支持しません。死刑反対運動のように、「ら抜き反対」、もしくは「ら抜き反対を反対」の運動でもすればいいのにね。
2010年7月 7日 03:27
edoedo :

ははは
さすが、最後はそこですね。

僕も乗り気ではないです。
「ら」の議論よりも、消費税とかの議論の方が大事です。
2010年7月 7日 03:47

aaa :

あれだけたくさんの反応がありながら意図が伝わっていないということは、受け手ではなくあなたの文章に問題があった可能性もあるのではないでしょうか。

攻撃的なコメントが多いのは、あなたが周りの人間を下に見ているからでしょう。これはそうとしか読み取れません。
2010年7月 7日 11:54

しゅう :

ネット上のら抜き擁護派もなぜそんなことにムキになるのか不思議だが、ら抜きは間違いだと長々と理屈並べて主張するのも実にくだらない。いちいちそんなこと指摘する人がもしいたとしたら煙たがられて当然だろう。

まず「がいしゅつ」とは違って、らを抜いても十分に相手に話は伝わる。それなのに、いちいちそこを指摘すること自体会話に水を差す。正しいか間違いか以前にコミュニケーションに問題がある。今後恥をかかないよう指摘してやったんだから感謝されるべきだ?恩着せがましいにもほどがある(笑)周りの人は口には出さないものの、めんどくさい奴だと思っているのはまず間違いない。
2010年7月 7日 15:08

気になったので調べました :

ある権威が認める認めないに関わらず、ら抜き言葉を許容する人がいることは、相当数の大人が知っています。該当記事に付いているはてなブックマークのコメントや、そもそもこの現象に「ら抜き言葉」という名詞が与えられ、随分昔からテレビ等でときどき取り上げられていることからも、その数はうかがい知ることができます。

具体的には、文化庁の国語に関する世論調査が参考になります。平成20年度調査では、1,954人の回答者のうち、「来れる」について、言葉の乱れだと思う人は23.7%にとどまります。そういう言い方をしても構わないと思う人は、26.9%、乱れではなく「言葉の変化」だと思う人は41.0%、正しい言い方だと思う人は4.7%、分からない人は3.7%だそうです。

こうした現状では、むしろ、ら抜き言葉について注意を喚起するほうが、「そんなことみんな知っていて使っているんだよ。」と冷笑されて損をするケースが多いのではないかなと思いました。「頭の固いおっさんだな。」と思われて、以後、コミュニケーションが滞るリスクもあります。

言葉は日々変化する道具です。そして道具は使いよう。ら抜き言葉にしても、一切使わないよりも、改まった場面や保守的な人物との会話では使用を避ける、カジュアルな場面や若い人との会話では使用してみる。コミュニケーションで損をしないためには、そういう使い分けのほうが大切ではないでしょうか。
2010年7月 7日 15:49

Glass_saga :

「悪印象を抱く人もいるのだから公の場では辞めた方がいいよ、と言うところから話を始めている。乱れているかどうかの問題ではないのだ。」

なるほど、そういうお話だったのですね。

ところで、

「そういえば、某疑似科学批判サークルの情報工学の先生も
シンポジウムで、「ら抜き言葉」を使っていて聞き苦しかったな。」

と前の記事には書かれていましたが、どうしてあなたは「ら抜き言葉」を聞き苦しいと思ったのですか?
私は大変頭が悪く、自らの読解力の無さを痛感するばかりですが、私のような人間にも理解できるような説明をして頂ければ幸いです。
2010年7月 7日 18:45

とほりすがり :

「ら抜き言葉」擁護派の者です。
私の場合、もし「ら抜き言葉」で損をしたらどうするのか?といえば、
「あ?、損しちゃったなあ」と反省するだけです。

国語審議会の答申を持ち出すまでもなく、「ら抜き言葉」は改まった場で使う言葉としては認められていないことは承知しているつもりですので、そういった場ではうっかり使わないように注意します。

その一方で、「物言う『普通の人』」さんが助詞「の」の砕いた表現「ん」をブログの所々で(「ん」に悪印象を抱く人がいるかも知れないのに)普通に使っていらっしゃるように、
そろそろ「ら抜き言葉」も同程度に認められても良いのでは?というもどかしさを感じます。
2010年7月 7日 20:30

かちけんゆう :

きっと書き方が悪かったんだよ。
たくさんの人が読んだのに回答が皆無、ってことは、伝わりにくかったんだと思うよ。
興奮しないで読み返して欲しい、って言うけど、
興奮させちゃったんだ。
この記事も最初の2行くらい、煽るようなこと書いてるし。

でも読んだ人が全員バカヤローだ、外部リンク増えるしって思えるタフさがあるなら、
僕はそれはそれでいいと思うよ。
2010年7月 7日 21:05

しょうじ :

>それで損したらどうするの?

