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疑うということはどういうことか

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疑う
疑うということはどういうことか、ということについて書いてみます。私ごとですが、ここ3ヶ月ほどの間に、3名の大物作家・ジャーナリストを担当する編集者になりました。うち2名は、もう実名を出してしまっていいと思いますが、安部譲二さんと平野貞夫さんです。

ともに、後期高齢者でありながら
厳しいスケジュールを消化しておられる第一線の著名人ですが、
筆者の提案に取り組んでくださることになりました。

改めてご紹介するまでもないと思いますが
平野貞夫さんは
議会生活45年の元国会議員であり
今も小沢一郎議員の懐刀として活躍されている方です。

平野貞夫さんは、25日に発売される『日本一新』という本で
これまで非公開だった
小沢一郎議員へ個人的に送っていた「平野メモ」を初公開し
「小沢の懐刀」としてのありのままの姿を
見せてくれています。

番記者も、小沢一郎側近といわれる議員たちも
見せたことがない初公開の資料です

そこまでさせた編集者は、
筆者がはじめてだそうです。

この時期にそのような本を出し
社会を多少なりともつっつく仕事が出来たことは
大変に光栄なことです。

筆者はこれまで、小沢一郎という人も
民主党にも、全く縁はありませんでしたが、
そんな筆者が、なぜ小沢一郎叩かれまくりの
今、そんな大事な書籍をプロデュースしたのか。

政治資金規正法の問題に、小沢一郎議員のキャラクターや
政治手法の好き嫌いやその他の思惑をもちこんだ
この騒動の本質が、非合理で気に入らないからです。

逮捕ありきで騒いだものの結局空振りになった検察も
「記ヅレ」の問題なのに「原資」をとやかく言って
起訴議決した審査員なる”選ばれた大衆”も、
言い分をよく見ると支離滅裂としか言えないマスコミも
小沢一郎問題を、自分たちの防波堤やガス抜きに使い
結局は自分たちの首を絞めている(ことに気づかない)民主党執行部も
そして、よく考えもしないくせに
それらの動きに流されて
目先の損得や思い込みや気分で支持率を乱高下させて
いたずらに政治を混乱させておきながら
それをかえりみず文句ばかり言っている
「自分は何も悪くない」つもりの国民も
みーんな、どうかしていると思うし、

自分は、その『どうかしている』方になりたくなかったからです。

そして、どうかしているまま流れているこの国が
怖いなと思います。

小沢一郎氏怪文書騒動と「ニセ科学」

政治資金規正法上の「期ズレ」その他で修正している国会議員は
200人はくだらないことをご存じですか。

最近も、小渕優子議員ほか数名について
「週刊ポスト」や「しんぶん赤旗」がすっぱ抜きましたが
なぜか、自分は何でも一番のつもりで鼻高々の古舘伊知郎さんと、
隣でエラソーにコメントしている
「良識ある」朝日新聞の解説委員はスルーです。

政治資金を不動産投資している議員は30人以上。
先日、補選で当選した町村信孝という人も指摘されていますが
一昨日も、BTOご指名札付き番組「朝ズバッ」では
そう言う点には一切触れないくせに
一方では気の弱い鳩山派の議員を生け贄にして、
「小沢問題」を朝っぱらから詰問調で責め立てて
朝食を思いっきり不味くしてくれました。

西松建設事件についても、二階俊博という人の
問題は今は一切出てきません。

竹下派の分派「21世紀フォーラム」時代の残り金を民主党候補者に配ったのは
ケシカラン、国庫に返せと古館報道ステーションで、「朝日」のコメンテーターは
力説していましたが、この人、本当にジャーナリストなのでしょうか。

解散した政治団体や政党のお金を、事実上の継承団体が引き継ぐのは、
かつての民社党→民社協会など、これまでもとくにめずらしい話ではありません。
というより「当たり前」の話です。(もちろんいいか悪いかの評価は別です)

そんなにケシカランのなら、なぜ民社党に対して声を上げなかったのでしょうか。
当時あった「椿発言」のせいですか?