ただ守りに入ってるだけじゃねえか。

つまらないサイトですね。
2010年7月 7日 22:48

s.k. :

そうですね、最終的にはら抜き言葉をきちんと意識する費用対効果がリスク(損)よりも上回っていれば、ら抜き言葉をきちんと意識すればよいと思います。

受験などの厳密に文法への対応が求められる場面以外においては、私はさほどそこらへんの問題には意識せずに言葉を発したいと思います。
その程度の話だと考えます。
2010年7月 7日 23:25

du :

大系→体系 では?

それはともかく、論旨はどうでも良いんじゃないの?

ら抜きで損したら損したってだけじゃない?
逆に得する場面もあるんじゃない?

「ら抜きを正しいと主張する人(=文法の試験でら抜き言葉を使う人)」ってそんなにいるの?
存在しない敵と戦っているのでは?
2010年7月 7日 23:29

bou :

あれ、こちらに価値の体系に対しての論拠がありましたな。
失礼。
この記事まで読むに至らず。

あとコメント連投してしまったようで大変失礼しました。

確かに「ら」抜き言葉などで、
損をするという話やそれを指摘する人たちに対して
どう対応するかというのは難しい問題。
実際に、それが問われるテストがあれば点数は下がるでしょう。

なので、アホみたいですが両方知るべきかと思います。
間違っているが認知されているものと、
本来正しいものは両方覚えておくに越したことはないくらいの話ですが。

とはいえ、世の中には空気とかいうものもあります。
私は、煮詰まるの誤用が大変気になる上に間違った使い方か
本来の使い方で使われているのかを考えて
そのときどきで正しいものを選択するようにしています。
それほど誤用が多いので。
突っ込みすぎるのも野暮という話。
しかし、テストが仮にあるとしたらそれはもちろん正しい方を書くに
決まっているわけです。
当たり前ですけどね。

まあ、私自身も間違うことはたくさんありますので、
それは失敗するたび恥ずかしい限りですが
指摘されたらたまには不機嫌になるもの。
それは恥ずかしいからですけどね。
そうならんようにしたいもの。

はっきりした間違いは正しいことを教えてみるに限ります。
まあ、人が相手ですのでほどほどにならざるをえないのでしょうが。
自分がそれに迎合する必要はそもそもない話ですし。

そして、最後に見事な太公望でしたw
この手の話は好きです。
2010年7月 7日 23:53

そんなに反響あんの? :

要するにアレだ

みんな、期末試験の勉強から逃避してんだなw
2010年7月 8日 01:49

gdふぁ :

いや、これは筆者が言いたいことを伝えきれなかったというブンヤとしては恥ずべきことじゃないですか。言葉を使って飯を食っているという自覚ありますか?
2010年7月 8日 17:14

ABYSS :

>「国語審議会としては,本来の言い方や変化の事実を示し,共通語においては改まった場での「ら抜き言葉」の使用は現時点では認知しかねるとすべきであろう。」

これって、国語審議会も「共通語でない」あるいは「改まっていない」場では「ら抜き言葉」を認知しても良いと考えていると読めますね。

しかもこれ、さらに続きがあります。

ー引用開始ー
さらに、「ら抜き言葉」については、次のような観点から今後の動向を見守っていく必要があろう。

[cir1 ] 話し言葉か書き言葉かによっても、違う面があること。

[cir2 ] 一段動詞全体のどこまで及ぶか。語形の長さや使用頻度、また、活用形によって、「ら抜き」化の程度が異なると思われること。

[cir3 ] 北陸から中部にかけての地域及び北海道など、従来「ら抜き言葉」を多く使う地域があるといった地域差の問題を考慮する必要があること。また、近年は東京語自体も様々な地域の言葉の流入によって変化しており、「ら抜き言葉」の方がリズムやスピード感があってよいとする声もあること。
ー引用終了ー

つまり国語審議会も「ら抜き言葉」を否定しているわけではありません。
「ら抜き言葉」が良いかどうかはともかく、これを以て「ら抜き言葉」を否定する事はできないと思います。
2010年7月13日 23:08

FA :

まず、あなたが最も主張したいことは、
「権威ある機関の判断に従うべき、そうでないと処世上損をするから。」ということで合っているでしょうか。

その場合、この考え方は「学問的には間違った態度だが、処世的には正しい」と言うことができると思います。

例えば、
「カトリック教会にしたがって天動説を信じるべき、そうでないと(迫害されるなどして)損をするから」とか、
「大本営発表を信じるべき、そうでないと非国民扱いされて損をするから」などと同じ考えです。
小市民として生きるには、全く正しい考えだと思います。

なぜ論争がすれ違うかは、あなたが上記のように処世上の損得の話をしているのに対し、他の皆さんは合理的で学問的な話をしているからでしょうね。

つまりあなたが「天動説を信じたほうが楽だぜ」と言っているのに対し、皆さんは「でもそれって非合理的だよね」と言っているわけです。どっちもある意味では正しいので、どっちが正しいかは個々人が決めればいいことでしょうね。
2012年10月25日 17:54

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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