タブーにがんじがらめの分際で
その自己批判もなしに
今になってエラソーなこと抜かすなよ、というのがテレビ朝日に対する筆者の感想です。

何よりそれらを禁じる法律もありませんから、違法ともいえません。

それに、なぜ配った方が悪く言われて、もらった方は一切お咎めなしなのでしょうか

というより、政治資金報告書に堂々と記載して文句言われたんじゃ、
だったらどうすればいいの? と言いたくなります。

むしろ第一義的に問題にすべきは、
表に出さずにそれをコソコソやってきた(今もやっている?)
これまでの政権党の金の配り方でしょう。

たかが筆者ごときについてすら、
デタラメを書いている、かのwikiには
民由合併の際に動いたお金のことについても同様の批判が書かれていますが
これについては、菅直人首相がめずらしくきちんと説明しているはずです。

ことほどさように
主観的な怪しさ、気にくわないことを根拠に
小沢一郎議員「だけ」をクローズアップする。

小沢一郎議員のキャラや政治手法がそんなに嫌なら、
国会の議論やその他言論活動
選挙などで正々堂々とたたかえばいい。
そして政治資金の「入」と「出」と「運用」について
きちんと法律を作って、誰彼なく例外なく公平に取り締まればいいのです。

不動産運用なんて、ここ1、2年の話ではありませんしね。
そして、批判は、同じ規準で誰に対しても臆せず行うべきです。

それをやれないから『別件』いじりや誘導的な報道を行う。

その卑劣な根性と偽善が気にくわないから
たかが「普通の人」の分際で
書籍のプロデュースを思い立ちました。

ジャパンスケプティクス、池内了ドン引き発言事件

11年前のことですが、ジャパンスケプティクスという
疑似科学を批判するタテマエの会が京都で会合を行った時
懇親会で、こんなことがありました。

ちょうどワイドショーが、ヒ素カレーの問題で、
例の女性の動画を繰り返し繰り返し流して
彼女の悪人ぶりを徹底的に刷り込んでいた頃です。

挨拶に立った池内了さんが、その女性のカタを持つような発言をして
それまでなごやかだった一般の参加者は沈黙しました。
いわゆる「ドン引き」というやつです。

池内了さんの話は、人間は間違いうるから
ひょっとしたら(違うかも)という余地は
いつも残しておいた方が良いというような内容でしたが

何であんな凶悪犯に「ひょっとしたら」なんて考える必要が
あるのだ、というのが一般の参加者の反応でした。

情けないことに、マスコミに、思いっきり洗脳されているわけです。

しかし、懐疑するということは

1.検察やマスコミ、識者など、「権威」を鵜呑みにしない
2.人間には、嘘や間違いがある、

という人や物事を見る大前提があり
別にヒ素カレーの人をかばうという意味ではなく
どんなことに対しても、誰に対しても
そのようなスタンスを貫くというあたりまえの話なのです。

池内了さんほどタイムリーではありませんでしたが
筆者も15年前、『血液型性格判断の虚実』(かもがわ出版)という
本の中で、「偉い」先生やマスコミの言うことを鵜呑みにしてはならない、
冷静に見れば、専門家でなくとも見抜けるものすらある
という主旨のことを書きました。

いずれにしても、そうした立場で見ると、
小沢一郎議員については政治家として、
人間としての評価はいろいろあるだろうし、
それはそれで全く構わないのですが

少なくとも、ブルジョアマスコミの小沢一郎議員「だけ」報道と
それにみすみす流されて、世論調査の数字を乱高下させている
皮膚感覚大衆は、立派に「社会の中の疑似科学」だと
筆者は判断しました。

もっとも、天羽優子さんのブログによると
「権威」を鵜呑みにしない、
という懐疑の基本的な姿勢そのものが
理解できていないようです。

彼女の見解では、権威を信用して何が悪いというお考えのようです。

残念ながら、疑似科学に声を上げる人の
認識もさまざまです

こうした疑似科学批判者からは
人格も含めてゴミクズ扱いされている筆者ですが、

偉い方々のセンスがその程度ですと
筆者にもまだまだ一言できる余地は
あるのではないかと思っています。

この記事を書いた者
草野直樹(かやのなおき)

自己肯定感も、自己意思決定能力も低かったのですが、昨今流行の家系図作りをしているうち、高祖叔父と“日本のケインズ”の接点を発見。仙台藩で和喜次時代のお世話役で姻戚関係も!?。もう30年早く知りたかったなあという思いはありますが、せめてこれからは一国民、一有権者の立場から、ケインズ系経済学支持者としての発言を自分の意志で行っていきます。

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